2023年の全豪オープン車いすテニス部門は「国枝慎吾引退」の衝撃とともに幕を開けた──。 誰もがその不在を強く意識し、同時に、自身こそが車いすテニス界を牽引していくとの使命感を胸に宿す。 そんな「ポスト国枝時代」最初のグランドスラム決勝戦…

 2023年の全豪オープン車いすテニス部門は「国枝慎吾引退」の衝撃とともに幕を開けた──。

 誰もがその不在を強く意識し、同時に、自身こそが車いすテニス界を牽引していくとの使命感を胸に宿す。

 そんな「ポスト国枝時代」最初のグランドスラム決勝戦は、第1シードのアルフィー・ヒューエット(イギリス)と、第3シードの小田凱人の顔合わせとなった。

 四大大会の単決勝戦に、国枝慎吾の名がないのは6大会ぶりのこと。25歳と16歳の若い頂上決戦を制したのは、国枝の退位により世界1位に繰り上がったヒューエットだ。



レジェンド国枝慎吾がついに引退を決断した

 6-3、6-1と簡単に見えるスコアながら、肩を波打たせ泣く勝者ヒューエットの姿が新王者の背負った重圧を物語る。ヒューエットにとって全豪のタイトルは、3度目の挑戦にして初めて手にする悲願でもあった。

「過去2度の決勝の敗戦は、僕にとって呪縛だった」と彼は言う。

 すでに全仏と全米のタイトルは3つずつ持つヒューエットだが、全豪とウインブルドンのタイトルはない。昨年は両大会で決勝に勝ち上がるも、いずれも国枝にフルセットの死闘の末に阻まれた。

 ダブルスでは、すべての四大大会を制した。25歳にして16ものタイトルを誇る彼は、シングルスでのグランドスラム制覇に並々ならぬ情熱を燃やしている。

 全豪オープン優勝後、彼はその理由を次のように説明した。

「自分への期待が大きすぎるのかもしれない。ただ、今の自分の立ち位置やランキングを思った時、シンゴ・クニエダと同じように、『すべてを手に入れる』という野望を僕は抱いている。まだかなり先のことだとは思うが、引退する時に『すべて成し遂げた』と言いたいんだ」

 ヒューエットの国枝との対戦成績は13勝15敗。もはやコート上での対戦は叶わぬライバルと肩を並べるには、国枝と同じだけの、あるいはそれ以上の記録を残すしかない。

【僕は引退を信じなかった】

 38歳の国枝の引退は、ヒューエットにとって「驚き」だったという。

 年が明け、全豪オープンの前哨戦が始まった頃、大会のロッカールームには「シンゴが引退するらしい」との噂が飛び交っていたという。

「でも僕は、信じなかった。だって最後に話した時、シンゴは『全米オープンのリベンジをしてやるぞ!』と僕に言ったのだから」

 両者にとって最後の対戦となったのが、昨年9月の全米オープン決勝戦。頂上決戦を制したヒューエットは、国枝が再戦を望んでいるのを感じたという。

 だからこそ、「正式な引退発表があった時は、大きなショックだった」と言う。

「この競技そのものにとっても、とても残念なこと。このような伝説的な選手がラケットを置くのは悲しいし、もう彼と対戦できないのも寂しい。 彼との対戦はいつも楽しみだったし、すばらしい時間だった。彼が勝つこともあれば、僕が勝ったこともある。特に去年のウインブルドンでの試合は、僕の心に永遠に残ると思う」

 そう言うとヒューエットは、年齢より幼く見える童顔に複雑な笑みを浮かべた。

 彼にとって国枝は、絶対的なライバルであり、ロールモデルでもあったのだろう。その想いは、次の言葉に象徴されていた。

「彼がコート上で示してきた、すべての瞬間を全力で戦う姿は、とてつもないインスピレーションだった。それは僕だけでなく、すべての人々にとって──。

 車いす界だけでなく、健常者のテニスコミュニティからの彼に対する反応を見た時、その事実を痛感した。 多くの人が、彼を心から尊敬している。 彼が残したレガシーは、測り知れないものだった」

 今大会の出場選手中、国枝本人から直接引退を伝えられていた選手に、イギリスのゴードン・リードがいる。

 リードは国枝より7歳年少の31歳。両者はシングルスだけで41度の対戦を重ね、戦績はゴードンが9勝32敗と負け越している。

 ゴードンにとって国枝は、常に行く先に立ちはだかる壁。同時に国枝にとっても、ウェア契約が同じUNIQLOということもあり、同志的な想いが強い選手なのだろう。

【国枝との一番の思い出】

「シンゴはソーシャルメディアで引退を発表する少し前に、とても温かいメッセージを送ってきてくれたんだ。僕らはライバルであり、パートナーであり、よき友人だと書かれていた。だからこそ、先に知らせたかったのだと書いてあった」

 その事実を「とてもうれしく思った」というゴードンは、こうも続ける。

「彼が正式に引退を発表した時は、もちろん寂しかった。シンゴは、僕が車いすテニスを始めた13年前の時からずっと、世界のトップレベルだった。彼がいなくなるのは寂しいけれど、同時に彼が成し遂げたすべてを祝福したいとも思うんだ」

 優しい笑みで語る彼に「国枝との一番の思い出」を尋ねると、次の答えが返ってきた。

「一番思い出深い試合は、ここ(全豪オープン)の初戦で彼に勝った試合。とても競った試合で、彼が僕のベストのテニスを引き出してくれた」

 それは2016年1月。ゴードンにとっては、2年に及ぶ対国枝8連敗を止めた試合でもあった。

 もうひとつ、ゴードンが言及したのは「2015年のローランギャロス(全仏オープン)」だ。

「対戦ではなく、ダブルスを組んで優勝したんだ。僕にとって初のグランドスラムタイトルだったので、特に思い出に残っている」

 ここに挙げたふたつの勝利がトリガーになったかのように、ゴードンは2016年に全豪とウインブルドンのシングルスを制すると、リオ・パラリンピックでも金メダルを獲得。近年は手首のケガに悩まされ手術もしたが、「最近ようやく、痛みなくテニスができるようになった」と言った。

 そのようなケガとの戦いにおいても、国枝はロールモデルになっているという。

「僕が最もシンゴを尊敬している点は、彼のいかなる時も変わらぬ勝利への渇望と、どんな状況からもカムバックしてくる集中力とモチベーション。たとえ勝利に見放された時でも、ケガから復活してきた。彼は常に、ベストを尽くしていた。コート上だけでなく、オフコートでもトレーニングし、プロフェッショナリズムを示してきた」

【僕は僕のレガシーを残したい】

 国枝の真摯な姿を間近で見てきたからこそ、ゴードンは「彼の決断を尊重しているし、おめでとうと言いたい」と優しく笑った。

 残された者たちが語る言葉が、覚える寂寥感が、そして胸に灯す決意が、国枝が成し遂げたことの偉大さを浮き彫りにする──。

 もはや記録でしか国枝と戦えなくなったヒューエットは、あらためて言った。

「誰かが立ち上がるべきだし、それは僕だと思っている。彼の記録に近づける力が、自分にはあると信じている。彼がそうしたように、僕は僕のレガシーを残したい」

 偉大な王者が灯した炎は、あとに続く者たちに、確実に受け継がれている。