高3で渋野、原、小祝、稲見、古江らを抑えて国体優勝 国内女子ゴルフツアーが活況を呈する中、今年も8月から日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)プロテストが実施され、4日から2次予選が始まる。合格率3%台の超難関。6度目受験の瀬賀百花(せが・も…

高3で渋野、原、小祝、稲見、古江らを抑えて国体優勝

 国内女子ゴルフツアーが活況を呈する中、今年も8月から日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)プロテストが実施され、4日から2次予選が始まる。合格率3%台の超難関。6度目受験の瀬賀百花(せが・ももか)は「黄金世代」の1人で、「今度こそ」の思いで準備を進めている。高3でいわて国体優勝(個人)。プロテストは一発合格をイメージしていたが、壁は想像以上に厚かった。勝みなみ、小祝さくら、渋野日向子、原英莉花らライバルたちが続々と合格し、活躍する中での苦闘。一時はクラブを置くことも考えたが、「人に恵まれてきた」ことで挑戦を続けられているという。そんな23歳の思いを聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部・柳田通斉)

 瀬賀は2次予選をC地区(11~14日、広島・呉CC)で受験する。約2週間後に迫り、決意を口にした。

「私は人に恵まれています。だからこそ、地元の新潟を離れてもゴルフを続けられています。心から支えてくださったみなさんに恩返しをしたいと思っていますし、今年は例年以上に『今度こそ』の気持ちを強くしています」

 新潟県関川村生まれ。ゴルフ好きの両親に影響され、7歳でクラブを握った。すぐにプロを志し、練習の日々が始まった。ジュニア大会で好成績を残し、高3で出場した国内女子ツアー・ヨネックスレディスで予選通過。いわて国体では、同学年の原、渋野、小祝、1学年下の稲見萌寧、菅沼菜々、2学年下の古江彩佳、安田祐香らを抑えて優勝した。そして、翌年、プロテストに初挑戦した。

「1次、2次と余裕で通過して、最終プロテストの前も落ちることは頭にありませんでした」

 結果は合格ラインに4打足りずに不合格。ショックだったが、「技術が足りなかった。また、来年があるし、今年のQT(ツアー予選会)で頑張れば試合に出られる」と思い、すぐに立ち直ったという。

 当時はプロテスト未合格者でもQTを受験できた。最終QTに進めば、翌年にはステップ・アップ・ツアーの大半に出場ができ、上位35人に入れば、ツアー出場が見込まれた。

「私は3次QTまで進んで、ステップ・アップ・ツアーの3試合に出場できました。あらためて技術の足りなさを感じていましたが、2度目のプロテストも自信満々で受験しました」

 前年に最終プロテストに進出したことで、2次予選からの受験。カットラインを2打上回って通過し、進んだ最終プロテストでは、初日8位、第2日12位。第3日で24位に後退したが、最終日で合格ラインの20位以内に入れる可能性は十分にあった。

「コースは距離が短め、グリーンも速くなく、伸ばし合いになりました。私は第2日までは順調でしたが、第3日からバーディーが獲れなくなり、焦り始めました。最終日は緊張で思うようなプレーができず、ボギーが先行してしまいました」

2度目のテストまでにライバルたち合格「焦りが…」

 合格ラインに5打届かなかった。一方、21位で最終日を迎えた渋野は68をマークして14位で合格。その他、同学年では原、大里桃子、木下彩、臼井麗香、河本結、高橋彩華が難関を突破した。

「この時は絶望感がありました。前年に続いて仲が良かった同学年の子たちが受かったので……。完全に出遅れた気持ちになり、さらに焦りました」

 それでも、同年は最終QTまで進み、翌19年シーズンはステップ・アップ・ツアー全20試合に出場。「プロ生活」は実感できた。しかし、JLPGAは「2020年からは最終プロテストに合格するなどしたJLPGA会員でなければ、QTを含めたJLPGAの競技には出場できない」と規定を改正。瀬賀は「合格しなければ職場を失う」との思いで、この年も最終プロテストに進出した。しかし、同テストの第3日終了時で通算10オーバーの88位。最終日に進めず、不合格が決まった。

「ステップ・アップ・ツアーで試合勘はありましたが、『技術的にもっと勉強すべき』と思いました。これで、3度連続で不合格になったので、環境を大きく変えて、自分自身に緊張感を持たせるために上京を決めました」

 20年1月から、生まれ育った新潟を離れ、東京で一人暮らしを始めた。一人っ子で両親の愛情を受けて育ってきたが、高校を出てからは支援を受けず、上京に際しては新たなスポンサーを探し、生活の基盤を整えた。地元の応援も受け、新潟・櫛形GCとは所属契約を継続。だが、同年春からコロナ禍になり、20年度のテストは延期が決まった。

「上京を決めた一番の理由は、三觜(喜一)コーチからの指導を受けるためでしたが、コロナで先が見えない状況になりました。そんな中で、所属したDSPE(ツアープロを目指す女性ゴルファーを支援する団体)が月例会を開いてくれて、同じ目標を持ったメンバーたちと切磋琢磨はできました。スイングも随分と変えていたので、延期はありがたい面もありました」

 結局、20年度テストは21年春に実施。瀬賀にとっては4度目の受験だったが、初めて2次予選落ちを喫した。

「2打届かずの不通過でしたが、自分としては『まさか』でした。かなりのショックを受け、『センスがないから、続ける意味はない。もう、無理だ。やめたい』と思いました。ただ、この年はすぐに21年度のテストが始まる日程でしたし、これまで応援してくださった方々の顔も浮かびました。そんな中、三觜コーチに天沼知恵子プロを紹介していただきました」

 天沼はツアー6勝で、18年からはセカンドキャリアとしてコーチ、トレーナーを務め、トーニングジム「IMPACT A BODY」(東京・麻布十番)も経営している。姉御肌で慕う選手は多く、瀬賀もすぐに惹かれたという。

ツアー6勝・天沼知恵子からの言葉に「救われました」

「天沼さんからはコースマネジメント、技術、トレーニングの指導に加え、メンタルケアもしていただいています。出会ってすぐに、『自分に厳し過ぎるから、自分を褒めたりすべき。許したりすべき』と言っていただきました。それまでの私は『完璧じゃなければ』と思っていたので、とても救われました」

 意欲を取り戻した瀬賀は、昨夏から実施された5度目の受験に挑戦。初受験以来の1次予選、2次予選を危なげなく通過した。自分に適したコースを慎重に選択したことも結果につながった。しかし、京都・城陽CCでの最終テストでは硬く小さなグリーンに悩まされ、合格ラインに9打届かなかった。

「完全に打ちのめされました。足りない飛距離も含めて、さまざまな面で見直しが必要だと感じました。その上で、今年は今まで以上にチャンスがあると考えています」

 理由は自分で選択できない最終プロテストの会場、茨城・大洗GCにある。

「私が初めて出場した日本女子アマチュア選手権(14年)の開催コースで、ベスト32に入ってマッチプレーを戦った思い出があります。横幅が狭くて木が多く、私のように『ショットが曲がらない人が有利』という印象です。まずは2次予選を突破することですが、私自身も成長しています。生命線のアプローチ、パットをさらに磨くことはもちろんですが、今はバーディーを獲っていくために、ピンに寄せていくショットの練習を重ねています」

 その上で瀬賀は「合格の自信はあります。でなければ、受けません」と言い、合格がゴールではないことも強調した。

「合格はスタートラインに立つために必要なことですが、随分と先を走っている同学年の選手たちに追いつき、ツアーで活躍するという自分の夢に向かって努力し続けたいと思います」

 瀬賀には、スポンサーの尽力で20年に立ち上がった公式サイトがあり、多くのファンもついている。所属先も含めてスポンサーは4社。努力家で明るいキャラクターもあっての環境だ。だからこそ、6度目の挑戦は、両親、コーチ、ファンも祈る思いで結果を待つことだろう。瀬賀も支えてくれた全ての人を笑顔にするべく、全身全霊で戦いに挑む。

■瀬賀百花(せが・ももか)

 1999年1月22日、新潟・関川村生まれ。開志国際高卒。ゴルフは7歳から始め、高3で日本ジュニア10位、いわて国体(個人)優勝、ヨネックスレディス38位。他のスポーツ歴は陸上、クラシックバレエ。趣味はショッピング、映画鑑賞。154センチ。血液型AB。(THE ANSWER編集部・柳田 通斉 / Michinari Yanagida)