世界卓球団体戦 世界卓球団体戦(テレビ東京系&BSテレ東で連日放送)は中国・成都で連日熱戦が繰り広げられている。女子では、ルクセンブルクを率いる59歳・倪夏蓮(ニー・シャーリエン)が奮闘。グループリーグ初戦で世界ランク4位のメダル候補・韓国…

世界卓球団体戦

 世界卓球団体戦(テレビ東京系&BSテレ東で連日放送)は中国・成都で連日熱戦が繰り広げられている。女子では、ルクセンブルクを率いる59歳・倪夏蓮(ニー・シャーリエン)が奮闘。グループリーグ初戦で世界ランク4位のメダル候補・韓国に対し、番狂わせを演出した。世界ランクはグループ4番手の24位ながら、個人6戦5勝で決勝トーナメント進出を確定させる快進撃。鉄人の老獪な技とチャーミングな人柄、今もなお貫き続けるプロ魂に記者も魅せられた。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 開幕前日のことだった。卓球の世界大会取材は初めて。記者席から各国の練習を眺めていると、年を重ねた一人の女性が小走りで控室に戻っていった。コーチが忘れ物でも取りに行ったのか。特に気に留めていなかった。

 翌日の本番、同じ人物がラケットを手にコートに立っている。なんと現役バリバリの選手だった。大変、大変、失礼な間違いだったと気づかされた。

 ルクセンブルクのエースとして韓国に挑み、世界ランク16位の29歳、同64位の26歳に2連勝。3-1でチームに金星をもたらし、娘ほど年の離れた20代の仲間と飛び跳ねて喜んでいた。国際卓球連盟(ITTF)も驚きをもって伝えると、シンガポールとの第2戦では、17歳との42歳差対決が実現。お世辞にも柔らかいとは言えない動き。しかし、老獪なテクニックに目を奪われた。

 台の中央からあまり動かない。最小限のフットワークで球に手を伸ばし、17歳を右に、左に振り回す。緩急をつけ、ヒョイっと突然リズムを変えるバックハンドで得点。かと思えば、高くはねた球に強烈なスマッシュを叩き込んだ。あれよあれよと2ゲームを先取していった。

 卓球はパワー、スピードだけじゃないことを教えられる。粒高ラバーで巧みに回転をかける熟練の技。夢中になったスタンドの中国記者たちは、隣のコートで戦う母国そっちのけで全身全霊の59歳に拍手を送っていた。

「もちろん、まだ上手くなりたいわ。年齢に関係なく、自分自身を成長させ、チームに結果をもたらすのは競技者としての責任だと思うから。チームを牽引して全てのポイントで勝ちに行きたい。最も重要なのは全力を尽くすことなのよ」

 59歳は全力プレーを信条に置く。17歳とフルゲームにもつれた大接戦。6-6に追いつかれると、天井を見上げ、勝負を楽しむかのように笑っていた。8-10でマッチポイントを握られたが、執念で10-10の同点に。最後は12-13から強烈なバックハンドに沈み、チームを連勝に導けず。試合後は悔しさを隠さなかった。

「とても残念ね。私の試合で勝つことが、どれくらい重要かわかっているから。たった1ポイント。でも、それを受け入れなければいけないわ」

 失点すれば、1球ごとにジェスチャーを取ってイメージを修正。ミスの後は地団太を踏んでイライラを露わにする。いくつになっても「悔しい」と思えることが素晴らしい。なぜ、今もその感情が湧き続けるのか。取材エリアで質問をぶつけた。

中国からルクセンブルクへ、異なる国で代表になった意味

 倪は背筋を伸ばし、礼儀正しく両手を前に組んだまま、「責任」という言葉を繰り返す。

「選手として、私には全てのポイントに全力を尽くし、勝ちに行く責任があります。今日、私は大きな勝つチャンスがあった。不運だったわ。これがスポーツの難しい側面です。全ての選手が勝ち方を学ばなければいけない。でも、負けを受け入れるのはもっと辛いんです」

 まだ額に汗を残しながら、当然のように言い切った。その姿は、生まれ故郷ではなくとも、代表として国を背負う意味を示していた。

 中国に生まれ、世界卓球は同国代表として1983年東京大会に初出場。女子団体、混合ダブルスで優勝し、女子ダブルスは銅メダルに輝いた。89年にドイツへ渡り、翌年からルクセンブルクへ。男子リーグでプレーした。以降はルクセンブルク代表として2000年シドニーで五輪初出場。58歳で5度目の出場となった昨年の東京五輪では、卓球選手として史上最年長出場だった。

 昨年11月の世界卓球個人戦は、女子ダブルスで銅メダル。世界ランクの過去最高は4位。リオ五輪ではルクセンブルクの旗手を務めるほど、認められた存在だという。コーチを務めるルクセンブルク人のトミー・ダニエルソン氏と結婚。一緒に各国を転戦し、今大会は監督としてベンチ入りしてもらっている。宿舎でも毎朝仲睦まじく食事をともにしていた。

 卓球王国・中国とルクセンブルク。面積は神奈川と変わらず、人口も60万人ほどしかいない卓球後進国でも、探せばいくらでも成長の機会があるという。

「もちろん、中国の卓球は素晴らしいものがあるけど、私は外の世界にもいいものはたくさんあると思っています。私はルクセンブルクで学んだことも合わせて戦っている。夫と世界中に行けて幸せ。夫もいろんな美しい景色を見られて嬉しいと言ってくれるの。感謝しないといけないですね。それぞれのいいものを世界に広めていくのが、私たち夫婦の務めなんです」

今の夢は何なのか「子どもたちに私を追い越してほしい」

 時代とともにルールが変わり、用具が進化しても、その度に技術を磨き直して対応してきた。増やした引き出しは数知れず、現在の世界ランクは41位。「戦うために一生懸命準備しているわよ。よく寝ることね(笑)」。継続的にポイントを上積みしなければ、すぐに転落してく世界。この順位をキープしているのは鉄人の証だ。

 来年7月、日本で言えば還暦を迎える。今の夢は何ですか。ルクセンブルクの卓球少年、少女、チームの後輩たちに思いを馳せる答えが返ってきた。

「チームを良い方向に導くことです。そして、子どもたちが私を追い越してくれるといいですね。長い間、子どもたちには、先頭に立つように言い聞かせてきたんです。でも、彼らはいつも“母親”に先頭を行ってもらいたがります。だから、私が牽引しなきゃいけないんです。でも、私たちは良いチームですよ。チームの調和はとれています。次の試合もいつものように全力を尽くしたい」

 30歳の息子、19歳の娘を持つ2児の母。息子の年齢は記者と変わらない。「あんたも私の息子みたいなもんね(笑)」。いまだ燃えさかる闘志の一端をのぞかせた取材を終えると、10人ほどの中国記者たちから拍手が沸き起こった。

 決して手を抜かない“おばちゃん”のプロ魂に感服。20代の選手たちを次々と倒し、決勝トーナメント進出を決めた。彼女にとって、年齢は記号にしか過ぎない。最後は日本語で「アリガト~。サヨナラ~」と、こちらに手を振ってくれた。チャーミングな人柄に心をわしづかみされた。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)