侍ジャパンが惜しくも準決勝で敗退し、2大会ぶりの優勝を逃した第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。東京ドームで行われた1次ラウンド初戦、キューバ戦の試合開始前、代表チームでスコアラーを務めた志田宗大氏は、緊張で足が震えていたと…

侍ジャパンが惜しくも準決勝で敗退し、2大会ぶりの優勝を逃した第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。東京ドームで行われた1次ラウンド初戦、キューバ戦の試合開始前、代表チームでスコアラーを務めた志田宗大氏は、緊張で足が震えていたという。

■WBCで侍ジャパンを支えたスコアラー志田宗大氏、痛感した米国との差

 侍ジャパンが惜しくも準決勝で敗退し、2大会ぶりの優勝を逃した第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。東京ドームで行われた1次ラウンド初戦、キューバ戦の試合開始前、代表チームでスコアラーを務めた志田宗大氏は、緊張で足が震えていたという。

 大会前の昨年11月から今年1月にかけて、1次ラウンド対戦国の映像を徹底的に分析。2月には沖縄でキューバ、オーストラリア、韓国、台湾代表チームを視察した。日本代表では練習にも参加し、キャッチボールの相手になったり、ノックを受けたりもした。選手とコミュニケーションを図るのが目的だったが、自身が球場の雰囲気に慣れておくためでもあった。準備は万端だったが、それでも大舞台では緊張を隠せなかったそうだ。

 青学大から外野手として2001年のドラフト8位でヤクルトの指名を受けた。9年間のプロ生活で320試合に出場し2010年に引退。引退後はスコアラーとして球団に残った。

 現役時代はデータに特に興味があったわけではないという。スコアラーは「出張が多くて、夜が遅い」。そんなイメージしかなかったそうだ。

「球団からスコアラーの話をいただいた時は『そうなんだ』という感じでしたね。引退後の仕事は全く考えていませんでした。野球マイナス自分はゼロ。まるっきりゼロの人間でしたから、不安しかありませんでした。だからこそ、いただいた仕事は何でも全力でやろうと思っていました」

 現役時代、チームにはヤクルトの黄金時代を築いた選手たちがいた。チームメートから学んだことを活かし、スコアラーの中でも『あいつなら』と言われるようになりたいと思ったという。

■米国に受けた衝撃、「予想よりはるかに…」

「真中満・現ヤクルト監督を始め、古田敦也さん、宮本慎也さん、土橋勝征さん、稲葉篤紀さん、若手で岩村明憲さんがいて、レベルが高かったです。自分はベンチにいることが長かったので、先輩たちの会話をよく聞いていました。遠征のバスの中でも野球の話が多かったですね。彼らの話には裏付けがあり、説得力があった。野球には、力だけじゃなく頭を使うことが大事だということを教えてもらいました。それが、自分のスコアラーとしての礎になっています」

「1球1球を誰よりも真剣に見ている」と自負している。その積み重ねにより培われたデータの分析能力は青学大の先輩で侍ジャパンを率いた小久保裕紀氏からも信頼され、2015年に行われたプレミア12から侍ジャパンでもスコアラーを務めた。

「予選リーグは通過できるだろうと思っていた」という志田スコアラーの予想通り、日本は1次、2次ラウンドを全勝で通過。ロサンゼルスでの決勝ラウンド準決勝でアメリカと対戦することになった。試合前、チームを離れ、サンディエゴでアメリカ代表の2次ラウンドを視察した志田スコアラーは、実際に試合を見てショックを受けたという。

「投手、野手ともに予想よりはるかに仕上がっていました。『この状況をどうチームに報告すればいいのか……』と思いましたね」

「アメリカは10回対戦して1回勝てる相手」。そう悟ったという。

■終盤まではシミュレーション通り、「チャンスがあの日に来たと思った」

「勝つ可能性があるなら、1対1で終盤に進んで、ワンチャンスで1点勝ち越し、そのまま逃げ切る。この展開しかないだろうとシミュレーションしていました」

 アメリカの打線と打ち合いになったら、勝ち目はないと考えていた。菅野智之投手(巨人)、千賀滉大投手(ソフトバンク)で抑えることができなければ、他の投手も抑えられる可能性は低い。一方、打線はアメリカの投手陣から3点以上取るのは難しいだろうと分析していた。

「アメリカの先発、ロアーク(ナショナルズ)は50~60球程度で交代し、それからメジャー屈指の中継ぎ陣がどんどん出てくるのは予想していました。日本の打線には自信を持っていましたが、投手全員のレベルが高いので、初見では厳しいと思っていました」

 迎えたアメリカ戦、先発の菅野が4回に1点を先制されたが、日本は6回に菊池涼介内野手(広島)の本塁打で同点に追いついた。試合は志田スコアラーが「勝ちパターン」でシミュレーションしていた通りに1対1で終盤に進んだが、8回に2番手の千賀が追加点を許し、1対2で惜しくも敗戦した。

「10回に1回、その1回のチャンスがあの日に来たと思いました。あと一歩まで追い詰めることができましたが、勝ち切れなかった。そんな試合でした」

 1点差での敗戦。しかし、アメリカの投手と日本の打者との差は大きいと志田スコアラーは話す。

■選手も「あんな球、見たことない」、日本が「新時代」に突入するために―

「あれほどまでにレベルの差があるとは思いませんでした。特にムービングボール(動く球)の威力にはレベルの違いを感じました。日本にいるムービングボーラ―は、球速が140キロ前後で、低めに集めてくるので対策は立てられます。ですが、アメリカのムービングボーラ―は全て150キロから155キロで変化量も大きい。

 みんな口々に『あんな球、見たことない』と言っていました。やはりアメリカの投手と、日本の打者の力の差は大きいと感じました。アメリカの投手陣から5、6点取ることができれば、日本野球は新しい時代に突入できると思います」

 志田スコアラーは岩手県大船渡市出身。2010年限りで現役を引退し、スコアラーとして新たな人生を踏み出した矢先に東日本大震災が発生した。実家は全壊、家族は無事だったものの、亡くなった知人もいる。震災と同時期の3月に行われたWBCに、秘めた思いは大きかった。

「地元には、選手としては終わったけれど、WBCのスコアラーに選ばれた僕のことを変わらず応援してくれている人がたくさんいます。『その人たちのためにも』という気持ちはありました」

 さまざまな思いを胸に挑んだWBCの舞台で、世界との差を見せつけられた。それでも「日本の野球は、世界のパワー野球にも対抗できる。その一端は見せられたのではないかと思います」と、確かな手応えを感じている。

「負けた時のプレッシャーはありますが、選んでもらえるのであれば、またあの舞台に行きたいですね」と話す志田スコアラー。日本野球のさらなるレベルアップ、そして新たな時代へ。世界を相手に戦った経験を糧に、志田スコアラーの挑戦は続く。

篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki