スーパーGTは後半戦に入り、第5戦が鈴鹿サーキットで開催された。 鈴鹿では以前から、8月後半のGTレースが恒例になっている。 かつては「鈴鹿1000km」という通常の3倍以上の距離のレースが行われ、路面温度が50℃近い猛暑の中での長距離レー…

スーパーGTは後半戦に入り、第5戦が鈴鹿サーキットで開催された。

鈴鹿では以前から、8月後半のGTレースが恒例になっている。

かつては「鈴鹿1000km」という通常の3倍以上の距離のレースが行われ、路面温度が50℃近い猛暑の中での長距離レースにしかない見どころがあった。そのひとつが、300kmレースではありえないが1000kmではありえる大逆転劇だ。

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■“鈴鹿1000km”伝統の大逆転

1000kmはなくなったが今回は450kmと長距離のレースの雰囲気が残されていた。だが当時よりもクルマの耐久性が進化し、エアコン装備が当り前でドライバーの負担も軽くなった今では、450kmはそう過酷ではない。しかも気温は28℃、路面温度は39℃と、いつもより少々涼しかった。したがってスピードと、2度のピットイン義務による戦略性が勝負を左右するレースになると考えた。

だが夏の鈴鹿の伝統はちゃんと受け継がれており、1000kmさながらの紆余曲折の展開となった。

序盤、GT500クラスのレースをリードしたのがポールポジションのNo.23 ニスモ Z(松田次生/ロニー・クインタレッリ)。ニッサンとミシュランタイヤのパッケージが夏の鈴鹿で強いことはGTファンには常識であり、23号車がこの時点での優勝最右翼。ところが15周を過ぎたあたりで23号車は急にペースを落とし、早めのピットインを余儀なくされプランは崩れてしまう。代わりにトップに立った2番グリッドスタートのNo.17 アスティモNSX(塚越広大/松下信治)も1回目のピットインで同じホンダ勢のNo.16 無限NSX(笹原右京/大湯都史樹)に逆転され、第2スティントは16号車がリードした。

次なる展開が2回目のピットインで、これが非常に劇的だった。77周を均等に3スティントで割ると、50周目前後が2回目のタイミングになる。そのカギを握る場面でなんと、50周目にセーフティカーが導入されたのだ。まだ2回目のピットに入っていなかった16号車はこれで優勝戦線から一気に脱落。一方、ペースが悪いゆえ早めにピットインしていた17号車、23号車は再び1位、2位に復帰した。

この時点で、長いレースで紆余曲折ありながらも本命の23号車が結局ポール・トゥ・ウィン……なんてストーリーが思い浮かんだ。残りが20周ということを考えると、なかなか堅い予想だ。ところが、それさえも裏切られる。

17号車や23号車よりも、実はセーフティカーで大きな恩恵を受けたクルマが2台あった。それがNo.12 インパル Z(平峰一貴/ベルトラン・バゲット)とNo.39 サード・スープラ(関口雄飛/中山雄一)。2台はセーフティカーが出る直前にピットインしており、それまで後方を走っていたにもかかわらず3位、4位にジャンプアップを果たしていた。さらに23号車はその後ドライブスルーペナルティ、17号車はガス欠によるペースダウン。残り3周でトップに浮上した12号車がそのまま優勝のチェッカーを受けた。

何が凄いかというと、12号車のグリッドは最後尾だったこと。

この史上稀な大逆転劇は何がそうさせたのか……それはきっと、夏の鈴鹿の伝統だ。

来年のレース距離がどうなるのかは分からないが、長くても短くても夏の鈴鹿にしかないレースを見せてくれるに違いない。

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著者プロフィール

前田利幸(まえだとしゆき)●モータースポーツ・ライター

2002年初旬より国内外モータースポーツの取材を開始し、今年で20年目を迎える。日刊ゲンダイ他、多数のメディアに寄稿。単行本はフォーミュラ・ニッポン2005年王者のストーリーを描いた「ARRIVAL POINT(日刊現代出版)」他。現在はモータースポーツ以外に自転車レース、自転車プロダクトの取材・執筆も行う。