今から5年前の2012年に、フィレンツェ郊外にあるクラブの下部組織を指導する旧知のベテラン監督から誘いを受け、当時セリエBに所属していたエンポリの練習を見に行った。ナポリで2年目のシーズンを終えた、マウリツィオ・サッリ監督 そこでは、…

 今から5年前の2012年に、フィレンツェ郊外にあるクラブの下部組織を指導する旧知のベテラン監督から誘いを受け、当時セリエBに所属していたエンポリの練習を見に行った。



ナポリで2年目のシーズンを終えた、マウリツィオ・サッリ監督 そこでは、これまで見たこともないトレーニング・メニューが行なわれ、紅白戦になると目を疑うような「戦術」の応酬を目の当たりにすることになった。見学に誘ってくれたベテラン監督は、私の隣で熱心にメモを取りながら、こう何度も繰り返していた。

「この監督は必ず近い将来に上(セリエA)に行く。そして彼の戦術は必ず広く知られることになるから、今のうちに中身を詳しく学んでおく必要がある」

 一言で表現するなら、「トータル・ゾーン」。その戦術を実践する監督の名は、現在、セリエAの強豪・ナポリを率いるマウリツィオ・サッリだ。

 我々が見ていた夏の合宿を終えると、サッリはエンポリ監督就任1年目にして、前年にセリエB18位に沈んでいたチームを4位に引き上げた(プレーオフ決勝でリヴォルノに敗れ、昇格は逃す)。さらに翌2013-14年シーズンには2位まで順位を上げ、無条件でセリエA昇格を果たしている。

 いわゆる「ゾーン・ディフェンス」はもはや誰もが知るところだが、私が目にしたそれは明らかに違っていた。

 いかにゾーンで守ろうと、通常は「マンマーク」と併用されるのが常だ。多くの監督が採る戦術は、ゾーンとマンマークをミックスしているという意味で、イタリアでは「ゾーナ・ミスタ(ミックス・ゾーン)」と呼ばれる。

 相手ボールの局面では、自らがマークすべき相手の位置に応じてポジションを取るのが一般的だが、サッリの「トータル・ゾーン」では考え方が異なる。端的に言ってしまえば、すべての選手が守備のポジショニングを決める際に相手選手の位置は考慮しないのだ。

 最も重視されるポジショニングの基準は「ボールの位置」。相手がキープするボールが横に2メートル動けば、守る側の全員が同じ方向へ2メートル動くことになる。この考え方は通常の「ゾーン・ディフェンス」と同じではあるものの、当時のエンポリも現在のナポリも、その次に優先される基準が他のチームとはまったく違う。

「マンマーク」では、基本的に「ボールの位置→相手の位置」の順に判断し、ポジショニングを決める。そして、通常の「ゾーン・ディフェンス」では「ボールの位置→味方の位置→相手選手の位置」と優先順位が変わる。

 これがマウリツィオ・サッリ率いたエンポリ、そして現ナポリでも、「ボールの位置→守るべきゴールの位置→味方の位置→(相手選手の位置)」となる。相手のボールホルダーに最も近い選手が「ボールとゴールを結ぶ線上」にポジションを取り、それによって他のチームメイトの立ち位置も決まるのだ。

 この、「守るべきゴールの位置」の概念がない、もしくは曖昧な「ゾーン・ディフェンス」では、ボールホルダーを誰がマークするのかという判断が遅れ、それに伴って各選手のポジションにズレが生じることが多い。そのスキをつかれることで守備が後手に回り、ピンチを招いてしまうことになる。

 ナポリの試合を目にする機会があれば、ボールを奪われた瞬間から5秒以内に「攻から守」へ転じる「ネガティブ・トランジション」の場面で、ナポリの選手たちがどう動いているかに着目してもらいたい。先述の基準に即して守備の態勢を整える様子が見られるはずだ。どちらが正しいかという話ではなく、ナポリとは真逆の「マンマーク」を戦術の絶対的な柱とするアタランタ(ジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督)と比較すると、その差はより明確になるだろう。

 また、ナポリはDF陣の位置が極端に高い(DF陣4枚が相手陣内でプレーすることも多い)のも大きな特徴だ。1タッチ&ダイレクトパスの交換で相手の守備網を崩すことを攻撃の基本とし、いざボールを失っても可能な限り高い位置=相手ゴールに近い位置でボールを奪い返すために、4−3−3の布陣を可能な限りコンパクトに保っている。

 守備的か攻撃的か。パスサッカーか、それともカウンター重視の戦い方か。フットボールの戦術はそういった二元論で語られがちだが、攻撃と守備は常に表裏一体の関係にある。つまり「どう攻めるか」と「どう守るか」はイコールで結ばれている。

「どう攻めるか」という解から逆算して導き出されたのがサッリの「トータル・ゾーン」であるとすれば、その攻撃力は今季のセリエA最多得点(94得点)という数字が証明している。DFラインを高く保つことで、相手に広大なスペースを与えてしまうリスクも伴うが、ナポリはユベントス(27失点)、ローマ(38失点)に次ぐ39失点に抑えている。

 ボールを奪われてからの態勢の立て直しの速さと、精度向上を徹底したサッリのこだわりがそれを可能にした。ナポリの選手たちの動きを目にしている現地イタリアの専門家たちは、「国内最強はユベントスだが、最も美しいのはナポリ」と口を揃える。おそらく、その見立てに間違いはないだろう。

「極貧クラブ」のエンポリを率いて3年目の2015年当時、愛煙家のサッリは、自らが取材場所に指定したスタジアム内の会見室を煙で充満させながら、私にこう語った。

「カネがないならここ(アタマ)を使えばいい」。
 
 サッリは現役を退いた後に銀行員として仕事をする傍ら、アマチュアリーグで指導歴を重ねてきた。長く下のカテゴリーで過酷な現場を生き抜いてきた彼は、与えられたチームのポテンシャルを最大限に引き出す術(すべ)を知っている。

 今季開幕前に、昨季のセリエA得点王(36ゴール)であるゴンサロ・イグアインを売却。そんなナポリがリーグ最多の得点力を維持し、首位ユベントスと勝ち点5差の3位でシーズンを終えると誰が予想できただろうか。
 
 来季、彼の「トータル・ゾーン」はどのように変化し、進化していくのか。そして、ユベントスの連覇を阻むことができるのか。「最も美しいナポリ」が最強の称号を得るまでの歩みをこれからも追っていきたい。