佐藤有香インタビュー(後編)前編・日本のアイスショーのパイオニアがプロ活動に終止符。「50歳になろうかという人間がコスチュームを着て人前で演技をするのはたやすいことではない」を読む>> 今秋、青森県八戸市で開催されたアイスショー『スターズ・…

佐藤有香インタビュー(後編)
前編・日本のアイスショーのパイオニアがプロ活動に終止符。「50歳になろうかという人間がコスチュームを着て人前で演技をするのはたやすいことではない」を読む>>

 今秋、青森県八戸市で開催されたアイスショー『スターズ・オン・アイス』を最後にプロスケーターにひと区切りをつけた佐藤有香さんは、1994年に世界チャンピオンになったことでプロスケーターとして活躍する世界の扉を開くことができた。ショービジネスの本場アメリカに渡ると、当時、隆盛を極めていたプロスケーター界の仲間入りを果たし、毎週のようにアイスショーに出演したり、プロの試合に出場したりと、ひと握りのプロスケーターしかできない経験を積んできた。


最後の公演となった「2022八戸公演」の佐藤有香さん

 提供/Stars on Ice

 アメリカでプロ活動を続けながら、テレビ解説者を務めたり、子供たちを教えたり、トップ選手のコーチに就任したりと多彩な活躍をしてきた彼女は、昨年『スケートと歩む人生』という著書も出版し、その半生を振り返っている。

「伝えたいことはいろいろありますが、フィギュアスケーターであるなしに関わらず、必ず挫折することがあると思いますが、そこであきらめずにひとつひとつクリアしていくということを実践してきた体験をお伝えして、勇気づけられればと思いました。

 また、私がプロになったのは、フィギュアスケートはアメリカでは盛んで日本ではそれほど人気でもなかった時期でした。そんな状況が一変して、いまは環境も変わって、新しい世代の選手たちはどうやっていまの日本の発展があるかはわからない人が多いと思うので、そのことを知らせたいなということもありました」

 2006年に荒川静香がトリノ五輪で女子フィギュアの金メダリストになって以降、次々と五輪や世界選手権のメダリストが誕生した日本は近年、アイスショー大国となった。1978年に始まった『プリンスアイスワールド』という国内で最も歴史のあるアイスショーを始め、荒川静香さんプロデュースの『フレンズ・オン・アイス』や浅田真央さんプロデュースの『BEYOND』、羽生結弦さんが中心メンバーで有力な海外スケーターが集まる『ファンタジー・オン・アイス』、日本代表が集結する『ドリーム・オン・アイス』、日本の現役トップ選手が座長を務める『THE ICE』、そしてメダリストで構成される海外発の『スターズ・オン・アイス』など、1年を通してアイスショーが見られるという、フィギュアスケートファンにとってはたまらない環境と言えるだろう。

【競技の世界からプロの世界へ】

 このようなことが当たり前ではなかった時代を生きてきた有香さんは、後輩スケーターたちに、現状に甘んじることなく、滑れることがどれだけ幸せなことかを謙虚に受け止め、1公演1公演に取り組んでもらいたいという。

「スポーツである限り、ずっと滑れることはないので、与えられた短い時間を大切してほしいです。『いろんな形でフィギュアスケートは楽しめるんだよ』、『こういう(アイスショーなど楽しい)場所もあるんだよ』ということを紹介したいし、ひとりでも多くの人にスケートを見てもらいたいし、スケートを滑ることがいつもずっと身近にあってほしいです」
 
 有香さんがこれまで長く続けてきたプロスケーターとはどういうものなのかを尋ねたところ、無音のスケーティングを追求する開拓者らしい答えが返ってきた。

「プロスケーターというのは、氷上の俳優とかミュージシャンとかのカテゴリーだと思っています。そして、そこにつけ足して『プロアスリート』です。羽生(結弦)くんが言っていたように、プロ活動にはいろんな形があってよくて、最終的に自分が決められるんですよね。決定権は自分にあって、どのような形で自分を見せたいかとか、どんなことをチャレンジしていきたいか、どんな部分を伸ばしたいかというのは、時期によってその都度変わっていいと思っています。

 スピード感を使いながらも演技ができたり、アクターのように曲を演じたり、個人的感覚としてはエッジさばきがミュージシャンにとってのひとつの楽器になるような感じになることがあります。みんなそれぞれ違うと思いますので、バラエティーに富んだたくさんの道があっていいと思います。ルールに縛られず、思うがままに見せられるのがフィギュアスケートです。

 国際スケート連盟(ISU)が決めるルールの枠のなかで、現役選手はテクニック的にも体力的にも精神的にも自らの限界まで追い込む非常に厳しい競技の世界ですが、そこで学んだテクニックや表現力を生かすことができるプロという次の段階で進化していった時には、すごく美しいものが作品として出来上がると思っています」

【フィギュアスケートが飽きられないために】

 それはまさに羽生結弦さんがプロ転向後初となる単独アイスショー『プロローグ』を開催したことにつながっているのではないだろうか。プロスケーターとして何が滑りたいかという強い思いがレベルアップを促す原動力になる。プロスケーターになるために必要なことは何なのだろうか。

「プロとしてやっていくなら、その1公演を見に来る観客のためにどのような状況でも自分のベストのパフォーマンスを見せるという心構えがないとできないと思います。プロ活動には、ショーをやったり、解説をやったり、講演会に出たり、インタビューを受けたり、セミナーで教えたりと、いろいろなものがありますが、そのなかでコンディションを維持していくことがカギになってくると思います。結局、現役時代に培った健康管理とかトレーニングの仕方とかテクニックとかが全部が跳ね返ってくるわけです。だから現役時代に練習を積み重ねたことが非常に大事ですし、どんなシチュエーションでもやり遂げられる応用性も非常に大事です。

 たくさんのスケーターがいろいろなことをやるのはとてもいいことだと思います。フィギュアスケートがどうしたら継続して盛り上がったいくか、発展していくかは、フィギュアスケートをいかに新鮮にしていくかということにかかっていると思います。これだけ人気スポーツになったがために、飽きられてしまうかもしれないじゃないですか。

 いろいろなスケーターがいろいろなことをしていくには、ある意味、ある程度のライバル意識と競争心が必要だと思うんですね。『なるべくいいものを見せたい』というのがあって、お互いに触発するから、もっともっといいものが見られる。それが理想的だと思います。

 私がアメリカに渡って一番感じたことなんですけど、ショーの全盛期で一番よかったなと思うのは、当時各地をツアーで回っていた時の仲間は家族のように仲がいいんですけど、その一方ですごくライバル意識があって、何十回という同じショーでも毎回が真剣勝負なんです。

『この人がいい演技をしたら、この人もいい演技をした』というのがあって、みんなオリンピックチャンピオンばかりじゃないですか。その集中力といったらすごくて、人並み外れた力を出す人たちばかりがいた。それが何カ月も続くわけです。

 そのなかに入ってみて、『なんて自分は力不足なんだろう』と思って、どうやったら自分はこの人たちに追いつくんだろうと感じて、そこはかなり長い間戦っていましたけど、すごく刺激的で、ああいう体験ができたことがいまの自分につながっていると思います。フィギュアスケートの世界が、そんなチャレンジに満ちていることがとても重要なのではないかと思います」

【プロフィール】
佐藤有香(さとう・ゆか)
1973年東京都生まれ。フィギュアスケート選手で種目は女子シングル。フィギュアスケートのコーチをしていた佐藤信夫、久美子夫妻の間に生まれ、趣味でスケートを始める。ジュニアの頃から実績を残し、1994年のリレハンメルオリンピックでは5位入賞、同年の世界選手権では優勝し、伊藤みどり以来、日本人二人目の世界女王となった。その後、プロに転向し、主としてアメリカを舞台に活動。日本国内外の選手のコーチや振付師として活躍中。2022年10月、プロスケーターとしての活動終了を発表した。