サッカーはチームスポーツ。ひとりでプレーすることなどできない。まして20歳以下のチームである。あまりにひとりの選手ばかりにフォーカスするのもどうかとは思うが、この試合に関しては、彼を”特別扱い”しないわけにはい…
サッカーはチームスポーツ。ひとりでプレーすることなどできない。まして20歳以下のチームである。あまりにひとりの選手ばかりにフォーカスするのもどうかとは思うが、この試合に関しては、彼を”特別扱い”しないわけにはいかないだろう。
それほど、MF堂安律はスゴかった。
鬼気迫るプレーで試合の流れを変えた堂安律 U-20W杯のグループリーグ第3戦、日本はイタリアと2-2で引き分けた。この結果、日本は1勝1敗1分けの勝ち点4でグループ3位に終わったが、各グループ3位のなかで成績上位の4カ国に入ることが確定したため、決勝トーナメント進出が決まった。
この試合、勝てばもちろん、引き分けでも決勝トーナメントに進める可能性がかなり高くなる日本は、しかし、いきなり苦境に立たされていた。
試合開始早々の3分、DFラインの背後を突かれ、あっという間に先制点を許すと、続く7分にもFKから失点。日本は瞬く間に2点の重荷を背負うことになった。
だが、本人曰く、ここで「完全に火がついた」のが堂安だった。
右MFの堂安は、ときに右サイドで、ときに中央の小さなスペースに潜り込んで、積極的にボールを受けてはさばき、まずは悪い流れを変えるべく、日本の攻撃にリズムをもたらした。
ようやく落ち着きを取り戻した選手たちがテンポよくボールを動かせるようになると、堂安はそれを待っていたかのように、今度は少々強引にでも自らドリブルで仕掛け、イタリアゴールに迫った。
ともすれば落胆の色が広がりかねないチームに生気を取り戻させたのは、間違いなく背番号7の鬼気迫るプレーだった。堂安が振り返る。
「2失点してから何とかチームを変えないと、と思った。自分がボールに触って、チームに喝を入れるというか、『オレはこんだけやってんねんぞ』って思わすためにも、厳しいところでも仕掛けにいったし、球際でも戦いにいった」
そして迎えた22分。左サイドからMF遠藤渓太がDFラインの背後にクロスを送ると、その落下地点に敵味方を問わず、ただひとり走り込んでいたのが、堂安だった。
ジャンプして伸ばした左足にわずかに触れたボールは、GKの股間を抜けてゴールに転がった。堂安は「あれはガンバでも求められているプレー。自分が(パスの出し手だけでなく)受け手にもならないといけないというのが課題だった」と言い、こう続ける。
「受け手になって(相手にとって)怖いところに入っていくということが実現できた。渓太がいいボールを蹴っていて、フィーリングがよさそうだったので、(パスが)来そうやなと思って走った結果。あれを続けていきたい」
堂安自身、「だいぶ楽になった」と振り返ったように、すでに変わり始めていた試合の風向きは、このゴールを境にその変化が明確なものとなった。
当然、イタリア守備陣も、誰が日本の攻撃の中心にいるのかは気づいていた。背番号7への対応がみるみる荒くなり、削られた堂安がピッチに転がるシーンが増えた。
堂安と好連係を見せた市丸瑞希 だが、堂安は手痛い洗礼も意に介さず、「楽しかった。ああやってバチバチ来てもらえたほうが、自分は火がつくんで」と、さらにギアアップ。堂安、MF市丸瑞希、DF初瀬亮の”ガンバトリオ”が右サイドで好連係を見せるなど、試合の主導権を握った日本は、後半開始早々の50分、ついに同点に追いつく。
流れるようなドリブルから値千金の同点ゴールを決めたのは、またしても背番号7の左足だった。
誰も寄せつけない迫力あるプレーを見せたピッチ上から一転、堂安は試合後、あどけなさの残る18歳の笑顔を見せて語る。
「あれ(ドリブル突破)が特徴なんで、ああいうゴールが取れてうれしい」
U-20日本代表の内山篤監督は、「(堂安が)14歳のときから彼を知っている」といい、高いポテンシャルを評価しつつも、それがコンスタントに発揮されないことにもどかしさも感じていた。
「これくらい苦しいといいのかな」
指揮官は冗談まじりにそう語っていたが、いきなりの2失点で頬を張られ、堂安は確かに目を覚ました。
また、「(3点目を取って)ハットトリックしたかった」と語る堂安が、これほどゴールにこだわるのには、左ヒザの負傷で戦線離脱を余儀なくされたFW小川航基の存在も大きく影響している。
「航基が今まで数々のピンチを(ゴールで)救ってきた。アイツがいなくて、点を取れる選手がいない分、そういう役割を自分がしてやろうと思った」
有言実行の2ゴール。それでも堂安は、「(勝てずに)引き分けだったが、こういう負けている内容から追いつけたことはチームにとっても個人的に自信になる」と語る一方で、自戒も忘れてはいなかった。
「それ(リードされてから火がつくこと)が悪いとこなんで。自分でスイッチを入れないとダメだと思う」
リードしたあとの試合運びには世界的に定評のあるイタリアにとって、2点リードを追いつかれるなどということは、まさかの展開だったに違いない。イタリアのアルベリコ・エバーニ監督は「スタートはとてもよく、2点は美しいゴールだったが、その後、集中が切れてしまった」と反省の弁を口にしながらも、「この結果につながったのは、日本のチームがとてもよかったからだ」と称えたのは、決して社交辞令ではなかっただろう。
試合はこのまま、勢いに乗る日本が逆転勝利へ向けて攻め続けるのか、とも思われたが、ここから先は、この試合の本来の位置づけにふさわしい展開へと収束していく。
ともに勝ち点3でグループリーグ最終戦を迎えた両チームは、引き分けで勝ち点1ずつを加えれば、イタリアは2位で、日本は3位でグループリーグ突破が決まる状況にあった(日本は2点以上を取っての引き分けであれば、その時点で3位チームのなかでの成績上位4カ国に入ることが決まっていた)。
ここから下手に打ち合って負けてしまっては、グループリーグ敗退が濃厚になる。そんなリスクを負うくらいなら、引き分けで十分。そうした思惑はどちらにも共通するものだった。とりわけ、引き分けでも2位通過が決まるイタリアにしてみれば、日本が3位通過を納得づくで引き分けという結果を受け入れてくれるなら、異論があるはずもなかった。堂安が振り返る。
「2点先制されたのを追いついて、体力的にもキツかったし、攻める気力もあまり残っていなかった。勝てれば最高だったが、相手もボールを回していた(攻めてこなかった)んで、無理に取りにいってはがされて、(失点して)負ければ何もなかった。これも戦術のひとつかなと思う」
はたして試合は、どちらから提案したともなく暗黙の了解のもと、無理には攻めず、無理にはボールを奪いにいかずの展開で、残り時間を費やした。
特にアディショナルタイムを含めた、最後の10分ほどはまったく動きがなくなり、ただただ時間が過ぎるのを待つだけの展開に、スタンドからはブーイングも起きた。さすがにこれほど極端な展開は、選手も「もちろん初めて」(市丸)だったが、世界の常識に照らせば「これもサッカー」(市丸)である。
その結果、試合は引き分けという”ウインウイン”の結果に終わった。内山監督が苦笑まじりに語る。
「タフなゲームというか、タフなゲームになってしまった。一番の目標は決勝トーナメント進出だったので、選手は素晴らしいゲームをしてくれた」
率直に言えば、最後は運にも恵まれた。内山監督は「引き分けでオーケーの試合を引き分けにするのは難しい」と語り、タスクを見事に完遂した選手を称えた。確かに、指揮官の言うとおりである。
だが、この試合に関して言えば、相手も引き分けでよかった。両者の思惑が一致したうえでの引き分けである。裏を返せば、そんな試合をここまでバタバタしなければいけなかったことを反省すべきなのかもしれない。
まずはしっかりと守備から入り、前半を0-0で折り返せば、結果として後半は同じような展開になったに違いない。それを考えると、ヒヤヒヤものの任務完了だった。
とはいえ、指揮官が「不幸中の幸い」と表現したように、お互いが点を取り合う展開になったことで、スコアは2-2まで動いた。同じ引き分けでも0-0、1-1であれば、翌日の他グループの結果を待たなければ、決勝トーナメント進出の可否がわからなかったことを思えば、結果オーライの引き分けだった。
試合ごと、あるいは時間ごとにさえ出来不出来の波があり、心もとないプレーを見せることも少なくないU-20日本代表だが、これで決勝トーナメント進出が決定。3年後の東京五輪で中心世代となる20歳以下の選手たちにとっては、貴重な国際経験を積む機会を、またひとつ得た。
しかも、ここから先は負ければ終わりの、しびれるような一発勝負。一戦一戦がグループリーグ以上に貴重な経験となるはずである。
もちろん課題はたくさんある。だが、度々苦しい展開に陥りながらも、概ねよく戦っている。そう評価していい、グループリーグ3試合だったのではないだろうか。
獅子奮迅の活躍を見せたレフティーに導かれ、若き日本代表はひとつ駒を進めた。