永井秀樹「ヴェルディ再建」への道(2)連載(1)から読む>>目先の勝利より、大切なことがある 高円宮杯U-18サッカーリーグ・プリンスリーグ関東(※)の開幕が目前に迫った3月29日、東京ヴェルディユースは早稲田大学と練習試合を行なった。…

永井秀樹「ヴェルディ再建」への道(2)

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目先の勝利より、大切なことがある

 高円宮杯U-18サッカーリーグ・プリンスリーグ関東(※)の開幕が目前に迫った3月29日、東京ヴェルディユースは早稲田大学と練習試合を行なった。
※高校とクラブなど第2種登録チームのすべてが参戦し、ユース年代のトップを決めるリーグ戦。最高峰のリーグは『プレミアリーグ』と呼ばれ、EAST10チーム、WEST10チームで争われる。その下のクラスに、各地域(北海道、東北、関東、北信越、東海、関西、中国、四国、九州の9地域)ごとに行なわれている『プリンスリーグ』がある。

 今季からユースの監督に就任した永井秀樹から選手への指示は、「自分たちでのボール保持とゲーム支配。絶対に下がらず、狙うのは前からのプレッシャーとインターセプト」のみだった。

「自分の目指すサッカー、”色”をはっきりと浸透させたかった。『90分間のボール保持とゲーム支配』『90分間ボールを持ち続けて(相手を)圧倒して勝つ』というのが、自分の目指すサッカー。目指す形を極端すぎるくらい叩き込まないといけないと思ったので、あえて守備の話は一切しないようにしていた」

 選手たちはある意味、永井の指示を忠実に守った。結果、ヴェルディユースはここまでの練習試合と同じく、早稲田大学にも0対15(45分×3本)という大敗を喫した。

「『練習試合は全員使う』というのが自分の考え。早稲田との試合も、1年生だろうと関係なく全員使った。それはやられるよね。ついこの間まで中学生だった子が、大学4年生に裏にボールを蹴られて、『よーいっ、ドン!』って走られたら勝てるわけない(笑)」

「甘いかもしれないけれど……」と前置きしたうえで、永井は「勝ち負けよりも大切なことがある」と話した。しかし、勝負事である以上、最も大切なことは”勝利”ではないか。ましてプロとして生き残るためには、何を差し置いても勝負根性を叩き込むことが大切なのではないか。

 永井に聞いた。

「本質を大切にして、いいサッカーをして勝つ。これを目指さずに勝ったところで何の意味があるのか、と自分は思う。『何でもいいから勝てばいい』というサッカーには興味はない。いいサッカーをすれば、必ずその先に自ずと結果も、勝利もついてくる」

――勝負にこだわっていないわけではないと?

「もちろん。最も厳しい勝負の世界で長く生きてきた人間として、リーグ戦や公式戦で、選手たちに『負けてもいいよ』とは絶対に言わない。どんな試合でも、当然100%で勝ちにいく。でも、『目先の勝利より大切なことはある』ということは、選手たちに伝えていきたい。無論、プロとして生きていくなら、なおさらね」

 プロとは何たるか。アマチュアとプロの違いは何か。

 現役時代、永井がこんな話をしていたことを思い出した。

「Jリーグは”文化”として根づくことが大事。文化になるためには、いいサッカーをみんなが追求することが大切。どれだけ”感動”を届けられるかが重要。サッカーは芸術。だから、サッカーにとってのライバルは、クラブ同士ではなくて、例えば『映画』や『ディズニーランド』といった、サッカー以外のエンターテインメントだと考えてもらえるような業界にしたい。ディズニーランドに家族で行くよりも、価値がある試合を見せることができるかどうかが勝負だと思う」

 プリンスリーグ関東開幕の1週間前になって、永井はようやく守備の修正に取りかかった。

 ヴェルディユースは、最終調整として、高校、Jクラブユースの強豪15チームが集結した『船橋招待U-18サッカー大会』に参加。大会前、永井は監督に就任して以来、初めて守備をテーマに40分間のミーティングを開き、初めて守備のトレーニングを行なった。大会が始まると、大量失点はなくなり、ヴェルディユースは予選を勝ち抜き、決勝リーグに進出して3位に食い込んだ。

「強豪ばかりの大会で3位になって初めて、周りも『なんだ、きちっと修正できるじゃん』となった(笑)。自分にしてみれば、選手のポテンシャルはわかっているから、最初から守備に重きは置きたくなかったんだけどね。佐伯(直哉)、土肥(洋一)というJでの豊富な経験を持つ、守備のスペシャリストふたりの素晴らしきコーチにも助けられた」

永井秀樹の、監督としての「原点」

 4月8日、プリンスリーグ関東開幕――。

 ヴェルディユースは初戦、昨年度の全国高校サッカー選手権準優勝チームで、下馬評では優勝候補に挙げられている前橋育英高と対戦。その強豪を無失点に抑えて、0対0で引き分けた。

 続く2戦目は、山梨学院高を相手にして圧倒的にボールを保持するものの、1対3と敗れた。しかし第3戦では、直前の練習試合で0対7と敗れていた横浜FCユースを4対3で撃破。リーグ戦初勝利を挙げた。さらに、4戦目の三菱養和SCユース戦も1対0と勝って、連勝を飾った。

 そして5戦目、筆者が半年ぶりにヴェルディのグラウンドに出向いたこの日、ヴェルディユースは無敗で首位に立つ川崎フロンターレU-18(勝ち点10。3勝1分)と対戦することになっていた。

「プリンスリーグが開幕する目前に、自分の現役時代のことをまとめた特集映像があったので(選手たちに)見せた。選手たちは『なんで、永井さんの特集?』と思ったかもしれない。でも、俺のサッカー人生を特集した映像だけど、それはヴェルディの歴史を紹介する内容でもあった。

 そして、選手たちには『これが、俺と緑のユニフォームの歴史だ。俺の現役のサッカー人生は終わった。これからは、みんなの時代だ。今日からは、ここにいるみんなが新しいヴェルディの歴史を創るんだ。そのためなら、俺は何でもする』と話した」

 ヴェルディの前身、『読売サッカークラブ』は1969年10月1日、日本初のプロを目指すサッカークラブとして誕生した。ヨーロッパのスタイルに、ブラジルの個人技が加わった”異端児のサッカー”はすぐに頭角を現し、1970年代から1990年代前半にかけて「国内最強」と呼ばれた。与那城ジョージやラモス瑠偉ら華麗なテクニックで魅了する選手たちは、子どもたちの憧れの存在だった。永井もまた、そんな読売サッカークラブの選手に憧れて、プロサッカー選手を夢見たひとりだった。

「もちろん、今トップチームでがんばっている若き選手たちに”バトン”を預けたつもりだけど、本当の意味で未来のヴェルディを支える、10代の子たちにも(自らの思いを)伝えたかった。『俺なんかより、もっと輝かしい歴史を創れ。ヴェルディの輝かしい未来は、みんなのがんばりにかかっている』と」

 首位フロンターレU-18との試合は、プリンスリーグ関東の前半戦最後の試合でもあった。

 ヴェルディユースは開始直後から体格で勝る相手に押し込まれ、ほぼ自陣内でプレーする苦しい展開を強いられていた。それでも、マイボールになれば、永井から指導された”止める”“蹴る”を実践しパスをつなぎ、『90分間のボール保持とゲーム支配』『90分間ボールを持ち続けて、圧倒して勝つ』を目指して走り続けた。

 そうして前半37分、ヴェルディユースはPKのチャンスを得ると、それを確実に決めて先制する。後半は一進一退の攻防が続いたが、1点リードのまま逃げ切り勝ち。順位は3位ながら、1位・前橋育英、2位・フロンターレU-18と勝ち点で並んで前半戦を折り返すこととなった。

 試合終了の笛が鳴ると同時に、ベンチ前の永井は「危なかったなあ」とつぶやき、安堵の表情を浮かべて大きく息を吐いた。

 試合後、クラブハウスに戻ってインタビューする。まず、早稲田大学に0対15で負けた練習試合。あの試合こそが、永井秀樹の”ヴェルディ改革”にかける意思表示ではなかったか、と聞いてみた。

「それは何年かして、ある程度結果が出て、形になったときに初めて、胸を張って言えることかもね。『自分の監督としての原点は、0対15だった』って。今はそんなこと、言ったとしても誰もわからない。これからも0対10で負けるかもしれないし、チームもまだそこまで成熟していないから」

――ただ、「0対15になるようなチャレンジ、荒療治ができるのは永井秀樹だから」と思った。ユースとはいえ、普通の監督ではできないのではないか。

「どうかな(笑)。トップチームだったらクビだよね。サポーターにバスを囲まれて帰れなくなる(笑)。真意は、今は誰もわからなくていいと思っている。周りからは『ユースの監督、ほんとに永井で大丈夫か!?』くらいに思われていていい。現役の頃も何かと批判され続けてきたサッカー人生だからね(笑)」

 永井のヴェルディ再建は始まったばかり。日々、表情にあどけなさを残す10代の名もなき選手たちと向き合い、どうすればうまくできるか、どうしたら少しでも成長できるかを模索し、四六時中、そのことばかり考えている。


グラウンドを見つめながら、ヴェルディの再建について語る永井秀樹

 インタビューを終えると、永井はクラブハウスの食堂からグラウンドを眺めた。永井が初めてこの場所に来たのは、35年前の1982年。第6回全日本少年サッカー大会に大分県代表として出場したときだ。小学6年生だった。

 当時、よみうりランドは全日本少年サッカー大会の会場で、サッカー少年にとっては”聖地”だった。

「そう考えると、今自分がこの場所で指導者をしていることは、感慨深いものがあるよね」

 試合を終えて帰る選手を横目に、グラウンドの隅で黙々と居残り練習をしている選手が見えた。

「ああいう姿を見ると、『どうにかして試合で活躍できるように育ててあげたいな』と思うんだよね」

 永井は、笑みを浮かべた。

 いつの日か、よみうりランドが再びサッカーの”聖地”になる日は来るのか。かつての読売サッカークラブのように、ヴェルディがサッカー少年の憧れになる日は来るのか。

 グラウンドを見つめる永井の視線の先には、何が見えているのだろうか。

(つづく)