オフィシャル誌編集長のミラン便り2016~2017(最終回)最終節カリアリ戦にフル出場した本田圭佑(BUZZI/FOOTBALL PRESS)「もう3年半の月日が経ってしまったなんて、時の流れの速さに正直、驚いている。今日は僕のミランで…

オフィシャル誌編集長のミラン便り2016~2017(最終回)



最終節カリアリ戦にフル出場した本田圭佑(BUZZI/FOOTBALL PRESS)「もう3年半の月日が経ってしまったなんて、時の流れの速さに正直、驚いている。今日は僕のミランでの最後の試合だ。試合に勝利し、自分のいた証(あかし)を残したいと思う。ロッソネロのユニホームを着てプレーできたことを僕は幸せに思うし、誇りに感じている。すべてのサポーターに、そしてここ数年間のすべてのチームメイトに感謝したい。とにかく僕はただただ幸福を感じている。

 キャプテンマークをつけた感想をみなに聞かれる。モンテッラのこの決定に僕は敬意を表するが、僕にとってキャプテンであるとかないとかはあまり重要ではない。一番大事なのは、ミランにやって来たその日からずっと僕が持ち続けていたプロフェッショナリズムだ。これまで、いいときもあればそうでないときもあった。しかし来シーズン、ミランがヨーロッパの舞台に返り咲くことは、これまでの中で一番すばらしい出来事だ。ミランがこの舞台でいい結果を出せることを祈っている。もちろんテレビで観戦もするつもりだ。

 今シーズンは、はっきり言うともっとプレーできるものだと思っていた。しかし、ミランには優秀な選手が数多くいたし、僕は自分のベストの力を見せることができなかった。残念ながらこの3年半、僕は背番号10にふさわしいプレーをあまりすることができなかった。

 しかし、そのための努力を怠ったことは一度としてなかった。僕はいつもすべての試合、すべての練習に全身全霊で打ち込んできた。ミランのサポーターに対しては永遠に感謝の気持ちを持ち続けるだろう」

 これは最終節のカリアリ戦を前にして、本田圭佑が語った言葉だ。

 思えば本田が所属していたこの3年半は、ミランにとっても、尋常ではない日々だった。監督が次々と変わり、チームはまず財政問題で揺れ、その後は先の見えない株式譲渡問題に揺れた。決してプレーするのに適した環境ではなかった。そのことが本田の出来、不出来にも大きく影響を及ぼしたことは確かだ。

 本田自身が常々言ってきたように、まず自分本来のポジションでプレーできることが少なかった。そのため本田は右サイドでアタッカーのように攻めることを、そして同時に同サイドを下がって守備に手を貸すことも覚えなければならなかった。

 またチームは好不調の波が大きく、そのため真面目に練習を続ける本田のよさを最大限に引き出すこともできなかった。特に最後の2シーズンでは、監督に起用されず、ベンチに座ることも多かった。

 ただ監督の采配について、あるいはもしミランが他のシステムでプレーしていたらなどと、今さら愚痴っても仕方ないことだ。いま言えるのは、本田がミラン史上初の日本人選手だったことだ。

「ミランのユニホームを着てプレーすることを子供のころから夢見ていた」と本田は語った。そのミランで本田は92試合に出場し、11ゴールを決めた。もう少し詳しく見るとコッパイタリア戦で11試合2ゴール、リーグ戦で81試合9ゴールだ。決して悪い数字ではない。そう、最近忘れがちではあるが、ミランと本田の関係は決して悪いときばかりではなかった。

 本田のゴールとともに、いま一度、この3年半の月日を振り返ってみよう。

 ミランでの最初のゴールを本田は、ミランでの2試合目、スタメンとしてプレーした最初の試合で決めた。2014年1月15日のコッパイタリア・スペツィア戦だ。本田はこの試合の3点目を決めて、ミランのベスト16入りを確固たるものとした。

 しかし本田のミランでのベストゴールと言えば、リーグ戦での初ゴールだろう。2014年4月7日のジェノア対ミラン戦。チームを率いるのはクラレンス・セードルフで、ミランは敵地で1-2と勝利した。本田のゴールはミランの2点目で、素早いカウンターだった。30メートルを独走した後、GKマッティア・ペリンをかわしての文句なしの見事なゴールだった。

 2014~2015シーズン、ミランの指揮はピッポ・インザーギにゆだねられた。そしてこのシーズンの前半が、本田のミランでの最盛期だった。リーグの最初の7試合で6ゴールをマークし、一時は得点王争いのトップに躍り出たこともあった。

 2014年10月19日、アウェーでのヴェローナ戦で、本田は初めて1試合で2ゴールをあげ、ミランに勝利をもたらした。1ゴール目はエル・シャーラウィーのアシストからの左足のゴール。2ゴール目も左足から繰り出したシュートで、出てきたGKをかわしてのゴールだった。

 ちなみにもうひとつ、心に残る本田のゴールがある。先週、サン・シーロでの最後戦で決めたゴールだ。まるでお手本のような正確無比なFKは、ミランにヨーロッパリーグ出場権をもたらした。だがそれ以上に、本物のカンピオーネとは、本物のプロフェッショナルとは、どんな困難な状況にあっても100%の力を出すものだということを教えてくれたゴールだった。

 インザーギ・ミランでは、本田はイニャツィオ・アバーテとともに右サイドにパーフェクトなコンビネーションを作り上げた。攻守のバランスの取れたサイド。このときのミランはサン・シーロでナポリも破り、クリスマスごろまではシーズンの主役であると思われた。しかしその後は説明不可能なスランプに陥り、最終的にはヨーロッパ行きの切符も逃してしまった。

 昨シーズンのシニシャ・ミハイロビッチのミランでは、本田は36試合に出場した。本田は好不調の波があったが、それでも常にチームの中心選手ではあった。

 しかしすべては今シーズン、監督がヴィンチェンツォ・モンテッラになってから変わってしまった。モンテッラはごくまれにしか本田を使わず、シーズン通して9試合1ゴールの成績だった。

 それでも本田は、これまで何度も繰り返してきたが、決して騒がず、腐らず、監督を困らせることはなかった。たとえ試合に出られなくとも、一番最初に練習場に現れ、最後にグランドを後にした。そんな彼の態度を、モンテッラはいつも公の場で称賛してきた。最終戦でのフル出場とキャプテンマークは、そんな本田にふさわしいプレゼントであった。

 しかし残念ながら別れのときは来た。本田がミランを去り、このコラムも今回で最終回だ。すべてのミラニスタの名のもとに、私はこの3年半、常にミランに尽くしてくれた本田圭佑に感謝を述べたい。監督問題、チーム問題、多くの困難にも見舞われながらも、本田はミランのユニホームを身に着けるというその価値を、理解し、体現してくれた。

 Grazie Keisuke!

 本当に、本当にありがとう。それから長らく私のコラムを読んでくれた皆さんにも Grazie!

 そして、やはり最後はこの言葉で締めくくろう。Forza Milan!