2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。※  ※  ※  ※パリ五輪を…

2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。

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パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
~HAKONE to PARIS~
第8回・今井正人(順天堂大―トヨタ自動車九州)後編
前編はこちら>>初代・山の神の苦悩「そう呼ばれて、それを超えられていない悔しさはある」



MGCの出場権を獲得した今井正人(トヨタ自動車九州)

「山の神」の称号を得て、順天堂大学(以下、順大)を卒業した今井正人は、2007年トヨタ自動車九州に入社した。福島出身で、順大は関東の大学だ。なぜ、九州のチームに入社を決めたのだろうか、

「森下(広一)監督の存在が大きかったですね。別府大分毎日マラソンで中山(竹通)さんと争った走りや92年のバルセロナ五輪でゴールして倒れ込むシーンがすごく印象に残っていたし、銀メダルも獲った。僕はマラソンで、そして五輪で勝負したいという思いで高校の時に陸上を始めたので、メダルを獲った人の考え方や取り組みにすごく興味があったんです。それにサムエル・ワンジルや同期の三津谷(祐)もいて、チームに勢いがありましたし、彼らに勝てば日本一になれるんじゃないかと思ったのも大きかったです」

 森下監督やチームメイトの存在、刺激的な環境を求めて今井はトヨタ自動車九州への入社を決めたが、同時に自らの変化も求めていた。

「自分は東北の人間なので、ちょっとおっとりしている性格で表現が苦手というか......。九州は東北の人間とはスポーツに対する考え方、取り組みが全然違うところがあって、自分が成長するにはそういう足りない部分を手に入れないといけないと思っていたんです。大学を選ぶ際は、(高校の時と)同じ流れでという感じだったんですけど、実業団は今後、自分が活躍し、さらに成長していくためにはまったく異なるものを取り入れていかないといけない。それも入社を決めた理由のひとつです」

 2007年に入社後、マラソンを始めた。08年に北海道マラソンで初フルマラソンを経験し、世界選手権の出場を目指したが、11年3月、最終選考のびわ湖毎日マラソンでは日本人3位に終わり、チャンスを逸した。また、ロンドン五輪の国内選考レースとなる11年12月の福岡国際マラソンでは川内優輝(当時埼玉県庁)、前田和浩(当時九電工)と3人のデッドヒートになった。初フルマラソンから4大会連続での自己ベスト更新になったが、日本人2位、総合4位に終わってロンドン行きを決められなかった。最終選考となる12年3月のびわ湖毎日マラソンは25キロ過ぎに脱落し、42位に終わった。

「この時期は、一番苦しかったです。福岡で勝てず、びわ湖もダメ。もうマラソンはダメだなって思い始めて、正直マラソンを走る怖さを感じていました」

大きな舞台でまたも失敗

 今井は、びわ湖毎日マラソンのあと、半年間ほど、地元に帰るなどして原点を見つめ直す時間を過ごした。高橋尚子さんからは「大きな大会に臨む時も地方のレースに出るぐらいのイメージで、肩の力を抜いてやればいいんじゃない」とアドバイスをもらった。突っ走ると周囲が見えなくなる猪突猛進タイプの今井の心に響く言葉だった。そうして、心身ともにリフレッシュして、モスクワの世界選手権選考会を兼ねた13年東京マラソンに出場した。

「この時は2時間10分29秒で11位だったんですが、『なんかちょっと感覚が変わったぞ』みたいなものがあったんです。ずっと体作りをしてきたこともあってか、動かしたい体と心が少しずつかみあってきた。結果は出なかったんですけど、マラソンを戦える手応えを感じられたのは、すごく大きかったなと思います」

 復調した今井は、19年東京マラソンで2時間10分30秒で総合6位(日本人2位)となり、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・2023年秋開催)の出場権を獲得した。しかし、東京五輪出場がかかったMGCは25位に終わり、母国開催の五輪への出場は実現しなかった。

「15年、北京の世界選手権を決めたあと、体調不良でダメになった経験を活かしてMGCに臨みたいと思っていました。でも足に痛みが出たりして、レースの1か月前からメンタルがガタガタと崩れてしまった。コンディション作りがうまくできず、自分の精神的な弱さが出てしまい、同じ失敗を繰り返してしまったんです」

 人生をかけた大きな舞台で連続の失敗。失意の底に突き落とされた今井は、このMGCのレース以降、マラソンの表舞台から姿を消した。

「足の状態がよくなかったので、もしかするとMGCが最後のレースになるんじゃないかという思いがありました。それでも失敗してしまったので、しばらくはその結果を引きずっていました。ある時は頑張ろうとするけど、次の時にはもうやれないと思ったり、気持ちの波がすごく大きかったですし、自分のなかで整理がつかず、パリ五輪という目標に立ち向かっていけないもどかしさを抱えていました」

 そんな今井を救ったのは、周囲の人の支えだった。森下監督は、丁寧に今井の話を聞いてアドバイスをくれた。中学の時から治療でお世話になっている先生には、自分が今抱えているものを話し、相談にのってもらった。地元の応援団は「頑張れ」と尻を叩いてくれた。沈んでいた気持ちが前に向くようになり、五輪という目標に再び、挑戦する意欲が高まった。

「応援してくれる人やアドバイスをくれた先生方の声は、本当にありがたかったです。それを聞いているなかで、やっぱりこのままじゃダメだなと思いました。高校で陸上を始めた時、五輪に出て、マラソンで勝負すると決めたんですが、それを諦めて逃げちゃダメだなって思ったんです。最後まで100%やってダメなら仕方ないですが、自分自身まだやりきっていない。自分自身を裏切ってはいけないと強く思い、動き出すことができました」

引退覚悟のレースで結果を出す

 動き始めた今井は2021年2月、重大な決心をする。1年後の2022年2月の大阪マラソンで結果を出せなかったら一線から身を引く覚悟を監督に伝えた。

「監督に話をしたことで気持ち的にはスッキリしました。MGCが終わったあと、五輪に向けて目標が定まらないなか、競技を続けるのが一番キツかった。でも、1年間という区切りをつけることで大阪マラソンに向けて、どう自分を作っていくのかというのが見えたんです。会社や監督には走れない自分をずっと見てくれてすごく感謝をしていましたが、いつまでもそこに甘えているわけにはいかない。1年でけじめをつけると決めたことで、そこに集中していくことができたんです」

 今井は、ひとつひとつの練習を後悔しないように取り組み、1日1日を納得して過ごしていった。過去にない充実した練習ができて、レース前は気持ちが高まり、やる気に満ちた。そうして、2022年2月、大阪マラソン・びわ湖毎日マラソン統合大会の舞台に立った。MGCから2年5か月ぶりのレースだった。

「自分のなかでは人生最後の勝負するレースだと思ってスタートラインに立ちました。全力を出さないと永遠に後悔する、雑に終わらせるわけにいかないと思っていました。走っている時は、すごく楽しくてあっという間に35キロまできました。そこから最後までは長かったですけど、ここまできたらMGCを獲らないとと思い、もう必死でした(苦笑)」

 今井は2時間8分12秒で6位となり、MGCの出場権を獲得した。

「ひとつの形にはなったと思うんですけど、6位なんでね(苦笑)。やっぱり勝負事は一番を獲りたいですよね」

 1年間の取り組みで結果を出し、マラソンに取り組むうえでの手応えは感じられた。前回のMGCは戦うスタートラインにも立てていなかったと悔いたが、来年のMGCは、どのような気持ちで迎えようとしているのだろうか。

「北京世界選手権、前回のMGCは自滅で、負けた悔しさよりも万全の状態でスタートラインに立てなかった悔しさのほうが大きかった。今回は、21年からの取り組みのように、出し惜しみせず、自分で考えた練習をすべてやりきった状態で、スタートラインに立ちたい。レースでは自分は来年実業団で17年目になるんですが、やってきたものをすべて出して、勝負していきたい。このレースが最後になってもいいというくらいの覚悟を持ちつつ、今までのレースのなかで一番楽しめるものにしたいと思います」

 ここまでの覚悟を持って戦えば、少なくとも満足がいくレースができるはずだ。ランナーにとっては、勝ち負けも大事だが、自分が納得できるレースができるかどうかも非常に大きい。そして、MGCで結果を出せば、パリの灯が見えてくる。

 今井にとってパリ五輪とは、どういう舞台になるのか。

「最後の挑戦です。MGCもそうですが、自分のなかでは五輪を狙う、そして五輪の舞台を走る挑戦はこれが最後になります。高校で陸上を始めた時の自分との約束をしっかり果たしたいですね。ベテランですが、キプチョゲ選手は同年代で、世界のトップを走っています。自分も年齢は気にせず、すべてを出してMGCで勝ちたい。2年後は、パリで日の丸をつけて走りたいと思っています」

 今井がパリ五輪のマラソン代表となり、順大の後輩の三浦龍司(現3年生)がトラックでの出場を実現したらおそらくコーチとして長門俊介(現順大駅伝監督)が帯同することになるだろう。順大の同期がプレーヤーとコーチとしてパリ五輪で再会を果たすことになる。

「それを聞いて、鳥肌が立ちました。僕にしかできないことなので、実現したいですね(笑)」

 競技人生で悔いのない走りを実現するために、まずはMGCまで1日も無駄にすることなく、コツコツと練習を積み重ねていく。そうして、MGCでは、森下と中山が見せたようなシーンを今度は今井が見せてくれるかもしれない。