3月5日の東京マラソンで男子は、日本記録(2時間04分56秒)の更新をターゲットとした、1km2分57秒のペース設定を目安に行なわれた。2021年東京五輪以来の国内マラソンとなった大迫傑(ナイキ)も参戦するなか、日本歴代3位の2時間05分…
3月5日の東京マラソンで男子は、日本記録(2時間04分56秒)の更新をターゲットとした、1km2分57秒のペース設定を目安に行なわれた。2021年東京五輪以来の国内マラソンとなった大迫傑(ナイキ)も参戦するなか、日本歴代3位の2時間05分51秒を出して日本人1位になったのは、マラソン3回目の山下一貴(三菱重工)だった。
最後まで力走し、日本記録3位の結果を出した山下一貴
中間点は先頭が1時間02分08秒で通過と、日本記録大幅更新を狙える展開で進んだレース。そのなかで日本勢は25km通過時も先頭集団に10名が残り、ペースメーカーが外れる30km通過時も6名が残る健闘を見せた。
30km手前から集団のペースが落ちていたが、31km過ぎから井上大仁(三菱重工)が集団を引っ張り始めた。「正直、2週間前から花粉症をこじらせて調子が落ち、走るかどうかを迷っていました。でも走らなければいけないと覚悟を決めたし、今回は記録も狙っていたので。ゆとりがあるわけではなかったですが、外国勢がペースを落として力を溜めるのだったら、レースを動かさなければいけないと思った」という仕掛けだった。
すると、集団の後方に位置していた山下も前に出てきて井上に並んだ。そのシーンを山下は、笑顔でこう振り返った。
「あそこは井上さんと何か話していたわけではなかったけど、『井上さんが引っ張っているから自分も行こうかな』くらいの気持ちで。並んで走ってテンションが上がるというか、いい絵だなと思って走っていました」
そのあと、33km手前で井上が下がると自分が引っ張る形になった。
「自分としては順位よりも記録を意識して走ろうと思っていたし、強い選手もいっぱいいたので自分が前に出れば引っ張り合いながらタイムを狙えるかなと思っていました。でも誰も出てくれなかったので......」
と言うように、37km過ぎまで集団を引っ張る形になり、そこから1kmを2分50秒ほどに上げた仕掛けには対応できなかった。
だが、エチオピア勢など6人が前に行ったあと、日本勢は山下と大迫、其田健也(JR東日本)の3人になってからも積極的な走りをした。38km手前で其田が遅れたが、38.5kmでは大迫が前に出て、39km過ぎには再び山下が前に出た。
「ずっと自分のうしろにいた大迫さんが前に出た時は『このまま行かれてしまうかもしれない』と思ったけれど、思ったより大迫さんのペースが上がりきっていなかったので、逆につかせてもらうことによって、動きの修正ができたかなと思います。そのあとに、大迫さんの前に出て行けたというのが、頑張れたポイントかなと思います」
こう話す山下は残り2kmを過ぎてから大迫を離して日本人トップを確実にした。
「日本人トップを確信したのはラスト200mくらいですが、その時は5分台が出るか出ないかギリギリだったので必死で、表情を緩める余裕もありませんでした」と、最後まで力走し、日本人3人目の2時間5分台を実現した。
【山下一貴の走りの魅力】
そんな山下の初マラソンは2021年2月のびわ湖毎日マラソンだった。そこでは、日本記録を狙った鈴木健吾(富士通)などが5kmを14分50秒前後のペースで30kmまで行くなか、山下は15分ペースの第2集団で走っていた。30kmを過ぎてから3位になった細谷恭平(黒崎播磨)が抜け出すのには対応できなかったが、それでも2時間08分10秒で18位と合格点の結果を出した。
そして2回目の昨年2月の大阪マラソンでは、31kmから前に出て引っ張る積極的な走りを見せて2時間07分42秒で2位になっていた。
今回の好結果の要因を、ここ数年新型コロナ感染拡大の影響から、チームとして行けていなかったニュージーランド合宿ができたことだという。今年1月の約1カ月間、起伏のあるタフなコースでしっかり足作りができた。そして、これまでよりスピードを上げた練習が出来たことで、過去2レースの1km3分ペースから、2分57秒ペースへ上げる挑戦もできたと振り返った。
指導する三菱重工の黒木純監督はこう話す。
「山下は井上や、1週間前の大阪マラソンを走った定方俊樹(三菱重工・2時間07分24秒で10位)とずっと一緒に練習をしていたが、三者三様にみんないい練習ができていました。そのなかでも、山下の場合はどんなレースも冷静に進めるタイプなので、井上より面白いかなと感じていました。3分を切ったペースは初めてでも、たぶん行けるなと思っていたし、本当にグッと我慢して勝負どころで仕掛ける試合度胸というか、物怖じしないところが彼にはあるので。2回目のマラソンでも30kmを過ぎてから仕掛けていましたが、そういうところを見れば、どこまで行けるかはわからなかったけど、日本人トップ争いはするだろうなと思っていました」
所属する三菱重工の拠点である長崎市出身の山下は、駒澤大時代にエースとして注目されるまでの存在ではなかったが2年生から4年生まで2区を3回走り、区間13位、9位、13位という結果を残している。本人は「けっこう悩んだ大学4年間でしたが、大八木弘明監督から『ゆくゆくはマラソンで戦っていくように』と言われて、夏合宿や普段の練習でも距離を踏んでいました。ただ、箱根の2区も3回走ったけどいいタイムではないので、自信になっているかというとイマイチですね」と苦笑する。
それでも黒木監督は、「レースの中間でも力みのないフォームで淡々と走るところが魅力的だったので、そういうところを伸ばせば今のような感じになるかなと思っていた」とスカウトの理由を話す。さらに「大きな目標を『こうする』とか言わないですが、本当に練習に関してはコツコツやるタイプです」と評価する。
本人もスピードのないことを自覚しているからこそ積み重ねることを重視し、マラソンでも「ラストで勝てる選手ではないから、途中で仕掛けて勝負していくしかない」と考えている。
【日本人トップになれた理由】
そして今回、大迫という結果を出している選手がいても強気で行けた理由をこう話す。
「自分が『引っ張って欲しい』という感覚になり、うしろにつこうと強く考えてしまったのが、前回の2位になった大阪でした。だから、今日はうしろにつかせてもらおうという感覚はなくて、一緒に走るなり、ちょっとリズムをもらうなりという考えでした。去年はつかせてもらおうと強く思ったから、そこで1回腰が引けて自分のリズムを失ってしまい、抜け出していく星岳くん(コニカミノルタ)に対応できませんでした」
そんな反省を生かしての日本人トップだった。
「大八木監督からも黒木監督からも、『お前、もっと欲を持て』というのはけっこう言われています」と苦笑する。
黒木監督も「井上は『ガツン』とできるタイプだけど、山下はジワジワ行くタイプだから、MGCを考えれば上りで仕掛けていくくらいじゃないと、うしろを切り離せないですね。だからこれから、日本代表になっても今回と同じような走りができるかどうかです。今回、日本人トップになって、性格がどう変わるかというのもありますが、今日も新しいシューズがもらえるのに『これがあったので、履きます』と言って去年の型を履いたくらい、こだわりがないので。あまり欲張らずに淡々とやって欲しいですね」と見守る。
そんな山下だが、今回は最後で少し悔しさも感じた。37km過ぎから外国勢に突き放されたが、1位とは29秒差で6位とは13秒差という結果だったからだ。「あそこでもう少しついていれば、もしかして戦えたかもしれないな」という気持ちで最後は走っていたと言う。
「ずっとパリ五輪を目標にしてやってきていますが、大会ごとに目標は違います。今回は初めて1km3分切りにチャレンジしたいというモチベーションでした」
今回の記録で日本陸連が設定する世界選手権派遣記録突破をし、出場するか否かを1番手で選択できる権利を得た。もし世界選手権に出場するなら、その7週間後にはMGCも走らなくてはならない。それをどうするかは未定だが、「黒木監督が前に『世界選手権に出てMGCも走るくらいタフな選手じゃないと』みたいなことも言っていたので、両方出てみたいという気持ちもあります」と笑顔を見せた。