奥野一成のマネー&スポーツ講座(4)~スポーツ中継の経済学 前回は奥野一成先生から、最近の物価高騰に関連して、さまざまな話を聞いた市立集英高校3年生の野球部女子マネージャー・佐々木由紀と、新入部員の野球小僧・鈴木一郎。いま現実に起きているこ…



奥野一成のマネー&スポーツ講座(4)~スポーツ中継の経済学

 前回は奥野一成先生から、最近の物価高騰に関連して、さまざまな話を聞いた市立集英高校3年生の野球部女子マネージャー・佐々木由紀と、新入部員の野球小僧・鈴木一郎。いま現実に起きていることが、将来の自分たちの人生にも関わっていると知り、いつになく身構えるのだった。

 とはいえ、シリアスな空気がそう続くわけもなく、練習前の野球部部室の前では、集英高校野球部顧問にして、家庭科で生徒に投資教育を行なっている奥野先生が、由紀と鈴木のとりとめのない会話を聞いていた。

由紀「鈴木君はロサンゼルス・エンゼルスのファンだと言ってたけど、試合、テレビでよく見ているの?」
鈴木「週末とかライブで見られる時は見るし、大谷翔平が先発する試合は録画をして見てます」
由紀「それ以外のチームの試合も見るの?」
鈴木「たまにBSで日本のプロ野球を見ることはあるし、CSや配信サービスのDAZNもあることはあるけど......。そういえば先生、昔はもっと地上波でプロ野球を中継してたって聞いたけど、ほんと?」
奥野「巨人戦のナイターが民放のドル箱で、毎試合中継していた時代もあったから、隔世の感があるのは確かだね」

 奥野先生は38歳。中学、高校時代はまだプロ野球がテレビのゴールデンタイムの主役を張っていた。この20年でスポーツをめぐる視聴環境は大きく変化していた。

鈴木「うらやましいな......」
由紀「11月にはサッカーのW杯がカタールで開催されるでしょ。サッカー部の部員に聞いたんだけど、日本がカタールW杯出場を決めたアジア最終予選のオーストラリア戦は、民放のテレビ放送がなくて、有料配信のDAZNでしか見られなかった。つまりほとんどのサッカーファンはその試合を見られなかったんですって。設定された放送権料が高すぎて、日本のテレビ局が払えなかったからだと言われているんだけど、その部員は『そんなことだとサッカー人気が落ちるんじゃないか』と心配していました。先生、なんでこういうことになるのでしょうか」

民放テレビ局が置かれている厳しい状況
                         
奥野「聞くところによると、この時に要求されたテレビの放映権料は10億円ぐらいだったらしいね。サッカー1試合の時間が2時間として、そこに10億円のCMを打てるスポンサーが見つからなかった。だからテレビでは放映できなかった。そういう話です。

 10億円という放映権料が、どれだけ吹っかけられたものなのかは、わからないのだけれども、今まで、それでも何とか払ってくれるスポンサーが見つかって、テレビで試合を放映できたのは、日本企業がそれだけ儲かっていたからというのが、ひとつめの理由として考えられる。

 それとともに、それだけのお金を払って広告宣伝を打ったとしても、十分に回収できるだけのお客さんを取ることができたということもあるだろうね。ただ、もうそれが通用しなくなってしまった。当然、1社提供ではないだろうから、複数社で10億円を割るとしても、試合が放送されている2時間の間にCMで会社名や製品名を連呼したとしても、『お、この製品を買ってみよう』という意欲につながらない。

 そもそもテレビはレガシーメディアだから、見る人自体が少なくなっている。

 スポンサー企業の広告担当者もそのことがわかっているから、いくら広告代理店やテレビ局の営業がお願いセールスをしても、乗ってこなくなってしまったというわけ」
     
鈴木「確かに、最近はテレビってあまり見ないな~」
由紀「YouTubeのほうが話題になるわね」
    
奥野「これは前回も言ったことなんだけど、日本人を相手に商売をしても、もうダメだということなんです。現在の日本の総人口は、約1億2800万人。それがこれからどんどん減っていく。しかも日本は成熟経済であり、ほとんどのモノが揃っているから、消費者も『あれがほしい、これがほしい』とはならない。

 そのうえ君たちみたいに、若い人たちがテレビを見なくなっているとなれば、今のエスタブリッシュされた企業が広告を出す理由なんて、もうどこにもない。そりゃ、10億円なんて大金、複数のスポンサーで割るとしても、ポンと出してくれるところを見つけるのは、相当に難しいだろうね。それに、日本企業もそれほど儲かっているわけではないので、広告という単なる売名行為のために多額の資金を投じるだけの余裕がないという、非常に現実的な理由もあるんだと思うよ。
      
鈴木「じゃあ、なぜDAZNは高いお金を支払って、日本がカタールW杯出場を決めたオーストラリア予選を配信したのですか」

広告料を払えるスポンサーも減っている

奥野「これは、なかなかいい質問だね。サッカーW杯で日本代表が出場する試合をテレビで放送すると、時間帯にもよるけどだいたい40%程度の視聴率を稼ぐと言われているんだ。

 ということは、日本の世帯数が7000万世帯だとすると、約2800万世帯が見ていることになる。10億円を2800万世帯で割ると、1世帯あたり36円を払ってくれれば、ちょうど10億円になる。つまり放映権料が10億円だったとしても、ペイできるってわけ。

 DAZNが今回、いくらで権利を得たのかわからないし、現時点でDAZNに2800万人ものサブスクライバーがいるようにはとうてい思えないんだけれども、ひょっとしたら、このカタールW杯のオーストラリア予選を放映することによって、自分のところのサブスクライバーを増やせるかもしれないと考えたのではないかな。

 たとえ2800万人に到達できなかったとしても、ある程度までサブスクライバーを増やすことができたら、これから先、DAZNが提供するさまざまなコンテンツに、チャリンチャリンとお金を落としてくれるかもしれない。そろばん勘定が透けて見えるよね」
        
由紀「そうなると、もう本当に地上波のテレビってダメになっていくだけのような気がします」
        
奥野「そうだね。テレビ自体がもう十分に日本の隅々まで行き渡っていて、今さら視聴率を競うような時代ではなくなっているし、瞬間的に高視聴率を獲得できたとしても、高いスポンサー料を払ってくれる企業は、もうこの日本にはない。あったとしても、その数はものすごく少なくなっている。

 そういう時代に、視聴者からはお金を取らず、いわゆる広告モデルで企業からお金を取り、それを番組の制作費やテレビ局で働いている人たちの給料に充てるというビジネスモデルは、いよいよ限界に近づいている気がするね。

 したがってDAZNのように、そのプラットフォームが提供しているコンテンツに魅力を感じた人が、適正な料金を月額で支払っていくほうが合理的なのかもしれないね。いずれにしても、もう地上波テレビの時代ではないと思うよ」
         
鈴木「でも僕、思ったんですけど......確かにW杯の出場がかかった予選の試合って、それなりに価値はあるはずですけど、それにしても10億円って、すごくないですか」

奥野「これは、スポーツの場合、即時性が高いからだと思うんだよね。

 たとえば映画、ドラマというのは、今、観なければダメというものではないよね。でも、スポーツって筋書きのないドラマだから、結果がわかっているものを観ても、面白くも何ともない。つまり、まさに今、行なわれている試合を、リアルタイムで観ることに価値があるんだ。だから、アメリカでいうと大学フットボールの試合とか、あるいはスーパーボールの試合には、高額の放映権料が設定されるんだよ。

 もっと言うと、リアルに対する価値が上がっていく一方で、映画やドラマのように、後から何度も観られるようなコンテンツの価値は、下がっていくのかもしれないね。まあ実際にどうなるのかは、まだ状況を見ていく必要があるとは思うのだけれども、DAZNや、ディズニー傘下のスポーツ専門チャンネルであるESPNが、ライブの価値が高まっていることを背景に盛り上がっている一方で、Netflixの株価が急落したのは、何となく象徴的な気もするね」

【profile】
奥野一成(おくの・かずしげ)
農林中金バリューインベストメンツ株式会社(NVIC) 常務取締役兼最高投資責任者(CIO)。京都大学法学部卒、ロンドンビジネススクール・ファイナンス学修士(Master in Finance)修了。1992年日本長期信用銀行入行。長銀証券、UBS証券を経て2003年に農林中央金庫入庫。2014年から現職。バフェットの投資哲学に通ずる「長期厳選投資」を実践する日本では稀有なパイオニア。その投資哲学で高い運用実績を上げ続け、機関投資家向けファンドの運用総額は4000億を突破。更に多くの日本人を豊かにするために、機関投資家向けの巨大ファンドを「おおぶね」として個人にも開放している。著書に『教養としての投資』『先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか?』『投資家の思考法』など。