新谷仁美(陸上)インタビュー 今年1月のヒューストンマラソンで2時間19分24秒のタイムをマークし、2005年に野口みずきが樹立した女子マラソン日本記録にあと12秒と迫った新谷仁美。 帰国後の会見では、あくまで9月のベルリンマラソンでの日本…

新谷仁美(陸上)インタビュー

 今年1月のヒューストンマラソンで2時間19分24秒のタイムをマークし、2005年に野口みずきが樹立した女子マラソン日本記録にあと12秒と迫った新谷仁美。

 帰国後の会見では、あくまで9月のベルリンマラソンでの日本記録更新に重点を置き、2024年のパリ五輪は目指さないと明言した。彼女の現在地と、「走る」ことへの思いについて聞いた。



今年2月に35歳を迎えた新谷仁美選手

●貢献するためには結果で返すしかない

 かねてより「5000m、10000m、ハーフマラソン、マラソンの4つの日本記録の更新」を目標に掲げている新谷。

 この目標は、2020年6月のヒューストンハーフマラソンで1時間6分38秒をマークし、同年12月の日本選手権10000mで30分20秒44のタイムを出してふたつ目の日本記録を更新した時から考え始めたものだという。

「日本代表になってメダルを獲るのも自分の商品価値を上げるためのひとつの手段ではありますが、歴代を見てもあまり記録をいくつも持っている選手というのはいないのもあり、私としても『より多くの競技で戦える』と皆さんに知ってもらいたいというのもありました」

 陸上選手では駅伝、トラック、マラソンなどひとつの種目に絞っていく選手がどうしても多い。そんななか、「どの種目でも強さを示して、価値を上げていく方法もあるんだよ、と示したかった」とも口にする。

「やっぱり社会人の選手は、『一社会人としてどうやって貢献するか』『社会に恩返しができるか』と考えた時に、より多くの大会で結果を出すことが、所属先やスポンサーの方たちへの恩返しになるはずだと思います」

 支援してもらっている、もっと率直に言えばお金を出してもらっていることには、結果で返すのが一番だという強い思いが言葉の端々から伝わってくる。

●五輪は夢物語ではなくなった

 新谷は現時点では現役の日本女子ランナーとしてはマラソンで最も速いタイムを持っているが、今年9月のベルリンマラソンで日本記録を狙うことを表明している。

 それは同時に、10月のMGCに出場しない、すなわちパリ五輪を目指さないということでもある。この決断には2021年、コロナ禍で行なわれた東京五輪の10000mに出場したことが大きく影響している。

 開催時は新型コロナの感染拡大防止が叫ばれる真っ只中。そのなかで海外から選手を迎え入れて開催する大会には「今やるべきではない」という反対の声も多かった。

「私がこの競技を始めた時の五輪ほど、『皆さんが夢見ていた五輪』じゃなくなったんだなという現実を理解したという感じです。いつまでも夢物語ではないんだなと。

『今、何が必要なのか』『何が求められているのか』と皆さんが生きるうえでシビアに考えていたあの時は、五輪じゃなかったのかなって」


 参加している選手のなかには、

「自分は競技をしているのであって、社会のこととは関係ない」と思っている選手も多く見受けられ、それにも違和感を覚えたと新谷は言う。

「やはり私たちアスリートは社会に支えてもらってこそ、自分の力を発揮する場所ができる、ということを理解しないといけないと思います」

 試合に臨むアスリートとして、社会の空気とアスリートとのギャップを大きく感じてしまったことも新谷にとっては辛い経験にもなってしまった。

「それが私の周りの人たち、どんな時でも私を応援してくれる人たちにも悪影響を及ぼしてしまいました。

 だから私は自分を守る意味でも、これからも社会に貢献していきたいという意味でも、『記録を狙う』というところに重きを置いていきたいとより考えるようになりました」

 率直な気持ちを口にする。

「すべての人がスポーツに興味があるわけではないので。好きだとか嫌いだとか、自分の価値観を押しつけるのではなく、相手の価値観も知ったうえで私たちは表現をしていかないといけないんだと思っています」

●直すべきところがわかったから前を向ける

 ヒューストンマラソンでは2時間19分24秒でゴールした直後、悔しさをあらわにした。「日本記録更新」を目標に掲げ、強い気持ちで取り組んできたからこその感情の高まりだった。

 だが、「食事内容などを変えていき、血液検査の数値を改善すれば12秒はカバーできるな」とすぐに直すべきところがわかったため、切り替えて前を向くことができた。

 1年前に東京マラソンを走った時は、逆に走り終わって何がいけなかったのか、何がよかったのかがまったくわからなかった。

「だから『マラソンが嫌だ』という気持ちのうえにさらに嫌さを増してしまって『もうマラソンは走りません』と言ったんですが、あれはあの時点での私の正直な気持ちでした。

 今回は(2021年秋シーズンの)駅伝もしっかり走って、それによってちょっと練習などが左右された部分はありましたけど、それも含めてクリアするべきところ、改善すべきところがわかったので、私にとってはプラスだったと思います」

 これからのシーズン、まず大きな目標は9月のベルリンマラソンでのマラソン日本記録更新。「4つの日本記録」のうち、もうひとつ更新できていない5000mの記録更新も視野に入れているという。

 しかし9月から逆算して、タイミングのいいレースがあれば出場するという考えで、「もしいいレースがなければそこは来年に持ち越しかなと思います」と潔く考えている。

 レースを選ぶ基準も、勝ち負けではなくあくまで「タイムが出せるか」。その意味で日本のレースに出場する選択肢は今のところないと話す。

 新谷の走りを国内で見られないのは寂しいと思うが、との質問には「そしたら、世田谷の砧公園のあたりに来てもらえれば走ってるので、大丈夫です、いつでも見られます」とちゃめっ気も交えながら返す。

●責任を自覚して結果で返す

 日本トップレベルのランナーでありながら、「走るのは嫌い」と常々公言している新谷。

 しかし、自分の商品価値を上げるために走り続ける姿には、強いプロ意識を感じる。それを本人に伝えると「ありがとうございます」と笑顔を見せつつ、「まあでも悪い言い方で言えば、両立ができない、ひとつのことしかできないんだと思います。今は仕事優先って思ったら、一直線に仕事ばかりしてしまうので、性格的にも気難しさはあるし、人付き合いにはマイナスになったりすると思うんですよね」と冷静に自分を分析する。

「プロ意識って言ってもらえるのは幸いなんですけど、やっぱり『責任があるかないか』だと思うんです。お給料をもらっている身としては、やらなきゃいけないのが当たり前だと思うんですよね。

 なのでそこはしっかり徹底したいなと。何を返せるかと考えたら『結果』しかないと思ってやっています。それが皆さんが言うプロ意識につながっているだけで、私は単純にわがままだなって思ってます」

 そうはっきりと言ってまた笑う新谷。不器用で繊細でまっすぐな彼女が切り開く新しい道を楽しみに見ていたい。そう思わせる取材となった。


取材は3月下旬に東京で開かれたランイベント

「ADIDAS TOKYO CITY RUN 2023」後に行なった

【プロフィール】
新谷仁美 にいや・ひとみ 
1988年、岡山県生まれ。積水化学所属。岡山・興譲館高校時代は全国高校駅伝1区で3年連続区間賞。2007年東京マラソン初代優勝、2012年ロンドン五輪10000m9位、2012年、2013年世界選手権10000m5位などの結果を残しながらも2014年に一度引退。2018年に復帰し、2020年にハーフマラソンで1時間6分38秒、10000mで30分20秒44の日本新記録を樹立。2021年東京五輪10000mで21位。