今秋の日本インカレで注目されていた女子1万mの不破聖衣来(拓殖大2年)。32分55秒31のタイムで2位に14秒34差をつけて優勝した不破は、ゴール後にあふれ出した涙を拭った。 今年4月17日の日本学生個人選手権5000m以来のレース。その…

 今秋の日本インカレで注目されていた女子1万mの不破聖衣来(拓殖大2年)。32分55秒31のタイムで2位に14秒34差をつけて優勝した不破は、ゴール後にあふれ出した涙を拭った。

 今年4月17日の日本学生個人選手権5000m以来のレース。その時は「予定どおりだった」と最初からのスローペースで走り、自己記録より2分以上遅い17分30秒45のゴールだった。だが今回はラスト2800mから抜け出し、後続に大差を付ける圧勝劇を見せた。



ケガ、貧血を乗り越えて新たな一歩目を踏み出した不破聖衣来

 拓大に入学した昨年は各種駅伝で圧巻の走りを見せ、12月11日の関西実業団ディスタンストライアルでは初の1万m挑戦ながら日本歴代2位の30分45秒21を出し、今年の世界選手権代表の最有力候補になって注目された。

 しかし、今年1月16日に行なわれた全国都道府県女子駅伝の4区で区間新を出したあと、アキレス腱周辺炎で走れなくなってしまった。4月の日本学生個人には回復途中で挑戦し、5月の日本選手権1万mは「右梨状筋故障による調整不足」のために欠場。世界選手権出場を逃すことになった。

 そして今回も5000mと1万mにエントリーしていたが、8月から起きていた貧血が不安材料となり、出場するかどうか大会の3日前まで迷っていたという。

 拓殖大女子陸上部の五十嵐利治監督は、「この試合のエントリーは8月なので両種目出ようとしてのエントリーではなく、どちらかいいほうに出ようと話していた。1万mを選んだのは、『5000mだと1周74秒などの速いペースで走らなければいけなくなるが、1万mだと80秒でいける』ということで選びました」と説明する。

 レースは1周78秒ペースで始まり、4周目が81秒に落ちたところで不破が先頭に出て、80秒前後のペースで引っ張る展開。1000mは3分20秒ペースで、ゴールタイムは33分前後が予想される展開になった。

 そんななかで、5000mを過ぎると一時は7番手まで下がった。

「5000mで下がった時はきついのかなと思ったが、後で聞いたら『あそこは変に行かないで、うしろで力を溜めていたほうがいいと思った』と話したので、そのレース勘はすごいと思った」と話す五十嵐監督はこう続ける。

「(ケガ後)6月頭から練習ができるようになり、ある程度の練習が積めたなかで、インカレに照準を合わせようという話になりました。ただ、そこで完全復活ではなく、次に目標とするもののための1歩目として出ようということでした。

 正直なところ、今の彼女にとっては1000m3分20秒ペースも本当にきついんです。練習の中で3分半のペース走をやっても、ペースが上がらない状態で、貧血になってからはポイント練習ができないなかでをジョグでつないでと......。無理をさせて今回臨んだというのではなく、ジョグができて、流しができてというような、体的な部分は何の不安要素もなくスタートラインに立てると判断した上で、無事にゴールしようというのが最大の目的のレースでした」

 それでも終盤になると彼女らしい力を見せた。1000mのラップタイムが3分22秒に落ち、その前の1周も82秒に落ちていた7200m過ぎに前に出ると、一気に77秒に上げた。

「元々飛び出すというプランはなかったのですが、やっぱり『ここで勝負したい』という思いがあったので。そこで気後れせずにいってみようと思いました。スパートをかけたところが本当に一番きつくて最後まで持つか不安だったけど、たくさんの支えてもらった方々のメッセージや顔が浮かんできて、『ここで頑張って恩返しをしたい』という気持で走っていました」(不破)

 8000m以降の各1000mは3分12秒、3分06秒と2位以下に差を広げる走り。五十嵐監督も「そこは持っている力というか、天才的な部分だと思います。今回も3分20~25秒で走ればいいと思っていたし、これまでの練習を見ていたなかでは考えられないくらいの走りでした」と驚く。

 不破も自身も「この大会自体も直前まで出るかどうかをすごく迷っていましたが、やっぱりケガなく走るというのがすごく楽しいなと改めて感じました」と笑顔を見せた。

 このレースを復活の第一歩にする不破だが、このあとは無理をさせることなく、次のレースは10月30日の全日本大学女子駅伝になるだろうと五十嵐監督は話す。そして次の目標は、昨年30分45秒21を出した12月の記録会で、新谷仁美(積水化学)が持つ30分20秒44の日本記録更新だ。

 そして、「12月の記録更新」という目標は不破自らが決めたことだった。

 貧血で思うように練習が積めていなかった8月に不破は五十嵐監督にLINEで、「自分なりにいろいろ考え、最近気分が落ち込んで走る理由がわからなくなったのは、目標が今の自分から遠い存在のものしかないからだと思いました。だから直近の目標を持とうと考えました。その目標は12月の1万mの記録会で日本記録を出すこと。そのためには今のままではいけないし、簡単に達成出来る目標ではないが、目指したい目標にしました」とメッセージを送っていた。

 7月には世界陸上の女子1万mを観るため、五十嵐監督とともにオレゴンまで出かけた。そこで一番印象に残ったのが、6800m以降の、1周71秒台のペースに上げた競り合いと、ラスト1周は60秒台でレースが決まった世界のスパートの切れ味だった。これもまた不破にとって刺激となった。

 五十嵐監督は「そのレースを観た不破はそんなレースに圧倒されたり臆したりすることなく、終わったらすぐに『この人たちに勝つためにはどうすればいいですか』と聞いてきた。それがすごいなと思ったし、連れて行ってよかったなと思いました」と話す。

 ラスト2800mは、「きつかった」と言いながらもノビノビとした、彼女らしい走りを見せた不破は、この大会で記録とは違う成果を得て復活への一歩を踏み出した。