コロナ禍による引きこもり生活では、運動の重要さが強調され、耳にたこができたという人も多かったのではないか。“わかってはいるけれど、なかなか運動が習慣化しない……”という人もきっと動かざるを得なくなる研究結果がある。“有酸素運動で前頭葉は大き…

コロナ禍による引きこもり生活では、運動の重要さが強調され、耳にたこができたという人も多かったのではないか。“わかってはいるけれど、なかなか運動が習慣化しない……”という人もきっと動かざるを得なくなる研究結果がある。“有酸素運動で前頭葉は大きくなる! 海馬の細胞が増える!”というのだ。たった5分のウォーキング・ランニングでも脳に作用し、学力・集中力・記憶力・創造性……脳のあらゆる力を伸ばせるとしたら、誰でも今すぐ運動したくなるはずだ。それはいったいどういうことなのかご紹介しよう。

1万2000年前からほとんど変化していない私たちの脳

今から15年ほど前、脳を活性化するという“脳トレ(脳力トレーニング)”がブームになった。それは、計算力や記憶力など、主に脳の認知機能を伸ばすことを主眼としたトレーニングで、ゲームなども開発され大ヒットした。しかし近年では、本当の脳力アップには脳トレはあまり効果が見られないと主張する専門家もいる。

このように著書『運動脳』(サンマーク出版)で述べたのは、スマホを使いすぎることによる弊害を告発した著書『スマホ脳』で全世界を震撼させた精神科医アンデシュ・ハンセン氏だ。この本は、氏の母国スウェーデンでは『スマホ脳』以上の売り上げを記録したというから、注目の高さが窺える。

ハンセン氏は、なぜ身体を動かすことで脳が効率よく働くようになると考えたのか。それは原始時代と現代の人間の脳を比較したことによる。

私たち人間の生活をとりまく環境は激減したが、脳はほとんど変わっていないということ。

活発に動き回るのに適したつくりになっている私たちの脳を、少しでも原始時代の環境に戻すことが、脳の機能アップに繋がるとハンセン氏は言うのだ。その根拠を氏は、60歳の被験者への実験から得たのだそう。100人の60歳の男女を2つのグループに分け、第1のグループは週に数回の頻度でウォーキングを続け、第2のグループは、同じ頻度で心拍数が増えない程度の軽い運動を続ける。すると1年後、前者は健康になったばかりではなく脳の働き、具体的に言うと、脳葉の連携、とくに側頭葉と前頭葉、また側頭葉と後頭葉の連携も強化されたことが証明されたのだそうだ。

脳は永遠に開発途中の未完成品。今からでも始めるのは遅くない

“連携”という言葉が出てきた。これこそ脳機能のキーワードと言えるのかも知れない。というのも

ということなのだ。たとえば、記憶力、集中力、飲酒や喫煙といった欲求に対する自制心などにおける脳の気質は、脳の各領域がしっかりと連携しているとプラスの特質が多くでてくるのだそう。つまり、機能的に優れた脳とは、細胞がたくさんある脳でも、細胞同士がたくさん繋がっている脳でもなく、各領域(たとえば前頭葉や頭頂葉)がしっかりと連携している脳。そして、その連携を強化するのが運動なのだ。よく頭の良し悪しを遺伝的な、生まれ持った性質のように言うが、どんな脳でも努力次第で変わることができる。

『運動脳』では、脳が柔軟で変形する性質、専門用語でいうところの“神経可塑性”を持っていることが、生まれたときから脳が半分しかない女性や、脳の神経繊維の束に損傷を受けた状態で生まれた男性が、その後並外れた成長、才能を発揮したという事例とともに紹介されている。つまり、誰も諦める必要はないということだ。

集中を促すドーパミンは、運動によって分泌される

では、そんな開発途中の未完成品である脳の連携を強化し、集中力、学力、記憶力、創造性など、脳のあらゆる力をアップする術を見ていこう。

まず集中力だが、それには脳の“報酬系”というシステムが関係する。おいしい物を食べたり、友人と交流したり、仕事で褒められたりしたときに快感を与えてくれるところが“報酬系”だ。その中枢には“側坐核”という神経の集まりがあり、これが人を動かす。

集中力に深く関係するのがこのドーパミンで、ある行為をしているときに多く分泌されれば集中できるし、分泌量が少なければ注意力散漫な状態になり、もっとドーパミンが放出されそうなものに目が行ってしまう。そこで運動だ。

ハンセン氏は、原始時代と現代の人間の脳にはほとんど変化がないと繰り返し述べている。脳は変化していないのに、私たちをとりまく環境は莫大な情報が存在しているため、注意力を削がれるのは当たり前だろう。氏曰く「人類の歴史が始まってから2003年までの分量に相当する情報が、わずか2日で生まれている」のだから。

そこで集中力を脳に戻すプランだが、運動するに当たっては以下のポイントがある。

・歩くよりは走ろう(身体に負荷がかかればかかるほど、脳はドーパミンやノルアドレナリン(集中物質)をたっぷり放出する)

・理想的な心拍集の目安は、最大心拍数(220から年齢を引いた数字)の70~75%

・運動は朝にする

・5分からでも効果はあるが、可能であれば30分続けてみる

・運動を習慣にする

記憶を司る脳の中枢“海馬”が運動によって大きくなる!?

続いて学力だが、『運動脳』ではスウェーデンのある小学校での事例が紹介されている。調査の対象となった小学校で、時間割に体育が毎日組み入れられたクラスと通常通り週2回体育を行うクラスで学力が比較された。その結果はこうだ。

集中力を上げる運動のポイントとして心拍数についてご紹介したが、この学力アップのための運動でも、どのようなものを選ぶかは問題ではなく、やはりポイントは心拍数なのだそう。そして、理由はまだ明らかになっていないらしいが、多くの研究データによれば、小学校に通う学童期が最も運動の恩恵を得られるのだという。小学生のお子さんをお持ちの親御さんは気に留めておいた方が良いだろう。

そして記憶力。脳では1日に10万もの細胞が死滅するという話を聞くと、記憶力に自信がなくなってくる世代などはゾッとするに違いない。記憶を司るのは脳の“海馬”と呼ばれる中枢だが、たとえばアルコールや薬物は加齢のスピードを加速させ、海馬の萎縮を速めてしまう。それを食い止めることは不可能だと考えられていたのだが、その定説を覆す研究が現れた。これもやはり運動がポイント。

この被験者たちが取り組んだ持久力系のトレーニングとは、具体的には週に3回、40分早足で歩いただけだったそう。効果は上記だけにとどまらず、運動によって健康状態が大幅に改善した人たちは、2%以上も海馬が大きくなっていたのだという。

試験勉強や仕事の関係で何かを覚えなければいけないときは、“散歩に行っている暇はない”と言わず、記憶するために散歩に行こうと考えるべきだろう。

『運動脳』には運動の脳に対する効能はここでご紹介したもの以外にも、ストレスの軽減やうつの改善やモチベーションアップなどに関しても詳しく説明されている。興味のある方は一読をおすすめする。最後にハンセン氏による結論を紹介して締めくくろう。

本書を読んで、一番驚いたのは、私たちの脳が原始の時代からほとんど変化していないということだった。野山や平原を駆けまわる原始の生活を思い描きながら運動することで、よりよい効果が得られそうだ。

アンデシュ・ハンセン著/サンマーク出版

これまで脳の機能は、年齢を重ねるにつれて衰える一方だとされていた。しかし、成人後も脳内の前頭葉が大きくなり、死の直前でも海馬の細胞数が増えた人たちがいた――。彼らに共通していたのは「有酸素運動」を日常的に行っていたこと。たった5分のウォーキング・ランニングが脳に作用する。学力・集中力・記憶力・創造性……脳のあらゆる力を伸ばす運動の秘訣を記す1冊。

text by Sadaie Reiko(Parasapo Lab)

photo by Shutterstock