(写真:AP/アフロ) グラウンド上での胴上げとウイニングランを経て、記者会見は通常よりも30分以上遅れて始まった。ジネディーヌ・ジダン監督はいつものように時おり穏やかな笑みを浮かべ声を張るようなことはなかったが、印象的なフレーズを連発した…


(写真:AP/アフロ)

 グラウンド上での胴上げとウイニングランを経て、記者会見は通常よりも30分以上遅れて始まった。ジネディーヌ・ジダン監督はいつものように時おり穏やかな笑みを浮かべ声を張るようなことはなかったが、印象的なフレーズを連発した。

「今日こそはそう。満足していると言える」

「表現できる言葉が見つからない。この机に上がって踊り出したいくらいだ」

「涙はこぼれていないが、その可能性はある」

「今日は私のプロキャリアで最高に幸せな日だ」

「このクラブで選手時代にすべてを勝ち取ったが、監督としてリーグ優勝できたのは最高だ」

 話の途中凄い物音がして、マルセロ、ルカス・バスケス、ダニーロ、アセンシオが「カンペオーネス(チャンピオンズ)、カンペオーネス、オーエ、オーエ、オーエ」と歌いながら乱入。ジダン監督の頭に大量の水とシャンパンをかけた。隣に座っていた広報担当者はすぐさま逃げたので、ジダン監督に内緒で予定された行動だったのだろう。1列目に座っていた私の所までしぶきが飛んで来るほどだったが、ジダン監督は笑顔のままマルセロらと肩を組み一緒に飛びはねて歌に加わった。彼らが去った後は体や椅子を拭いて、何もなかったかのように笑みをたたえて話し始めた。

 最も心に残ったのは、「私のプロキャリアで最高に幸せな日だ」という言葉だ。

 これは二重の意味で驚きだった。

 サッカーの主役は選手であり、監督は脇役に過ぎない。だからこそ選手時代のタイトルの方が喜びが大きいのだろうと思っていた。ワールドカップを頂点としてチャンピオンズリーグ(CL)、リーガ・エスパニョーラなどのチームタイトル、バロンドールなどの個人タイトルを総なめにしてきた男が、それらすべてよりも監督としてのリーグ優勝の方が嬉しいとは。加えて、監督としても昨季のCL優勝監督となっているのに今回の国内タイトルの方が嬉しいと言うのだ。

 CLの方がリーガよりも価値が高いと考える者は、レアル・マドリードの関係者にも多い。欧州の頂点とスペインの頂点、単純に見てどちらの山が高いのかは明らかであり、高ければ高いほど制覇した時の喜びも大きいのだろう、と普通は考える。だが違った。なぜか?

 その答えは同じ会見での次の言葉にあると思う。

「リーガは1日、1日の積み重ねだから」

 監督として日々最も重要で主要な仕事は、練習である。毎日ジャージを着てグラウンドに立ち、選手たちを指揮した後は翌日の練習メニューに頭を捻る。メニューはまとめて考えるものではない。ケガや疲労蓄積で参加する選手の数は変わってくるし、メンタルやモチベーションにも左右され、天候にも影響される。あの緻密なグアルディオラ監督ですら大まかな方針は1週間前に決めても、練習開始の前には必ずスタッフを集めてメニューにアレンジや変更を加えている。そういった日課の10ヶ月近い積み重ねが週末の試合結果に反映され、38試合にわたる勝敗の成果がリーグタイトルに凝縮していると考えると、ジダン監督の喜びの意味が見えてくるのだ。

 コンスタントに週末に開催されるリーガに比べると時々週中に挟まるCLはアクセントに過ぎない。ディエゴ・シメオネ監督の口ぐせ、「CLよりもリーガの方が優勝するのが大変だ」というのも短期決戦に比べ長丁場を乗り切るのがいかに大変で、それゆえにチームの実力の証なのだ、と言いたいのだろう。

 苦労が大きいほど喜びも大きいものだ。ケガなどのアクシデント、調子のアップダウン、選手のエゴ、フロントの介入、メディアの圧力……。ジダン監督は穏やかな微笑みの裏でそれらと毎日戦っていた。

 選手時代はプレーだけに集中していれば良いし、チームの一員というよりも個人としての意識が強くなりがちだ。タイトルを獲得しても自分が活躍できなければ喜びも半ば、ということだってあるだろう。それに引き替え、監督としてなら自らの手で作り上げたという手応えと達成感は保証されている。

 サッカーのすべてを勝ち取った男が最高に評価するリーガ。それを1シーズン追ってきたこちらとしても身が引き締まる思いがした。

 《文=木村浩嗣》