)「実感はないですし、まさかっていう驚きのほうが大きいですよ。けど数字は関係なく、今後も自分のバッティングをするだけ。ホント、(数字は)今だけだと思いますから」 朴訥(ぼくとつ)とした口調。現在、丸佳浩(広島)や大島洋平(中日)、坂本勇…

「実感はないですし、まさかっていう驚きのほうが大きいですよ。けど数字は関係なく、今後も自分のバッティングをするだけ。ホント、(数字は)今だけだと思いますから」

 朴訥(ぼくとつ)とした口調。現在、丸佳浩(広島)や大島洋平(中日)、坂本勇人(巨人)らとセ・リーグ首位打者争いを繰り広げている横浜DeNAベイスターズの宮﨑敏郎は、自身の現状について謙遜しながらそう語った。


勝負強いバッティングでDeNAの「不動の5番」として活躍している宮﨑敏郎

 プロ5年目の大ブレイク。ダイナミックな独特のバッティングフォームに加え、ラミレス監督がセ・リーグでナンバーワンのバットコントロールと評した高い技術力。そしてずんぐりとした体形に、口数の少ない物静かなたたずまい。宮﨑からは、どこか昭和のプロ野球の匂いがする。

「それ何人かに言われたことありますよ」

 そう言うと宮﨑は、愛嬌のある笑顔を見せてくれた。

 突如として現れた感のあるこのバットマンは、はたしてどんな野球人生を歩んできたのか?

 宮﨑が野球を始めたのは小学校6年生のときだ。憧れたプロ選手は特にはいなかったが、友だちとプレーする草野球やキャッチボールがとにかく好きだった。どうしても硬式野球がやりたいという思いもあり、地元佐賀県のボーイズリーグに所属する唐津スカイヤーズに入団した。

「本当はもっと前からやりたかったんですが、親から(硬式は)危ないからと止められていたんです。そんなこともあって晴れて(ボーイズリーグの)野球選手になれたときはすごく嬉しかったですね」

 宮﨑はピッチャー、そして打者として活躍し、全国大会に2度出場した。特筆すべきは現在のバッティングフォームの原型が、すでにこのころでき上がっていたということだ。右軸足にしっかりと力を溜め、反動をうまく使いバットを振り、的確にボールをとらえる。

「体が小さくて、入団したとき身長は150センチなかったですからね。いろいろ試してボールが一番飛ぶフォームが、あの形だったんです。特に誰かに指導されてというわけじゃないんですよ」

 以来、宮﨑は学生、社会人、プロを通してバッティングに関してはほとんど指導を受けておらず、今日の打棒は、自身のセンスはもちろん、想像力と工夫の賜物だと言っていいだろう。

 中学校を卒業すると、声をかけてくれた地元の佐賀県立厳木(きゅうらぎ)高等学校へ進学。2年生の夏からエースで4番を務めるが、高校時代の3年間は全国大会に縁はなかった。

 1988年生まれの宮﨑は、いわゆる『ハンカチ世代』である。甲子園を舞台にフィーバーしていた田中将大や斎藤佑樹の活躍を、同世代としてどのように見ていたのだろうか。

「いやもう別世界の話ですよね。3年の夏は甲子園も見ていませんでした。ただ、早く大学に行って野球をやりたいなって」

 いわば、”野球が人よりも少しだけうまい普通の高校生”だった宮﨑は、セレクションを経て日本文理大学に入学。ピッチャーとして入部したものの、1週間で野手に専念することを決意する。

「ひとつ上の先輩に広島カープにいる小野淳平さんと、2009年にドラフト1位でオリックスに入団した古川秀一さんがいたんです。そのふたりの投球を見て、これはダメだと野手一本にしたんです」

 宮﨑は1年生の秋からサードのレギュラーとして活躍し、九州大学リーグでは首位打者やMVP、ベストナインを獲得。4年生のときには主将も務めた。だが大学卒業時にドラフトで声はかからず、社会人野球のセガサミーへ入社する。

 当時のプロ野球に対する思いは、夢のまた夢だったという。

「果てしなく遠かったですね。この時期のモチベーションは、とにかくできるところまで好きな野球を続けること。そして運よくプロに行ければいいなって」

 すでにプロの世界ではハンカチ世代の選手たちが活躍していたが、宮﨑は「単純にすごいな」としか思えなかったという。

「『よし、オレも!』って気にはなれませんでしたね。現実感がないというか、もっと上の世界だと思っていたので……」

 その語り口調に欲や野心は感じられない。ただ単純に野球が好きでたまらないという柔和な雰囲気が宮﨑を包み込んでいる。

 その後、都市対抗野球大会で逆転満塁ホームランを放つなどプロ野球のスカウトの目にとまり、宮﨑は2012年のドラフト6巡目で指名されDeNAへ入団する。ちなみに当時の担当スカウトは現在内野守備走塁コーチの万永貴司だった。

「嬉しかったのですが、まさか声がかかるとは思ってなかったので不思議な感じでしたね。不安ですか? まったくなかったですね。純粋に野球を続けられる喜びが大きかったし、プロという舞台で自分の力がどこまで通用するか楽しみでした。とにかく後悔だけはしたくなかったので、一日一日を全力でやる。100%のプレーをすることを心掛けました」

 自他ともに認める”練習の虫”である宮﨑は日々の努力により、緩やかではあるが徐々に頭角を現していった。

 この時期の宮﨑のプレーで忘れられないシーンがある。2年目の2014年4月に行なわれた阪神戦での出来事だ。

ファームから昇格したばかりの宮﨑はセカンドを守っていた。9回表無死一塁の場面、バントに対し宮﨑は一塁ベースのカバーに入ったが、捕球したピッチャーが二塁に投げると思い込み目線を切ったため、自分に向かって投げられたボールを逸(そ)らしてしまう。このとき呆然と立ち尽くす宮﨑の姿を覚えているファンも少なくはないだろう。中畑清前監督はこのプレーに対して「野球の世界にないボーンヘッド」と酷評し、宮﨑は昇格からわずか2日で登録抹消されてしまう。

「正直、僕の野球人生はこれで終わったと思いました。かなり落ち込みましたし、これでもうチャンスはなくなるんだろうなと……。まあ、今だから言えますけど、あのプレーで少し名前は知ってもらえたなって」

 そう言うと宮﨑はいたずらっ子のように笑ったが、すぐさま表情を引き締めた。

「ただ、下を向いていてもしょうがない。これで終わったら後悔するし、納得がいかない」

 失敗から学ぶのもその選手の才覚であるが、宮﨑は決して腐ることなく練習に励み、首脳陣の信頼を回復していく。守備に対する意識は、それまで以上に高まった。

「いろんなポジションを守らせてもらっていますが、守備は判断力も含めプロの世界は難しいと思います。深いし、見ている人にはわからない部分も多くある。万永コーチからも厳しく言われたこともありますが、それが今、結果になってきているのかなって……」

 打撃ばかり注目される宮﨑だが、とくに今シーズンはサードに固定され、柔らかいハンドリングからなる安定した守備を見せている。速い打球への対応やスローイングといった課題も克服しつつあり、セイバーメトリクスで守備力の高さを示す指数の『UZR』ではリーグ上位の数字を残している。

 そして、一気に開花したバッティングであるが、宮﨑の代名詞になりつつあるセンターから右方向への打球は、代打のスペシャリストである下園辰哉のアドバイスが大きかったという。

「僕はバッティングに対するメンタル面や考え方についていろんな人に聞くんですけど、昨年、下園さんから『右方向に打った方が率は残せるんじゃないか』って言われて少し意識するようになったんです。すると打球も上がるようになり、率も上がりました」

 また特筆すべきは、その三振数の少なさである。規定打席に到達した打率上位の選手は、軒並み40~50個以上の三振を喫しているが、宮﨑はわずか20個にすぎない(6月26日現在)。

「低めの落ちるボールや曲がるボールを振らなくなった感じはありますね。最近は意識せずとも勝手に体が止まるんですよ。そこが三振の少なさにつながっているんじゃないですかね。配球を読むタイプか? うーん、タイミングが合えば全部行く感じですね。もちろんボールを絞るときもありますが、感覚的な部分に頼るタイプなので、絞ると逆に力が入って自分のスイングができなくなってしまうんです」

 筒香嘉智もバッティングに関し、自分の内側にある”言葉では表現しきれない感覚”を大事にしていると言っていたが、宮﨑の非凡さもまた同様の部分にありそうだ。

 6月15日のロッテ戦で、宮﨑は逆転の満塁ホームランを放っているが、ストレートとフォークで追い込まれながら、最後はゆるく縦に割れる難しいカーブを仕留めている。

「あのときも勝手に体が止まってからスイングした感じなんです。意識よりも体が合わせようと思って止まるんじゃないですかね」

 試合後のぶら下がり取材で、宮﨑はバッティングに関し記者から尋ねられると「たまたまです」と答えることが多いが、本人からすれば、そう言わざるを得ないのだという。

「本当は伝えたいんですけど、あまりにも感覚的な部分なので、どう伝えていいかわからないんですよ」

 データ上、宮﨑は対戦ピッチャーの左右はもちろんのこと、2ストライクに追い込まれようがコンスタントにヒットを放っており、苦手というものが見つからない。現在セ・リーグで、最も崩しづらい打者だと言えるだろう。

「チームの力になっているかわからないけど、少しは貢献できているのかなって。今シーズンはケガをしないように、自分のルーティンや間合い、リズムをキープして規定打席に達してシーズンを終えることが目標ですね」

 ただ、正直なところ、今はチームよりも自分のことで精一杯なのではないだろうか。得てしてようやく結果が出始めた選手は、チームのことよりも、まずは自分のことに集中しがちになるものだ。

「いや、そんなことないですよ」

 宮﨑はさらりとした風情でそう言った。

「僕はどちらかというとチームの方に気持ちが向くんですよね。自分の成績よりも、結果的にチームが勝てばいいんだって思っちゃうんです」

 チームの主力を長く務める選手が言うのならば納得はできる。しかし宮﨑は28歳とはいえ、まだ通年活躍したことはない。

「学生時代からそうなんですよ。だから大学時代に中村壽博(としひろ)監督から言われたことがあるんです。『もうちょっと自分のことを考えて野球をやれよ』って」

 生き馬の目を抜く世界にあって、宮﨑にはすべてを俯瞰する懐深き大らかさがある。

「例えば、ノーアウト二塁の場面が4打席あったら、全部セカンドゴロ(進塁打)を打ちたいぐらいですよ」

 冗談とも本気ともつかないことを言い宮﨑は笑った。

「自分だけじゃなく、みんなも嬉しくなるじゃないですか。チームが勝てば、横浜スタジアムも盛り上がる。やっぱり優勝したいですからね」

 古風なたたずまいのある優しく、男らしい九州男児。ホットコーナーのレギュラーとなった”ハマのプーさん”こと宮﨑敏郎の存在感は、チームにとって日増しに大きくなり、優勝へと向かう原動力になっている。

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