スマホゲーム「ウマ娘 プリティダービー」といえば、実在する名馬をモデルとして、その馬の半生をうまく"ウマ娘"のストーリーに落とし込んでいるのが特徴だ。 では、以下のウマ娘のストーリーは、一体どういった馬の半生がモデルになっているのだろう。…

 スマホゲーム「ウマ娘 プリティダービー」といえば、実在する名馬をモデルとして、その馬の半生をうまく"ウマ娘"のストーリーに落とし込んでいるのが特徴だ。

 では、以下のウマ娘のストーリーは、一体どういった馬の半生がモデルになっているのだろう。



エリザベス女王杯でも期待どおりの走りをしたファインモーション

 そのウマ娘はアイルランドからの留学生。名家の生まれで身辺警護もつくほど。さらに個性的なのが、その出自から身の安全を守ることを条件に留学しており、基本は全力疾走もNG。しかしあまりの素質の高さから、3年間限定という"条件つき"でレースに臨んでいく――。

 この特徴的なストーリーは、ウマ娘・ファインモーションのもの。もちろん、モデルとなった競走馬・ファインモーションの半生をうまく落とし込んだのだが、競走馬・ファインモーションはいったいどんな半生を歩んだのだろうか。特に「条件つきでレースに挑む」といった要素はなぜつけられたのか。

 また、このストーリーのなかで「ずば抜けた素質の高さ」は絶対に外せない要素だ。実際に、競走馬・ファインモーションはデビューから圧巻の強さを見せていった。当時、きっと誰もがこの馬に夢を見ていただろう。それほどの強さだった。

 そしてその強さの頂点こそ、2002年のGⅠエリザベス女王杯だったのかもしれない。

 1999年1月、サラブレッドのファインモーションは生を受けた。生まれた場所はアイルランドの牧場。その血統は「世界的良血」と呼んでいいものだった。

 なぜなら、彼女の兄ピルサドスキーは、アメリカやヨーロッパ、日本のジャパンカップなど、世界を股にかけてGⅠを6勝した名馬だったからだ。そのため、ファインモーションは生まれたときから世界的な競走馬生産グループ・クールモアが購入することが決まっていた。

 まさにこれが「アイルランドからの留学生」「名家の生まれ」という設定の所以である。

デビューから強かった

 では、「素質の高さから条件つきでレースに挑む」という設定はどこからきたのか。実はこの馬、名調教師として知られる伊藤雄二がアイルランドに行った際、この馬に惚れてクールモアに交渉。購入できることになった。

 そして、実際にこの馬を購入したのは、伊藤の勧めを受けた伏木田牧場。この牧場では、競走馬としての可能性より、将来の牧場を背負って立つ良血の繁殖牝馬として、ファインモーションの購入を決めたのだった。

 この出自がもとになり、ウマ娘の"条件つきでレースに挑む"というストーリーは作られた。競走馬のファインモーション自身が、繁殖牝馬として期待されていた点が反映されている。

 ただ、ファインモーションが実際にデビューすると、そんな考えを吹き飛ばすほどの圧倒的な強さを見せていった。

 同馬は伊藤雄二の厩舎に所属し、デビューを迎える。伊藤雄二厩舎といえば、エアグルーヴをはじめ数々の名牝を育てたチーム。そして、ファインモーションの世話をする厩務員は、かつてエアグルーヴを担当した人物になった。

 2001年12月のデビュー戦は終始先頭で逃げて、そのまま楽勝。本来なら牝馬はそのまま翌年の3歳牝馬クラシック(桜花賞・オークス)に向かうが、当時、ファインモーションのような外国産馬は出走権がなかったため、休養に充てた。

 復帰は2002年8月。舞台となった条件クラスの2戦も、まったく格の違うレースを続けた。復帰戦は2番手から抜け出して5馬身差の楽勝。続くレースも、3番手からやはり5馬身差の圧勝。

 このときすでに、競馬ファンのなかで「この馬はどれだけ強いのか」というざわめきが起こっていただろう。

 そしてデビュー4戦目、初めて同世代のトップクラスと対戦する。舞台はGIIローズS。ここでも単勝1.2倍の圧倒的1番人気に推されると、3、4番手を追走。4コーナーでは軽く仕掛けただけで、いとも簡単に後続を突き放した。終わってみれば3馬身差の楽勝である。

 4コーナーまで軽やかに先行して、直線入口でいとも簡単に突き放す。ムチなど必要ない。まるで次元が違った。

無敗のままGⅠへ

 無敗のまま、いよいよGⅠの舞台に上がる。その一戦はGⅠ秋華賞。桜花賞、オークスに続き、3歳牝馬が世代限定で戦うGⅠ。その最終戦である。単勝は1.1倍。GⅠとなればレベルが違うという思いもありつつ、それ以上にファインモーションの強さを楽しみにした。

 そしてこの期待感に、あっさりと応えてくれた。デビュー戦以来のコンビとなった武豊を背に、道中5番手を追走。前にいる馬をじっくり見ると、4コーナー手前で大外から一気に先頭へ並びかけていく。といっても仕掛けている様子はない。まさに"馬なり"のまま上がっていく。

 直線入口で持ったまま先頭に並ぶと、軽く仕掛けて抜け出した。ジョギングのような走りで、3馬身半差のGⅠ初戴冠。実況は何度も「強い」と叫んだ。

 一体どれだけ強いのか。きっと誰もがこの馬に夢を見たはずだ。もしくは、末恐ろしさを感じたかもしれない。

 そんななか、次のステップに挑んだのがGIエリザベス女王杯である。これは、3歳以上の牝馬が戦うGⅠ。ファインモーションは歳上牝馬と相対することになる。

 もちろんその分、勝つのは難しくなるはずだが、ファンは負ける姿など想像できなかった。単勝1.2倍。ここはあくまで通過点であり、どれだけの強さを見せてくれるのか、焦点はそこにあったといえる。

 GⅠを勝った歳上牝馬がいる。歴戦の強者もいる。だが、この馬の走りはまったく変わらなかった。スタートを切ると、道中は2、3番手につけて先頭を見る形。早くもいつものパターンだ。

3コーナーを3番手で通過すると、4コーナー手前で武豊がゴーサインを出した。わずかに手が動いたのだ。その瞬間、ギアが一段上がったかのように、なめらかに加速し、いとも簡単に先頭に並んでいく。そして、一瞬で突き放した。直線入口ではもう一頭抜け出していたのである。

 うしろからは、フランスの名手オリビエ・ペリエが乗ったダイヤモンドビコーが追いかけていた。この馬も重賞を3つ勝っている実力馬だ。一瞬追い詰めるようにも見えたが、残り200mあたりからファインモーションの脚色がさらに増したのだ。

 ゴール前ではさらに加速し、2馬身半の差をつけて悠々と勝利を決めた。「新しい歴史の扉、今開かれました」という実況のフレーズともに、大歓声に包まれたのだった。

夢を見せてくれた走り

 レース後、武豊は「歴史的な名牝の誕生といってもいいんじゃないですか?」と聞かれ、それを認めるように「この馬に巡りあえて幸せですね」と返した。それほどの強さだったのである。

 ちなみに、この時つくったキャリア6戦目での古馬GⅠ制覇という記録は、先日のGⅠ天皇賞・秋でイクイノックスが更新する(5戦目での制覇)までの最少記録だった。

 一体どれだけ強くなるのか。海外でも通用するのではないか。夢は広がるばかりだったが、競馬とは難しいもの。ここからのファインモーションは、当時の期待に比べると、もどかしいレースが続くことになる。

 大きかったのは気性面だろう。レース中に力んでしまい、能力をうまく走りに転嫁できなかった。それでも、GⅠでの2着や重賞勝利を重ねたのは、絶対能力の高さに違いない。

 なお、引退後は予定どおり繁殖牝馬となったが、実は先天的な問題で子を宿すことができないことが判明。今は繁殖牝馬も引退し、余生を過ごしている。

 4歳以降の苦労のレースぶりや、繁殖牝馬になれなかったことなど、さまざまなエピソードがあるが、改めてあのエリザベス女王杯までの走りを思い出すと、この馬に夢を見ていた当時の気持ちが戻ってくる。

 あの秋、ファインモーションが見せた圧巻の走りは、何ものにも代えがたい大切な思い出だ。