10月22日に地元の長野県で行なわれた、全日本スピードスケート距離別選手権女子500m。これが現役ラストレースだった小平奈緒(相澤病院)は、2位の髙木美帆(日体大)に0秒69差をつける、ただひとり37秒台に入る37秒49で圧勝し、大会8連…

 10月22日に地元の長野県で行なわれた、全日本スピードスケート距離別選手権女子500m。これが現役ラストレースだった小平奈緒(相澤病院)は、2位の髙木美帆(日体大)に0秒69差をつける、ただひとり37秒台に入る37秒49で圧勝し、大会8連覇を果たした。


会場に集まった6000人の中で最後のレースを滑った小平奈緒

 昨年、北京五輪シーズンの初戦だったこの大会で出した記録を0秒09上回る好タイム。彼女が最も充実していた平昌五輪シーズン、その2017年大会の37秒25と、翌2018年の37秒30には及ばなかったものの、この大会で自身3番目のタイムを叩き出した。

 当日のウォーミングアップで、小平は「氷がすごく硬くて、スケートが少し弾かれてしまう感覚があった」と不安を口にしていた。

 それは製氷スタッフが、観客席が満員になれば場内の気温が上がると考えてのことだが、結城匡啓コーチは「ここまでの数日間の氷とは違っていたので、彼女はそういう感度がいいだけに感覚の違いを気にしていたんです。だから『もう1回製氷が入れば大丈夫だよ』と言いました」と説明した。

 レースではそのアドバイスどおりの感覚になった。小平はその感覚をこう表現した。

「もう氷が足にくっついているんじゃないかというくらい、ピタッと寄り添うような感じでスケーティングをしていました。今日は氷が親友になったような感じでした」

 10月3日の会見で、「過去の自分を乗り越えるような滑りができたらいいですが、氷の条件や気圧などの条件が揃わないとタイムは出ない。その時のベストレースをして、出たタイムが私のベストだと思ってゴールを駆け抜けたい」と話していた小平は、試合後こう振り返った。

「2週間くらい前までは、スタートの構えをすると捻挫の痛さが若干残っていてハマりが悪かったのですが、それがドンドンなくなってきていました。一度緩くなった足首を最初の100mで自分の体としてうまく使いきるまでには戻ってなかったですが、10秒44といいスタートが切れてコーナーも身を委ね、バックストレートもいい感じで前の選手を追えました。コーナーのきつい第2カーブの最後のクロスを終えて、直線に入った時はもう転ぶ心配もなくなったので、『ここからは自由に滑ってゴールに駆け込むだけだ』と思い、歯を食いしばってすべての力を出しきってゴールしようと思いました」

 100mからの400mは27秒05という好タイムだった。

「本当に頭が下がる思いです。もしシナリオがあったとしても、なかなかこういう風にうまくいくものではない。それくらいにすばらしいレースだったなと思う」と話す結城コーチは、こうなることを予測していた。

「8月に帯広で氷上合宿を始めて以来、タイムトライアルを含めた500mは今日が4回目でしたが、0秒2ずつよくなっていました。100mからの1周のラップタイムは4日前のレペテション練習でエムウェーブでのベストの25秒台が出ていたので、今日は26秒台から27秒0くらいのラップは出るだろうというのはあった。37秒台前半は出るだろうとは思っていたので、予想どおりでした」

ケガから万全の状態へ

 たった1本のレース。37秒49のためだけにきつい夏場の練習に集中する小平の姿勢は、海外も含めた多くの選手が感嘆するものだった。彼女のここまでの歩みを結城コーチはこう振り返った。

「35歳で迎える北京五輪への道のりのなかで、一番気を遣ったのはケガでした。パフォーマンスの衰えや、体力的なもの、技術的なもの、気持ちの部分の衰えは感じていなかったですが、ケガをするとリカバリーに時間がかかるというのは年齢的には逆らえないところ。それをずっと4年間考えて過ごして、最後の1カ月に入ったところでケガをしてしまいました。

 実際、捻挫自体はそんなに大きなものではなかったのですが、右足首は大学3年とオランダの2年目でも捻挫をしていて、加えて命綱となっていた2本の靱帯が切れたという状態で北京五輪を迎えることになってしまいました。それを考えると、(ケガをする前の)去年のこの時期よりパフォーマンスがいいということはとんでもないこと。

(北京五輪後)最初の3カ月間で機能的に問題がないところまで回復させましたが、それは本人の努力によるもの。そればかりは周りがどんなにサポートしても無理なので、彼女は足首のケガに関係がある股関節の使い方を自分なりに工夫をしてやったことが、今回のパフォーマンスの要因だと見ています。だから奇跡という言い方はおかしいですけど、ここで何事もなかったようにあのパフォーマンスを見せた本人の努力は、『すばらしいな』と思っていました」

 それは、小平が長年積み上げてきたからこそ実現できた、精神面での進化だったと言えるだろう。その進化を続ける姿は、技術面でも見せていた。

「(今回)10月に入ってからは、今まではやったことがなかった500m1本に絞る練習を始めましたが、そうしたらどんどんキレが出てきました。スケートは氷の上でパワーを発揮する技術が大きなウエイトを占める種目ですが、その意味では決して年齢とかそういうことだけではないというのを、36歳まで証明してくれたなという印象を受けました。それとともに、アスリートの枠を超えてというか、人間としてのすごさが......。『やると決めたら』、という覚悟であったり、決意というところは本当にすばらしいなと思いました」(結城コーチ)

感情を抑えて目指したのは最高の滑り

 結城コーチはレース後、「いいレースだったな」と小平に声をかけ、ふたりで滑りを振り返った。観客席を埋め尽くした6000人を超える観客の満足する姿に目を向けたら、ふたりとも会話にならなくなると思い、視線をそらしていたと笑う。

「レース前に小平は、おそらく感情を遮断していたと思います。『ありがとう』と言いたいことがたくさんありすぎて、感情を遮断しなければ感極まってしまう。その点ではいつもどおりではなかったけど、小平奈緒が小平奈緒でいるところを、最後に見てもらうという気持ちだったと思います」

 それは小平自身も口にしていた。2日前に受付を済ませてプログラムをもらった時、いつもは見たことがなかったプログラムのページを何気なく開くと、そこには所属する相澤病院からのメッセージが書かれているページがあった。

"たくさんの応援をありがとう。たくさんの声援をありがとう。たくさんの笑顔、たくさんの涙。たくさんの歓喜をありがとう。

 13年間、そのエールのそばにいられたことを私たちはとても嬉しく、誇りに感じています。

 大きな声で後押しはできないけれど、暖かな拍手で包むことならできるから。ラストレースを一緒に愉しみましょう。いつまでも途絶えない、たくさんの拍手とともに。"

 これを読むと、30分ほど涙が止まらなかったという。

「そこが一番、感情が沸き立った瞬間でした。急いでページを閉じて、『ダメだ、ダメだ。心を閉じて滑り切らなければダメだ』と思いました」

 涙を止めて、最後までアスリートとして滑りきりたいという、強い思いを小平は奮い立たせた。

「過去の自分には届かなかったけれど、夢見ていた空間のなかで滑ることができたのは、五輪でメダルを獲った時よりも、世界記録に挑戦した時よりもずっと価値のあるものだったと感じました」

 結城コーチは、これまで小平のレースを半分は親みたいな気持ちになって見ていたと微笑む。だから今回もスタートラインについた彼女が、無事にゴールして欲しいという思いが半分。すばらしいタイムを出せたことへのうれしさが半分だった。

「もっとやれるとは思いますが、今回をラストレースにする理由は、そのくらいすべての生活をスケートに捧げ、費やしてきているからだと思います。だからここで、スケート以外の時間も大事にしたいと......。彼女自身の人生の豊かさとか、人とのつながりなどを新たに求めるための決断だったと思います。

 これからの小平はどの道に進んでも、多分大丈夫じゃないかなと思います。アスリートとしてはここで一旦区切りがついたけど、このあとが大事になるというか人生の本番なので、本人が納得いくものになってくれたらいいなと思います。そのためにこれからも応援するし、見守っていくという感じです」

 小平が信州大を選んで出会えたことに、「本当にありがとうと言いたい」という結城コーチ。2人の師弟関係はこの日を境に、セカンドステージに進んだ。