【練習では失敗の気配がない】 12月21日、大阪。冷えきったリンクに出てきた宇野昌磨(25歳、トヨタ自動車)は、全日本選手権の前日練習とは思えないほど落ち着き払っていた。12月21日、全日本選手権の前日練習に臨んだ宇野昌磨 吐き出した熱い息…

【練習では失敗の気配がない】

 12月21日、大阪。冷えきったリンクに出てきた宇野昌磨(25歳、トヨタ自動車)は、全日本選手権の前日練習とは思えないほど落ち着き払っていた。



12月21日、全日本選手権の前日練習に臨んだ宇野昌磨

 吐き出した熱い息と一緒に、力みが肩から抜ける。自然体で、ひと蹴りごと、全身をしならせるたび、スケーティングに自信や風格がみなぎった。

 曲かけ練習はショートプログラム(SP)の「Gravity」だったが、重力から解放されたようなスケーティングだった。ゆったりとした動きのなかに、時間を刻むかのように鋭い躍動が入る。

 ジャンプも4回転フリップ、4回転トーループ+3回転トーループ、トリプルアクセルとどれも優雅に決めた。他に4回転はループ、サルコウも次々に決め、失敗する気配がなかった。

「いい演技をしたとしても、悪い演技をしたとしても。いい演技はしたいですが、悪い演技にも必ず理由があって。そこがどうなるか知りたいっていう楽しみはあります」

 宇野は、どこかはぐらかすように言う。自分自身と向き合ってきたからこそ、そこまで腹をくくれるのか。今の彼は、男子シングルで頭ひとつ抜けている。

 もっとも、全日本では気鋭の選手たちが挑んでくる。火花を散らす勝負になるだろう。王座は戦ってこそ守れる。

 宇野はどんな決戦をイメージしているのか?

【強さを見せたGPシリーズ】

 2022−2023シーズン、世界王者になった宇野は「自分」をテーマにスタートしている。その自分はエゴイズムではない。とことん自らと向き合う求道的精神だ。

「現状維持では置いていかれるはずで。自分が成長する余地があるからこそ、そこを見せられたらなと思います」

 10月のジャパンオープン、宇野はそう言って4回転半を成功させたイリア・マリニン(18歳、アメリカ)の台頭をむしろ喜んでいた。ライバルによって、触発される「自分」を知っている。つまり、少しも守りに入っていない。

「試合ごとに課題を見つけ、活かすことができました。1シーズンを通して、完成したプログラムを見せられるように」

 10、11月のグランプリ(GP)シリーズを2戦戦ったあとも、宇野はそう振り返っていた。自分と対峙しながら、どちらも逆転優勝で、地力の強さを見せた。

「今シーズン初めて納得のいく練習ができて、それを試合で出せたかなと。でも、今回見つかった課題はステップ、スピンでとりこぼしている点で。一つひとつ磨いていきたいと思っています」

 12月のGPファイナルを制覇したあとも、自己探求は変わらなかった。大舞台で今シーズンのパーソナルベストを更新。完全優勝だったが、意識はタイトル獲得の愉悦よりも課題のほうに向いていた。

【強さを見せたGPシリーズ】

 常勝のアスリートというのは、どれだけ勝利を手にしても飢えている。彼らは目の前の勝利を大いに喜ぶが、あくまで瞬間的のものと捉える。

 結果、そのものよりも技を改善し、思った以上の動きができ、新しい自分になることに快感を得る。おかげで、勝つことにとらわれたり、疲れたりしないのだ。

「ファイナル前から、レベルアップできているって実感のある練習ができていて。フリーの高難度のプログラムにも慣れてきたので。もう一歩、難しくできるように、全日本が終わったら練習でやってみるのもありなんじゃないかって思っています。(自分には)まだ先があるぞって」

 野心的に語った宇野は、やはり王者の精神を持つ。敵は一貫して己自身。それゆえ、つむぎ出す言葉はどんどん哲学的になる。

「久々にファイナルから全日本という日程ですが。試合をやったばかりというのもあって、前から試合に緊張しないほうでしたが、今回はまったくしていなくて。もちろん、大会が開幕してお客さんがたくさん入って、いざ試合になったら緊張するかもしれないですけど、緊張した試合であっても次に活かせるはずって思っているので」

 試合で演技が終わらない。練習から試合、試合から練習。そこに間断がないことで、平常心を保てるのだ。

「まずはケガをしないように。(GPファイナルから帰国して1週間の)ハードなスケジュールだから、できる範囲を把握して最高のパフォーマンスを。いつも以上にやろうとすると、体が追いついていかなくなることもあるので」

 彼は生真面目に、用心深く言う。ものわかりがよさそうにも映る。あるいは、ひとつの境地に達したのかもしれない。

【穏やかな王者の敵は「自分」】

 しかしあえて言えば、"穏やかに見える"のが王者である。

 リンクでの戦いは、激情が渦巻く中で決着がつく。王座は与えられるものではない。最高の演技を生み出すには苦しみが伴うことを、何より王者は自覚している。

「ステファン(・ランビエルコーチ)には『毎回、完璧な状態で臨めるわけではない』と言われました。完璧を求めすぎていたかなって。ずっと積み上げてきた自分の基準を下げたくなかったので、イライラしていて」

 優勝したNHK杯後、宇野はそう告白していた。柔らかい笑顔を見せていたが、それとは裏腹に演技への向き合い方は峻厳(しゅんげん)だった。

「スケートで自分の人生を表現したい」

 彼は昔からそう言っている。負けたくない、という感覚よりも、自分を甘やかすことを許さないという覚悟が、鬼気迫る王者の強さにつながるのか。逆風のなかにあっても、どうにか踏みとどまれる。その刹那に、彼の真実があるのかもしれない。

「自分」

 それは宇野にとって、すでに世界王者にも輝いた巨大な敵である。ひるまず立ち向かう姿に、観客は息を呑み、会場は熱気が波打つ。そこに響くのはフィギュアスケートの讃歌だ。

 12月23日、男子シングルのSP。宇野は第4グループ21番目の滑走になる。