ドイツ・デュッセルドルフで開催された卓球の世界選手権は、日本が打倒・中国の悲願に向けて着実に歩を進めていることを証明する舞台となった。日本卓球の飛躍に大きく貢献した水谷と福原 吉村真晴・石川佳純(名古屋ダイハツ/全農)ペアが48年ぶり…
ドイツ・デュッセルドルフで開催された卓球の世界選手権は、日本が打倒・中国の悲願に向けて着実に歩を進めていることを証明する舞台となった。
日本卓球の飛躍に大きく貢献した水谷と福原
吉村真晴・石川佳純(名古屋ダイハツ/全農)ペアが48年ぶりに混合ダブルスで優勝したほか、計5つのメダルを獲得。唯一メダルを逃した男子シングルスでも、13歳の張本智和(JOCエリートアカデミー)が史上最年少ベスト8入りを果たした。
男女とも逸材が顔を揃える中、2020年東京五輪の代表切符を巡る争いは熾烈を極めそうだが、日本卓球界にこうした光明が差し込んだ要因はひとつではない。
ロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪と、2大会連続で女子代表をメダル獲得に導いた前代表監督の村上正恭氏は、初めて代表のコーチングスタッフに名を連ねた1997年の世界選手権マンチェスター大会終了後、中国のある省の代表合宿を視察した時の驚きを今も覚えている。
「まだ5歳に満たないぐらいの子どもたちがコーチについて一生懸命練習していて、その様子を父兄が見守っている。当時の日本では見たことのない光景でした。それぐらいの年齢から計画的に育成していかないと、世界では勝てないことを痛感しました」
日本でも、1980年代後半から14歳以下の全国大会が4つの年齢カテゴリーに細分化されていたが、村上の想いが形になり始めたは、2001年の世界選手権大阪大会の後である。
男子監督に村上の盟友である宮崎義仁氏が就任したのを機に、男子の小学生の代表チームを選抜し、合宿を開催したのだ。後に女子も同様の合宿を開き、指導者に対してもブロックごとの研修会を開いたことで、全国の隅々まで最新の情報がいき渡るようになった。
今回の世界選手権で女子シングルス銅メダルに輝いた平野美宇(JOCエリートアカデミー)と、同学年で早田ひな(希望ヶ丘高)とのペアで女子ダブルス銅メダルを獲得した伊藤美誠(スターツSC)は、小学4年生の時のジュニア合宿で「2020年の五輪で金メダル」という目標を明確に掲げている。
「日本のスポーツはずっと学校教育の枠の中にあり、全中やインターハイで頂点に立つことがその年代の選手にとって最大の目標でした」と、村上は振り返る。
「でも、そうした短期的な視野でプレーしていては、世界の頂点には立てない。10代のうちからプロの指導を受ける環境を整えると、指導する側も技術やフィジカルなど多くの分野でメソッドを築いていった。さらに、2008年にナショナルトレーニングセンターができたのも大きかった。それまでの代表チームの合宿は、会場や宿泊先、輸送手段、現地スタッフの確保などに時間をとられ、容易に選手を招集できませんでしたから」
協会主導のプロジェクトが実を結んでいく過程で、男女とも先駆者となったアスリートがいたことを忘れてはいけない。
男子の水谷隼と、女子の福原愛である。
14歳でドイツに渡り、ブンデスリーガで腕を磨いた水谷が初めて世界選手権に出場した2006年のブレーメン大会(団体戦)で、日本の男子代表は過去最低の14位に沈んだ。水谷は、「世界で上にいくという発想自体がまだ僕たちになかった。ワールドツアーの予選を突破しただけで大喜びしていましたから」と、当時の心境を語る。
その後、2008年の広州大会で団体戦銅メダルを獲得し、日本が強豪国としての地位を取り戻せたのは、水谷や同時期にドイツで腕を磨いた岸川聖也の研鑽(けんさん)があったからである。
「僕や岸川さんがドイツで学んだものを、母校である青森山田、仙台育英などに持ち込んだ。直接言葉にして伝えたのではなく、僕たちの練習やプレーを見て、周囲の選手がいろんなことを感じてくれたはず」と、水谷は言う。
一方、最年少記録を次々に打ち立てた国民的ヒロインの功績は、卓球という競技が幼少期から打ち込むべき価値があることを、自らの成長とともに社会に示したことである。平野の母、真理子さんはこんな話をしてくれたことがある。
「学校に毎日通って、先生や同級生たちと触れ合うことの大切さは理解しています。でも、海外遠征や合宿で登校できる日が少なくても、卓球を通じてしか体験できないことを人間的な成長につなげられるはず。福原さんの姿を見ていて、そう思えるようになりました」
卓球に必要な技術をマスターするには、2万1000時間かかると言われている。1日6時間の練習を1年で350日やれば10年で到達できるという数字を前提にしても、今回の張本の活躍は、村上がかつて中国で実感した「幼少期からの訓練の必要性」をあらためて証明した。
「みんな張本が13歳なのにすごいって言っていますが、彼は2歳の時から卓球を始めているから、卓球歴はもう11年なんです。用具や情報ツールの進化、21ポイント制から11ポイント制への移行など、ジュニア世代が活躍できる土壌が卓球界にはある」(木村)
幼少期からラケットを振り続けた才能が、若くして世界に飛び出していく。そのなかで熾烈な競争を勝ち抜いた選手だけが、東京五輪のコートに立つ。中国の厚い壁を4年に1度の大舞台で打破するには、代表争いを制したその先にあるものをしっかりと見据えていかなければならない。