JTマーヴェラス林琴奈 インタビュー前編 2022年9月から10月にかけて行なわれたバレーボール女子世界選手権で、日本代表はブラジルに3-1で勝利するなど健闘し、最終順位はアジアのライバル・中国よりひとつ上の5位となった。そこで攻守にわたる…

JTマーヴェラス
林琴奈 インタビュー前編

 2022年9月から10月にかけて行なわれたバレーボール女子世界選手権で、日本代表はブラジルに3-1で勝利するなど健闘し、最終順位はアジアのライバル・中国よりひとつ上の5位となった。そこで攻守にわたる活躍を見せたのが、JTマーヴェラスの林琴奈だ。

 林は東京五輪メンバーにも名を連ねていたが、出場時間は短く悔しい思いをした。そこから、どのように日本代表に欠かせない存在となっていったのか。東京五輪での戦いとその後について聞いた。



インタビューに答えた、女子バレー日本代表のJT・林琴奈

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――まずは、バレーを始めたきっかけから教えてください。

林 姉がバレーをやっていたこともあって興味を持ち始めたのと、クラブチームの監督でもあった小学校の先生から誘っていただき、「やってみようかな」と。それが小学2年生の時でした。

――当時のポジションは?

林 始めたばかりの頃は決まったポジションはなく、ひたすら基礎練習をしていました。3年生になってからセッター、小学6年生の頃からスパイカーになって、そこからはずっと変わっていません。

――大阪の名門・金蘭会高校時代は国体を連覇されていますね。

林 高校2、3年の時です。春高バレーは高校3年生の時だけ優勝することができました。

――そこでの活躍もあってJTマーヴェラスに内定し、まだ内定選手だった2018年3月のVリーグファイナル第一戦で途中出場。そのデビュー戦のことは覚えていますか?

林 頭が真っ白で、あまり覚えてないんですが......けっこうサーブで狙われて「やられた」という記憶は残っています。

――では、初出場はちょっとほろ苦い思い出?

林 はい(笑)。チームとしても準優勝で最後に悔しい思いをしました。

――林選手はその後活躍し、2021年の東京五輪メンバー12名に選ばれました。

林 ビックリしましたが、「選んでいただいたからには、自分のできることをしっかりやりたい」と思いました。選ばれなかった人の分まで、責任を持ってやろうと。

――かつて、「夢は東京五輪に出場すること」と語っていたそうですが、それを叶えたことになりますね。

林 いえ、その時は「大会を通してしっかり成長したい」とは思っていましたが、「夢を叶える」という意識はあまりなかったですね。緊張感もありましたが、楽しみでワクワクもしていました。

――大会は無観客での実施ということもあって、雰囲気は少しイメージと違ったかもしれませんね。

林 そうですね。観客がたくさんいて、ワーッとなるのがオリンピックというイメージだったので、無観客はちょっと寂しくもありました。ただ、そこはあまり考えずにやっていこうと思いました。

――東京五輪でチームは苦しみ、25年ぶりとなる一次予選敗退。林選手は5試合に出場するも、スタメンで出た韓国戦もすぐにベンチに下がるなどプレー時間は少なくなりました。悔しさはありましたか?

林 韓国戦はせっかくスタートで出していただいたのに、あまりうまくゲームに入れなくて......結局、第1セットの10点前後のところで交代。やっぱり悔しかったです。

――古賀紗理那選手が1試合目でケガを負いましたが、チームの空気はどうでしたか?

林 紗理那さんがケガをした時は、ちょっと動揺があったというか、「ヤバい」という感じになりましたね。そこから話し合って、「誰が入ってもしっかり勝つことに集中しよう」と意識を共有しました。

―― 一次予選を突破できなかったことを、個人としてはどう思いましたか?

林 一次予選敗退ということが25年ぶり、というのはあまり知らなかったんですが......そこを通過できなかったのは私の力不足もあったし、「このままではいけない」と思いました。

――オリンピック後の、2021-22シーズンのVリーグはどう迎えましたか?

林 オリンピックはオリンピック、VリーグはVリーグと、うまく切り替えられたと思います。

――そして、指揮官が代わった今年度の日本代表にも名を連ねることになります。

林 昨年度の代表では、東京五輪も含めてあまりコートに立つことができかったので、「今年度はできることを増やせるようにしたい」と強く思っていました。コートの中でしっかり活躍したかったですし、自分のできることを精いっぱいやるだけだと。

――2022年度から代表監督を務める、眞鍋政義監督の印象は?

林 感情が昂ったり、語気が強くなったりということはないですが、すごく勝ちにこだわっていることを感じる監督です。戦術や気持ちの部分など、勝つために必要なことをたくさん教えてもらいました。オン・オフがしっかりしているのもいいですね。

――今年の夏に行なわれたネーションズリーグの間に、林選手はポジションが変わりました。JTでは主にレフトですが、代表ではライトに定着。そこに戸惑いはありましたか?

林 これまでも、ライトの経験がなかったわけではありません。中学の時と高校3年時、JTでも1年目はライトでプレーしていましたから。ただ、最初は「代表でもできるのかな?」という不安がありましたね。ライトはオフェンスもディフェンスもしっかりやらないといけない大事なポジション。そこを担うことに自信を持っていこうと思いました。

――ネーションズリーグで日本代表はいいスタートを切りましたが、終盤は負けが続きました。何が原因だったんでしょうか?

林 代表が初めてだったり、あまり経験がない選手が多かった影響もあるかもしれません。私も含めてキャリアの浅い選手が、長く海外でプレーすることは大変なので、最後は集中力や体力が持たなかったのかもしれませんね。

――その後の世界バレーでは、その教訓が生かされましたか?

林 そうですね。ネーションズリーグのあとはさまざまなアプローチで体力面の強化をしていきました。試合の後にもウエイトトレーニングを入れたり、食事も補食(通常の1日3食に加えて物を食べること)や、炭水化物をしっかり摂るといったことを意識していました。

――世界バレーでは、第3戦の中国戦で古賀選手がケガで離脱。東京五輪と同じような状況になりましたね。

林 東京五輪での経験もあってか、チームとしての動揺は少なかったように思います。古賀選手だけでなくすべてのチームメイトを信頼していましたし、私も焦りはあまりなかったです。その後の多くの試合で起用された石川真佑選手も、強い気持ちでコートに立ってくれたので、「しっかり最後まで頑張ろう」とチームがまとまったと思います。

――世界バレー全体を通して、林選手はチームの軸となっていた印象があります。自身のプレーはいかがでしたか?

林 世界バレーの直前に、フランスでプレオリンピック大会があり、チームは全勝で優勝したんですが......私自身は最後の2戦くらい、あまり調子がよくなくて。ライトはすごくチームにとって重要なポジションであることを再認識しましたし、「責任を果たさないといけない」という自覚も芽生えました。世界バレーでは「しっかり自信を持って戦う」ことをテーマに最後までプレーできたので、成長につながったと感じています。

(後編:世界バレーで躍動できた理由。同級生セッター・関菜々巳との話し合いも力に>>)

【プロフィール】
林琴奈(はやし・ことな)

JTマーヴェラス所属。アウトサイドヒッター・173cm。1999年11月13日生まれ、京都府京都市出身。金蘭会高時代は主将として春高バレーで全国制覇し、MVPも受賞。JT入団後も内定選手の時から大事な試合で起用されるなど、攻守で安定したプレーを持ち味とする。日本代表には2020年に初登録。翌年の東京五輪は控え選手で出番が少なく、2022年度の日本代表ではレギュラーに定着した。世界選手権では、準々決勝のブラジル戦でチーム最多の21得点を挙げるなど代表になくてはならない存在となった。