車いすテニスの最年少記録を打ち立てる小田凱人が激動の1年を振り返る日本車いすテニス界のホープ、小田凱人(おだ・ときと/東海理化/世界ランク4位)。車いすテニスを始め、わずか6年でプロ転向し、グランド…

車いすテニスの最年少記録を打ち立てる小田凱人が激動の1年を振り返る

日本車いすテニス界のホープ、小田凱人(おだ・ときと/東海理化/世界ランク4位)。車いすテニスを始め、わずか6年でプロ転向し、グランドスラム・デビューを果たしている逸材だ。2024年のパリ・パラリンピックで金メダルも期待される中、この1年を振り返って感じた手応え、この先に見据えることを伺った。

【画像】シーズン最終戦制覇で「まだまだ強くなります」と綴った小田凱人のSNS

9歳で左股関節の骨肉腫を患った小田は、10歳で車いすテニスに出会う。担当医師からパラスポーツを勧められる中、2012年ロンドン・パラリンピックで国枝慎吾(ユニクロ/世界ランク1位)が金メダルを獲得した姿をYouTubeで見つけたことがきっかけだった。

そこからわずか3年。2020年2月にフランス・タルブで行われた「車いすテニス世界ジュニアマスターズ」で優勝し世界一に輝くと、翌2021年には現世界ランク2位のアルフィー・ヒュウェット(イギリス)が持つ記録を更新し、14歳11ヵ月でジュニア世界ランク1位に。

今年4月には15歳11ヵ月でプロ転向。5月の全仏オープンでグランドスラムデビューを果たすと、10月の「楽天ジャパン・オープン」では敗れはしたものの、世界ランク1位の国枝慎吾(ユニクロ)との激闘を演じ、会場を沸かせた。そして、11月には年間成績上位8選手のみが出場できる「NEC車いすシングルスマスターズ」(オランダ・オス)決勝では、USオープンを制しているヒュウェットを6-4、6-3で破り、大会史上最年少となる16歳5ヵ月で同大会を制した。

そんな車いすテニスの最年少記録を次々と打ち立てている小田に、激動の1年や手術から7年経った今の思いや来季、そして世界ランク1位について話を伺った。

―まず、車いすテニスマスターズの優勝おめでとうございます。率直な思いを教えてください。

「時間が経って、いろんなことを思いますけど、グランドスラムではない大会でこれだけメディアの方に注目してもらえたというのが本当に嬉しいです。車いすテニスはもちろん、パラスポーツ全体で考えても、これだけ注目してもらえる機会というのは限られているのかなと思います。マスターズで優勝して凱旋帰国というのは初めての体験でしたが、メディアの方たちの反響の大きさを知った事で、ようやく事の大きさに気づきました。」

―決勝で(アルフィー・)ヒュウェットと対戦。予選で負けていて、これまで一回も勝てなかった相手でしたね。

「ものすごく達成感がありましたし、素直にうれしかったです。今まですべてストレート負けしていたのもあって、1セットを取ることだけでも苦労しましたが、終始自分の流れでプレーができたというのが、何より良かった。そこに関しては自分の評価も高いです。

今後は、ただ勝つだけではなく、今回のような試合をたくさんこなして勝利を身につける、体に覚えさせるということも重要になってくると思います。これから、連戦続きの中で良い内容の試合をしようとするならば、自分のやりたいテニスをやれた時の感覚を忘れないように練習から継続してやっていかなければならないと思いますが、それができれば、また来年もいいスタートが切れるんじゃないかなと思っています」

―いま“勝ち方”というの言葉がありましたけれども、予選では2-6、5-7で自分のペースを作れない中で負けてしまいました。その敗戦で学んだことや見つけた勝ち方というのはどのようなものだったのでしょうか?

「この1年を通して感じたのは、トップの選手に勝ったときには、自分のやりたいテニスができていたり、自分の得意な展開に持っていけているという事。勝ったけれど、内容的に満足いかない試合というのはなくて、勝てた時というのは自分のやりたいことができて、相手をねじ伏せることができてという展開になったからだと思います。反対に、負ける試合に共通しているのは、相手の調子がいい時もありますけど、自分がやりたいことができなかったからだと気づきました。

相手や相手の対策によって、プレースタイルを変えたり、相手の得意不得意によって自分のプレーの幅を広げるというのも大事だと思いますが、今は自分の得意なショット、パワーのあるショット、速い展開での攻撃に自分の最大限の力を注ぐことが勝ちにつながっていると思っています。今回も(予選で)負けたからこそ吹っ切れて、『だったら次は自分のやれることをやるしかない』と改めて思えたのが良かったのではないかと思っています。自分の得意なショットを長い時間やるという選択肢しかなかったのですが、それをやり切れたのは自信につながりました」

シーズン最終戦で優勝を飾り、優勝プレート帰国会見を行った小田凱人’写真提供:トップアスリートグループ)
写真提供:トップアスリートグループ

―これでヒュウェットが持っていた19歳11ヵ月でのマスターズ優勝という記録を大幅に更新して16歳5ヵ月という若さで優勝しました。この記録に関してはどのように感じていますか?

「もちろん優勝するなら誰よりも早くというのは、いつも意識しているところです。今回の大会でも大きく更新できたかなと思っていますし、自分の思い通りの成果が出せた1週間でした。(テニスクラシックさんに)一番最初に取材していただいたジュニアマスターズ(2020年2月)でもニールズ・フィンク選手(オランダ/車いすテニスクアード世界ランク1位)に予選で負けて、決勝で勝ったという展開でしたが、マスターズはラウンドロビンが採用されていて、予選で負けても、それ以外の試合を勝てば決勝トーナメントに上がれるので、ある意味ではチャンスが多い大会だと考えられます。

今回は、アルフィー(ヒュウェット)に負けた時の悔しさは大きかったけれど、逆に負けても次の試合に勝てば、決勝トーナメントに上がれると考えてしまったところがある。そう考えてしまった自分には残念だったんですけど、負けてもチャンスがあったことで決勝トーナメントに上がれたので、結果的にはリベンジするチャンスができて良い結果につながったのかなと思います。」

―4月にプロ転向やグランドスラム初出場など大きく変わった1年になったと思いますが、どのような1年でしたか?

「全仏オープンは自分の中で評価が高かったんですけど、ただ夏のシーズンというのは今振り返ってみると、すごい苦労した時間でした。4月にプロになって、初めての大会が『BNPパリバ ワールドチームカップ』で日本代表として夢の3人(小田のほか国枝慎吾、眞田卓、三木拓也)と同じ日本代表として戦うということが何よりもうれしかったですし、今年の一番の思い出と言ったら間違いなくこの大会を選びます。ただ、3選手と良い時間を過ごした後、夏に対戦することがあって、少し考えすぎてしまった。

傍から見れば、すごい躍進した年だと言ってもらえるんですけど、自分の中では『もっとできたな』というのが正直あります。それでも、秋ごろからは自分のやりたいテニスができるようになりましたし、自分自身のコントロールも徐々に慣れてきました。グランドスラムでも大会の過ごし方、リズムがわかってきたこともあって、後半戦にコンディションを高められたというのが評価はできます。プロ1年目というところで、結果的に全仏オープンベスト4もありましたけれど、振り返ってみると競った試合も多くもないですし、勝った試合はあるけど粘る力があんまりなかった。そこに関しては、来年修正していければなと思います」

―楽天オープンでは、国枝選手にあと2ポイントというところから敗戦(3-6、6-2、6[3]-7)。悔しい思いがありながらも会見やセレモニーは気丈に振る舞っていましたね。今後どのように繋げられる試合でしたか?

「試合直後は、負けたのにもかかわらずなぜか達成感がありました。7000人ぐらいの人が入っていたと聞いたんですけど、その観客の中であれだけのプレーをできたのは、良かったと思っています。ただ、今思い返すとあそこで勝っていたらとよく考えてしまいますし、何度も試合を見返してもいます。簡単に『ああいう試合ができて良かったです』とは言えないのは正直なところですし、あの試合をものにしていたら今はもっと高い位置にいけたはずだと思うところはあります。ただ、次につながる良い大会でしたし、負けたからこそ得られたこともありました。

国枝選手との試合では、ゾーンに入って自分のやりたいことを何でもできて、相手のコースが全部わかってという状態の中でプレーできましたけど、自分がリードしてからは一気にタイブレークに持ち込まれ、少しでも気を抜いてしまえば、流れが一気に相手に渡ってしまうということをあの敗戦から痛感しました。メンタルを乱さずにやり切ることが大事だということをあの敗戦から学んだのですが、それがマスターズの決勝や準決勝で生きてくれましたし、だからこそアルフィーにストレートで勝つことができたのではないかと思います。そう考えたら、あの敗戦は、良かったと言えば良かったし、勝っていたら得られていない感覚だったなと思うので、そこはプラスに捉えるしかないですね」

「楽天ジャパン・オープン」で王者・国枝慎吾にあと2ポイントというところで惜敗(写真:田沼武男)

―楽天オープンの雰囲気は他の大会とは違うものがあったと思います。感情的にはあまり変わらず試合に集中できましたか?

「あの場だったからこそ出たプレー、粘りだったりというのはあります。逆にあの環境でなければストレートで負けていたと思います。ファイナルセットであれだけ粘れたというのも今まで感じたことのない歓声だったり、拍手の量だったりというのがあったおかげで、とても勇気づけられました。『まだまだこんなところで終わってはダメだ』と思ったんです。そこは本当にあの日応援してくれていた観客の声援のおかげだと思っています。あと、前日にダブルスであのコートで試合ができたのも良かったかなと思っていて、いい条件がすべて整った試合だった。そういうところからああいうプレーが生まれるんだなと試合が終わって感じています」

―トップ選手同士の戦いでは油断や隙が一気に持っていかれてしまうと。その面で心の成長は感じていますか?

「そうですね、最初に取材していただいた13歳の時と比べれば少しは成長したのかなと思いますね(笑) ただ、自分の根本的な思いだったり、変わっているところはないです。ウィナーでポイントを取るという自分のやりたいテニスは、その頃からブレていなくて、そこは自分のモットーにしている。

テニス自体は力がついてきて、海外選手に通用するようになりましたけど、プレースタイルや試合前のメンタリティというのはさほど変わっていない。変わったところでは、勝利を重ねたことで、良い流れの持っていきかたというのを得られて、勝ち方というのを少しずつ覚えてきたのかな。もちろんテニス自体も上達していると思いますけど、それ以上に試合の中での成長というか、ウィナーの持っていきかたの力がついてきたのかなと思います」