日本初開催の世界ラリー選手権(WRC)ラリージャパンで、スバルにすばらしい地元勝利をもたらしたペター・ソルベルグの逆転チャンプはならなかった。 ラリージャパン以来3連勝をかざり、昨シーズンのように最終戦まで持ち込んでの逆転というシナリオを期…

日本初開催の世界ラリー選手権(WRC)ラリージャパンで、スバルにすばらしい地元勝利をもたらしたペター・ソルベルグの逆転チャンプはならなかった。

ラリージャパン以来3連勝をかざり、昨シーズンのように最終戦まで持ち込んでの逆転というシナリオを期待されたソルベルグだが、第14戦コルシカの雨に5位に沈み、2連覇の夢は潰えた。対照的にシトロエンのセバスチャン・ローブは、非常にコンスタントなドライビングを見せ、ノーポイントに終わったのは第3戦のメキシコのみと常に安定した速さを発揮。ソルベルグの3連勝中もすべて2位でフィニッシュするという憎いまでの粘りを披露した。昨年、最終戦でソルベルグに逆転チャンプを許した経験が、そのままシーズンを通じて生かされた結果だろう。また、最終戦で独走優勝を飾り、年間最多勝となる6勝でチャンピオン獲得に花を添えたのも見事だ。

素晴らしいチャンピオン争いが繰り広げられた2004年のWRCだったが、ファンにとって記憶に残るのは次の2つの出来事からだろう。ひとつは日本初のWRCイベント・ラリージャパンの開催、そして王者と呼ばれたカルロス・サインツ Sr.※の引退という年としてヒストリーブックに記されるに違いない。

※2022年、F1のフェラーリで初優勝を飾ったカルロス・サインツ Jr.の父

サインツは10月21日、突如マドリードで会見を開き「そろそろ家族と過ごす時間を作るべきだと思い、人生を変える決断をした」と今季限りの引退を発表した。WRCで最多の通算26勝の記録(2004年当時)を持つサインツは、日本のメーカーとも縁が深い。

◆12年ぶりに開催ラリー・ジャパン 王者ロバンペラとトヨタがホームラリーでの優勝を目指す

■王者カルロス・サインツSr.の足跡

1987年のデビューこそフォードを駆っていたが89年からはトヨタをドライブ。90年にはギリシャで初勝利を挙げると4勝で初のチャンピオンを獲得。同じく4勝し王座奪還をなした92年を最後にトヨタを離れるが、トヨタが93年に日本車初のマニュファクチャラーズ・チャンピオンを獲得するに至った基礎を築いたとして過言ではない。

2015年10月、アメリカ・オースティンで写真に収まる「親子鷹」 左から現在フェラーリを駆るカルロス・サインツ Jr.、トヨタでWRC王者となったサインツ Sr.、アロウズなどで活躍したヨス・フェルスタッペン、マックス (C) Getty Images

94年よりスバルに加入。95年、スバルとして初めてのマニュファクチャラーズ・チャンピオン獲得をサポートした。前スバル総監督の桂田勝氏は、「車づくりにかける情熱が素晴らしい。私たち技術者は計り知れない恩恵を受けた」と語る。その情熱は今も変わらず、昨季、今季のシトロエンのマニュファラクチャーズ2連覇も、サインツの存在抜きでは考えられない。

今季、アルゼンチンで通算26勝目を挙げ、ひとつの栄光を手にしたのも、また引退のきっかけだったのだろうか。開催40回目の節目を迎えた地元カタルーニャでも3位に入り表彰台に上がった。王者と呼ばれたサインツも42歳。引退を前に地元の声援には、万感の思いがこみ上げたに違いない。引退まで、第一線で走り続けたサインツが、舞台から降りることで、WRCのひとつの時代が幕を下ろした。

■記念すべきラリージャパンとその課題

90年代にチャンピオンを獲得したドライバーとして、ラリージャパンに出走したのも、またサインツだけだった。

ラリージャパンは、代表的なマニュファクチャラーズ・チャンピオンを輩出してきた日本にとって大きな歴史的イベント。1973年に始まったWRC、日本車勢は開催年に日産が優勝を飾りその活躍は目覚ましかったが、その31年の選手権の歴史の中で初めて、その世界最高峰の走りが日本にやってきたのだ。

その歴史的イベントにふさわしく十勝・帯広の人々は、懸命にラリーをサポートしているのが感じられた。おそらくラリーカーなど目にしたこともなく、またドライバー名さえも知らないような一般の人々が、小さな子供までもが、リエゾン時に、一所懸命沿道でフラッグを降っては声援を上げていた。こうした地元の歓迎を受けるモータースポーツは、WRCならではの光景ではないだろうか。ぜひともこれからも帯広でのWRCの成功をサポートしてもらいたい。

あえて苦言を抗すれば、第1回ということで、オフィシャルやセキュリティに不慣れな部分が多かった点は否めない。オフィシャルは、取材班がどのコースに入ることが可能で、どこまでが取材可能なのか把握していないことが多く、その下見でもその都度、本部への確認を得なければならない場面が幾度となくあった。もっともひどかったのは、札内のスーパーSSの会場だ。プレスの入口にいた初老のセキュリティは、パスを持つ取材班の前に立ちはだかり「ここはもう誰も通すなと言われてます」の一点張り。しかも、その先の各所でもセキュリティは誰ひとりとして正しい入口を把握しておらず、我々は徒歩で会場の外周を歩いて一周させられるはめになり、かつ正しい入口は、最初の初老のセキュリティがいた場所だったという体たらくだった。もちろん、取材班はその日、WRCのスーパーSSをすべて見逃すという事態に陥った。他のイベントでは、なかなかお目にかからない失態だ。

帯広の地域性と最高峰のモータースポーツに対する意識が、かみ合わなかった部分もあったのだろう。来年は、ぜひこうした齟齬を解消し、またすばらしい大会を開催してほしい。そして、ラリージャパンが短期間のうちに終焉することないよう、大きなイベントに育つよう、関係者の尽力にも期待したい。

■余録

ストーブリーグの話題が漏れ伝えられる中、ブジョーのロバンペラの行き先が宙に浮いたままになっている。よもや、足寄でのリエゾン時に、調子に乗った取材班が、レンタカーのアコードでハリ・ロバンペラ※のマシンを抜きさってしまったのが原因ではないと祈りたい。初開催のラリージャパンに出走したドライバー全員に、来年も戻ってきてほしいと私的体験も私情もたっぷりに込めて願う次第だ。

※現在、TOYOTA Gazoo RacingでヤリスGRを駆るカッレ・ロバンペラの父。

王者戴冠をシャンパンで祝うロバンペラ(右)、ハルットゥネン組 (C) TGR

また、ブジョーもシトロエンも2005年限りでの撤退のニュースが流れているが、これもいちファンとして撤回されることを願いたい。フォードも今季限りで撤退かとプレスをにぎわせたが、今後4シーズンにわたって参加するという逆転のうれしいニュースが届いたばかりでもあるのだから。

ラリージャパン最終日の夜半、APRCクラスでクラス優勝を成し遂げたカレラムジット・シンとばったりフレンチの屋台で出会った。とつとつラリーへの情熱について語るシンと祝杯を上げたシャンパンは、ラリージャパンでの最良の思い出となった。ぜひ来年も祝杯をともにしたい。

MSNスポーツ 2004年11月17日掲載分に加筆、転載

◆【スポーツ回顧録】ラリー・ジャパン日本初開催、日常に轟き降りた非日常の衝撃的走り

◆第12戦 オジエ優勝、トヨタが2年連続マニュファクチャラーズタイトルを獲得

◆第11戦 トヨタのカッレ・ロバンペラが優勝で史上最年少王者戴冠 「チャンピオンは唯一の目標」と歓喜

著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨーク大学などで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。