「SOS」の信号に、ワールドカップ出場3回の36歳が気を吐いた。 6月24日、2019年ラグビーワールドカップの開幕戦の舞台である「東京・味の素スタジアム」で、日本代表(世界ランキング11位)は3年後の本大会で同組に入ったアイルランド代…

「SOS」の信号に、ワールドカップ出場3回の36歳が気を吐いた。

 6月24日、2019年ラグビーワールドカップの開幕戦の舞台である「東京・味の素スタジアム」で、日本代表(世界ランキング11位)は3年後の本大会で同組に入ったアイルランド代表(同3位)とテストマッチ第2戦に臨んだ。


目を閉じて君が代を口ずさむトンプソン ルーク

 先週17日に行なわれた1試合目は、ボールを持っていない状況で気持ちの入っていないプレーが目立ち、22-55と大敗。「貪欲に死にものぐるいになって勝つ気持ちが足らなかった」と、日本代表の指揮官であるジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)を落胆させた。

 しかし、2試合目は開始早々から気迫をむき出しにして、グラウンドを駆け回った。13-35で敗れはしたものの、プレーぶりはまさに「ブレイブブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」の愛称どおり。なかでも、先頭に立ってその姿勢をもっとも体現していたのは、LO(ロック)トンプソン ルークだった。

 身長196cmの体躯を誇るニュージーランド出身のトンプソンは、関西弁を流暢に話すことでも知られるロックの選手だ。2015年のワールドカップでは4試合ともフル出場を果たし、ラインアウトやキックオフといった空中戦や接点など身体を張るプレーで南アフリカ代表戦の勝利にも大きく貢献した。しかし、同大会を3勝1敗で終えたアメリカ代表戦の直後、トンプソンは代表引退を宣言する。

「すごくプライドを持って戦うことができました。(W杯)準々決勝には進出できなかったけど、新しい歴史を作ることができた。今日で僕は代表引退です。ちょっと寂しいですけど、僕の最後のテストマッチでした。キンちゃん(大野均)は4年後もたぶん大丈夫だけど(笑)、僕はおじいちゃんだから無理です」

 ところが、アイルランド代表との第1戦を終えた直後、日本代表の「緊急事態」にトンプソンは代表復帰を決意する。ジョセフHCはトンプソンを招集した理由をこう説明した。

「ロックが5人ケガをしています。昨秋に主力ふたりがケガを負い、2015年W杯メンバーの真壁(伸弥)と大野(均)も負傷で離脱。『SOS』を発信したら、彼が来てくれました。日本代表60キャップ以上のベテランなので、大きなテストマッチでは必要不可欠な存在です。今いる人材で今後をどう見据えるかということも大事ですが、彼の経験や能力を考えると他に選択肢はなかった」

 トンプソン自身も、ふたたび桜のジャージーを着ることになったことを素直に喜んだ。

「(アイルランドとの第1戦が行なわれた17日の)土曜日の夜にジェイミーから『ケガ人が多くて1週間だけ(お願い)』と電話がありました。日本代表は特別なチームです。難しい判断だけど、簡単な判断でした。日本代表を助けたい。(招集されて)めっちゃ、うれしいです」

 トンプソンは高校卒業後、ダブリンに1年間住んでいたこともあり、アイルランド代表が「特別な相手」だったこと、そして積み上げてきた63キャップのなかで一度もアイルランド代表と対戦したことがないことも背中を押した。

 2015年までワールドカップに3大会連続で出場しているトンプソンは、ニュージーランドの農場の息子として生まれる。父はラグビー選手、妹はネットボール(※)選手というスポーツ一家に育ち、小さいころからサッカーや13人制ラグビーをプレーしていた。そして13歳のとき、クライストチャーチの高校入学と同時に15人制ラグビーに専念。そこから頭角を現し、各年代の代表にも選ばれた。

※ネットボール=バスケットボールのルールを基準に、女性もプレーしやすいように改良されたスポーツ競技。

 しかし、同じポジションに「オールブラックス」の選手が大勢いたこともあり、スーパーラグビーのチームではなく日本行きを決断。2004年に三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック)に入部する。その後、出場機会を求めて2006年に近鉄ライナーズへ移籍。2008年にはチーム史上初となる外国人主将に就任し、2010年には日本国籍も取得した。大阪の水が合っていたようで、近鉄には現在まで11年間在籍している。

 そんなトンプソンにとって、アイルランド代表との2戦目は2015年ワールドカップ以来、1年8ヵ月ぶりのテストマッチだった。日本代表に合流して1週間足らずだったものの、「4番」を背負っていきなり先発を託される。「彼には経験があるし、チームに自信をもたらしてくれる。フィジカル的な存在感も見せ、ラインアウトのオプションも初日で覚えてくれた」(ジョセフHC)。

 かつては「仲間を鼓舞するために」君が代を大声で歌っていた。しかし今回は、目を閉じて噛みしめるように歌っていた。その姿に胸を打たれる。

「日本代表に来たら、ベストを尽くすのは当然。僕の仕事をするだけ」

 言葉どおりにトンプソンは前半2分、いきなりビッグタックルを披露して相手のボールをターンオーバーする機会を作る。ラインアウトでも長身を活かして起点となり、スクラムも懸命に押し続けた。36歳のチーム最年長ながら、なんと80分間のフル出場。日本代表のプライドとはどういうものなのか、若い選手に身をもって教えるかのような愚直なプレーぶりだった。

 タックル数は両チーム合わせても断然トップの24回。文字どおり、もっとも身体を張った選手だった。試合後、「両肩が痛いね」というトンプソンの表情は、試合には負けたものの晴れやかだった。

「日本代表として最後の試合となったから、すごく特別だね。日本代表のジャージーを着てプレーすることは本当に誇り。ここに立てたことはうれしいし、日本で生まれた3人の子どもにとっても誇らしい」

 試合後、敵将のジョー・シュミットHCは「トンプソンの精度の高いタックルは存在感が大きかった」と、36歳のベテランを名指しで称え、ジョセフHCも「トンプソンの招集は前向きではないという雰囲気や、年を取り過ぎてプレーできないという声もあったと思いますが、今日のパフォーマンスで世界レベルのロックだということを示してくれた」と最大級の賛辞を送った。

 ゲームキャプテンのFL(フランカー)リーチ マイケルは、同じニュージーランド出身の先輩の奮闘に目を細める。

「トモ(トンプソンの愛称)・ルークはすべてを出し切ってプレーしてくれる選手。日本出身者ではないが、日本代表ジャージーに対してすべてを捧げることを、チームの文化として残してくれたひとりです。今回日本代表に復帰し、こういったパフォーマンスしてくれたのは素晴らしいこと。11月にジェイミー(・ジョセフHC)の(日本代表の)選手を選ぶ仕事が難しくなるのではないかと思います」

 まだ日本代表レベルでプレーできることを証明したトンプソンだが、一方で今後の代表活動に対しては、残念ながら消極的だ。

「日本には若く、才能のあるロックもいる。私は36歳だし、今回かぎり(の復帰)です」

 しかし、一度引退を表明したものの、選手として現役復帰し、2015年のワールドカップに38歳で出場した南アフリカ代表のLO(ロック)ヴィクター・マットフィールドの例もある。

「ワールドカップはスタンドから応援する。2019年に出場するのはキンちゃんだけ(笑)」と言いつつも、トンプソンは「『Never say never(絶対ないとは言えない)。誰もいなかったらやるかもしれないけど』とわずかながら含みも残した。また、同じポジションのLO(ロック)谷田部洸太郞が「トモさんは日本代表のジャージーを着る責任感がすごかったし、それは見習わなければならないが、もっと自分たちが底上げしないといけない」と言うように、2019年を考えれば若い選手の台頭も必要不可欠である。

 ただ、ワールドカップは経験がモノをいう舞台であり、日本開催というプレッシャーもある。ここまで高いパフォーマンスをする選手を放っておくのはもったいない。もしかしたら、2019年にふたたび緊急事態が生じ、トモが招集されて躍動する日が来るかも……。それを心のなかで、どこか期待しているファンも多いことだろう。私も、そのひとりである。