堀口恭司 インタビュー中編格闘家としてのルーツ(前編:日本の総合格闘技が「遅れてる」理由。RIZINとBellatorの対抗戦でも見えた「完成度の差」はなぜ生まれるのか>>) 筆者はかつて、山本"KID"徳郁さんがパーソナリティを務めていた…
堀口恭司 インタビュー中編
格闘家としてのルーツ
(前編:日本の総合格闘技が「遅れてる」理由。RIZINとBellatorの対抗戦でも見えた「完成度の差」はなぜ生まれるのか>>)
筆者はかつて、山本"KID"徳郁さんがパーソナリティを務めていたラジオ番組で一緒に仕事をさせていただいたことがあるが、取材の場に現れた堀口恭司選手のシルエット、特に服の上からでもわかる肩回りの大きさを見て、在りし日のKIDさんを思い出した。インタビュー中の堀口選手の「そうっすね」という口調も、瓜二つだった。
堀口選手は現在のアメリカン・トップチーム(ATT)に所属する前に、KIDさんが設立した総合格闘技のジム「KRAZY BEE」で腕を磨いていたが、師匠はどんな人物だったのか。さらに、5歳の頃から取り組んでいた空手が格闘技で生きている部分など、そのルーツを探った。
笑顔も見せながら、自らのルーツを語った堀口
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――堀口選手の格闘家としてのルーツは、相手に直接打撃を当てない伝統派空手(松濤館流)とのことですが、遠い間合いから一瞬で間を詰めるスピードは伝統空手によるものですか?
「あれは完全に伝統派の影響です。『踏み込みが速い』と言われることもあるんですけど、自分ではわからないんですよ。(空手を始めた)5歳の頃から、あれが普通なんで」
――空手を経験してプロの格闘家になった選手は、たとえば極真空手のように、ずっとフルコンタクト(直接打撃制)でやっていてプロへ、という流れが多いイメージがありました。堀口選手がMMAで世界のトップまで上り詰めたことで、伝統派空手の印象も変わったかもしれませんね。
「僕は小さい頃にK-1などを見ていて、『伝統派空手は世界で通用する』と思っていたんです。だから、僕としては当然のことでしたけどね」
――伝統派空手は、格闘技に転用できる部分が大きいのでしょうか?
「僕はそう思います。スピードや、間合いなどもそう。総合格闘技は組みもあるので、うまく組み込んでいく必要がありますが、立ち技の格闘技ではかなり生かせるんじゃないですかね」
【ボコボコにされて闘争本能に火がついた】
――ただ、最初は空手を嫌々やっていたとも聞きます。いつ頃から楽しくなっていったんですか?
「中学生の時に、(防具をつけながらの直接打撃もある)『一期俱楽部』という栃木県足利市にある空手道場で、館長だった二瓶さん(故・二瓶弘宇氏)の息子で同級生の二瓶孔宇と対戦することになったんです。事前に、親父が孔宇のビデオ見ていて『めっちゃ強いよ』と言っていたんですが、僕は『いやいや、全然いけるっしょ』と思っていて。でも、いざ対戦したらボコボコにやられたんですよ。そこから、『コイツを絶対にぶっ飛ばす』と思うようになったんです(笑)」
――その一期俱楽部で直接打撃を学ぶことになるわけですが、その日に闘争本能に火がついた感じでしょうか。
「その日は、合計4人と対戦して3人に負けたんです。もともと負けず嫌いなので、悔しくて火がついた感じですね。それからは、他の子たちが手を抜いていても、僕はひたすら『勝ちたい』と思って本気で練習しました。自分が強くなっていくのがわかったし、それがワクワクして夢中になっていったんです」
――堀口選手の出身地は群馬県高崎市ですから、移動には時間がかかったんじゃないですか?
「そうっすね。当時は高速道路も通ってなかったんで、行きも帰りも1時間ずつ、往復2時間くらいかかってましたね。ずっと、父親が車で送り迎えしてくれていました」
――プロとして活躍するようになってからも、試合で日本に帰国した際には一期俱楽部の道場で空手の稽古をしているそうですね?
「コロナ禍になってからは、子どもたちがたくさんいるところには行けなくなっちゃいましたけどね。その前まではずっと行ってましたよ。試合前に時間を取って、空手をやっていた頃を思い出しながら稽古して、試合に臨んでいました」
――アマチュア修斗時代の写真のなかに、今と変わらない距離と角度でカーフキックのような蹴りを出している写真を見たことがあります。日本でカーフキックが注目されるようになったのはここ数年だと思いますが、空手には似たような技があるんですか?
「カーフキックは、空手の足払いの応用という感じ。でも、ちゃんとカーフが効くとわかったのは、アメリカに練習拠点を移してからです」
――最近では、平本蓮選手も空手(剛毅會)の稽古をしていて、それがMMAに生かせている、という発言もしていますね。
「挑戦する人はたくさんいますけど、すぐに諦めることも多いですよね。やはり自分に何が必要かを考え抜くことが大事です」
【師匠KIDさんとの練習とやりとり】
――栃木県の名門・作新学院高校ではインターハイにも出場。卒業後、KIDさんに憧れて弟子入りすることになります。ジムのKRAZY BEEでは体の大きさが同じぐらいなので、スパーリングもしたそうですね。
「一緒に練習することは多くなかったですけどね。スパーをやる時は、僕のほうが距離が遠いので、KIDさんはやりづらそうでした。KIDさんはどちらかというとカウンタータイプでしたし、僕はずっとサークリングしながらフックや蹴りをくらわないようにしていましたから。もらっちゃうとKOされちゃうんで(笑)」
――レスリング技術はKRAZY BEEで身につけたんですか?
「弟子入り前はレスリングと柔術が全然できなかったんで、KRAZY BEEでずっと伸ばそうと頑張ってました。それでも、技を決められるようになるまでは時間がかかりましたね」
――2015年、堀口選手がKIDさんに「ATTに行こうと思ってます」と告げ、KIDさんが「ジムに誰もいなくなっちゃう(笑)」と答えたやりとりが動画で残っていますが、愛弟子を笑って送り出すKIDさんの姿が印象的でした。
「KIDさんはいつも止めないんです。普通のジムの代表さんは、『ダメ』って言うと思うんですけど、KIDさんは、『いいじゃん、行ってきなよ』って。KIDさんとは、(2018年9月に)亡くなる前も連絡を取り合っていて、『俺もちょっとATTに行きたいんだよね』ってメッセージを送ってきてくれて。僕も『いつでもいいっすよ。みんなに話しておきます』と返したんですが......実現しなかったことは残念でした。本当に、寛大な方でしたね」
――堀口選手がATTで練習することを決めた理由は?
「もっと自分の穴を潰して、上に行くため。それしかないです。日本にいたままだったら、たぶん僕は当時の自分に満足しちゃってたと思います」
【格闘家としての「穴」の埋め方】
――ちなみに、現在の堀口選手にも穴はあるんでしょうか?
「ありますよ。どんな選手にも穴はあるんで、そこを潰していかないといけない。その穴はだいぶ狭まりましたし、今後も続けていけば選手生命も伸びて、より上に行けると思っています」
――前回の扇久保博正選手との試合では、スタンドやグラウンドなど全局面で圧倒していたように見えました。
「まだまだです。世界にはもっと打撃も寝技も強い選手がいると思うし、そこにチャレンジしたいんで。世界のトップ選手は立っても寝ても強くて、その上でストロングポイントがあるので、勝つのは簡単じゃないですよ」
――堀口選手のストロングポイントは打撃になりますか?
「そうっすね。でも、打撃はタイミング。1発入ると終わっちゃうパターンが多いから、ストロングポイントとしてどうなのか、ということも考えます。僕は打撃が得意だけど、あまり打たれ強くないので。ラッキーパンチをもらうと一気に意識が飛んじゃう。
そういう1発をもらっちゃうのは自分に隙があるからなので、そこを潰さないといけない。防御の技術を高めて、いかに相手の打撃をもらわずに自分の打撃を当てるか。それを研究しながら練習してます」
(後編:「日本で1番の格闘技団体にしたい」。新団体の構想と「一緒に練習しながら」の選手育成>>)
【プロフィール】
堀口恭司(ほりぐち・きょうじ)
1990年10月12日生まれ、群馬県高崎市出身。5歳から空手を始め、高校卒業後に山本"KID"徳郁氏のジム「KRAZY BEE」に入門。2010年に修斗でプロデビューを果たし、2013年からUFCに参戦。2017年にRIZINと契約し、翌2018年12月にRIZINバンタム級、さらに2019年6月にBellatorバンタム級の王座を獲得。2大タイトル同時制覇を成し遂げた。2019年11月に負傷により両タイトルを返上。翌年12月の朝倉海戦で王座を奪還した。現在はRIZINとBellatorの両団体で活躍中。