鈴鹿8時間耐久ロードレース、3年ぶりの開催(8月4日〜7日)である。 2020年の新型コロナウイルス感染症蔓延以降、日本で開催されるモータースポーツとしては、二輪四輪含めて、これがパンデミック以降で初めての世界選手権となる。 2020年と…

 鈴鹿8時間耐久ロードレース、3年ぶりの開催(8月4日〜7日)である。

 2020年の新型コロナウイルス感染症蔓延以降、日本で開催されるモータースポーツとしては、二輪四輪含めて、これがパンデミック以降で初めての世界選手権となる。

 2020年と2021年は、ほかのイベント同様に休止に追い込まれた〈真夏の祭典〉鈴鹿8耐だが、この2年間でウイルス対策の知見と社会的経験が蓄積されてきたことにより、今年は久々に開催の運びとなった。

 とはいえ、現在の日本は第7波の真っ最中である。何もかもがパンデミック前と同様の規模、というわけではけっしてない。レースウィークは、感染対策と衛生管理を厳密にコントロールしたなかで進行していった。



圧倒的な速さで鈴鹿8耐を制した長島哲太

 たとえば、選手やチームスタッフ、報道関係者などパドック内に立ち入る者は、全員が最初の入場72時間前のPCR検査で陰性を証明する必要がある。現場ではその個々人にバーコード付き入場許可証を付与し、これで日々のパドック入場を識別し管理する。

 当然ながら、室内屋外にかかわらず全員がマスクを着用する。メディアセンターでは、ひとつおきに間隔を開けて着席するように椅子の数を調整。また、グランドスタンド側とパドックをつなぐトンネルが閉鎖されているために、観客はパドック内への立ち入りが禁止され、パドック側からも観客席側に出向くことができなくなっている。

 つまり、今回のレースイベント実施時間中はパドック内を簡易バブルのような恰好で囲い込んで、レース関係者と観客の接触を遮断する措置を執った、というわけだ。

 この管理手法は、現在の欧米諸国の一般的な基準と比べると、かなり厳格なものといっていいだろう。

 たとえばMotoGPでは、この春以降に感染対策の敷居を大きく下げて、現在の衛生対策や人流コントロールはパンデミック前とほぼ同様の状況に戻っている。それと比較すれば、今回の鈴鹿の感染対策は、ちょうど1年くらい前の欧州のパドック管理水準に近いような印象もある。

 だが、8耐のレース開催が第7波と重なってしまった以上、この措置はじつに時宜を得た対応だった、と言えるだろう。サーキットを運営するモビリティランド関係者の予防的な展望と慎重な対応が奏功した結果だ。

優勝候補4メーカーの布陣は?

 衛生基準はこのように慎重にコントロールされたが、レースそのものは世界選手権らしい国際色豊かなエントラントが揃った。

 前回の2019年の優勝チーム、Kawasaki Racing Team Suzuka 8Hは3年越しの連覇を狙い、エースのジョナサン・レイにアレックス・ロウズ、レオン・ハスラムというイギリス人トリオの布陣で臨んだ。過去の8耐でレイは2勝、ロウズは3勝、ハスラムは3勝を挙げている。まさに最強といっていいチーム編成だ。

 一方、ホンダファクトリーのTeam HRCは、長島哲太、高橋巧、イケル・レクオーナというラインナップで挑む。長島は、Moto2でシートを失った2020年末にHRCの扉を叩き、マシン開発を担当することになったという経緯がある。高橋は8耐で過去3回の優勝経験を持つ。ホンダは2014年の勝利を最後に優勝から遠ざかっている。ホンダがこれほど長い間勝てないのは、8耐史上初めてのことだ。

 そして、昨年の世界耐久選手権(EWC)チャンピオンチームとして今回の8耐に臨むのが、スズキ陣営のYoshimura SERT Motulだ。この週末に先立って、参戦予定選手が新型コロナウイルス陽性となったため、チームはピンチヒッターでほかのライダーを投入。さらにもうひとりのライダーが直前の事前テストで転倒して負傷。結局、そのピンチヒッター選手と日本人選手の渡辺一樹のふたり体制で戦う厳しい状況を強いられた。

 ヤマハは2015年から2018年まで4連覇したファクトリーチームこそ参戦しないものの、EWCを戦い慣れたYART-YAMAHA OFFICIAL TEAM EWCが陣営のトップチームとして戦う。

 これらの強豪チームがタイムを争い、土曜午後の予選では、週末を通して速さを見せ続けた長島哲太が唯一の2分04秒台を記録。この長島の最速タイムでTeam HRCがポールポジションを獲得した。

長島哲太は表彰台で叫んだ

 日曜午前11時30分にスタートした決勝レースでも、Team HRCが圧倒的な強さを見せた。

 スタートライダーは高橋巧。8耐を最もよく知るライダーだけに、安定したハイペースで後続を引き離し、1時間の走行を終えて長島にバイクを委ねた。長島もまったく危なげなく速いペースで差を広げ続け、カワサキのエース、ジョナサン・レイとの距離を22秒に広げてレクオーナにつないだ。レクオーナも初めての8耐とは思えない安定感を発揮し、ひとつのミスもなく自分の担当時間を消化していった。

 Team HRCの3名は最後まで高水準の走りを続け、ファクトリーが総力を結集させてすべてが噛み合った容赦ない強さを見せつけるレースだった。最後の時間を走行した長島が214周を終えてチェッカーフラッグを受け、独走で8年ぶりの優勝を飾った。

 この圧巻の勝利を振り返ると、トップタイムを記録してポールポジションを獲得し、決勝レースでは優勝のチェッカーフラッグを受けた長島は、最大の立役者だ。

 だが、上述のとおり、長島哲太はけっして順風満帆なライダー生活を送ってきたスター選手ではない。むしろ、全日本選手権時代から苦労を重ね、世界グランプリの舞台へ到達したあとも、自分ではどうにもならない環境に何度も翻弄され、HRC開発ライダーのポジションを自力で掴み取った苦労人である。

「(Moto2の)シートを失ってからHRCに拾ってもらい、成長させてもらってここまで来ることができました。本当にありがとうございます!」

 表彰台で叫んだ長島は、

「自分はレーシングライダーなので、走る場所がないことが一番つらい。去年と今年は、HRCと一緒にこの8耐のためにいっぱいテストをして、『ここまでやるのか』というくらい重ねてきた努力が形になりました。それがなによりうれしい。......ごめんなさい、言葉になりません」

 そう言って、少し声を詰まらせた。

 2位はKawasaki Racing Team。3位には、最後までふたりのライダーで戦い抜いたYoshimura SERT Motulが入った。

 今年の8耐は緊迫感に満ちたバトルこそなかったが、終わってみればやはり、かけがえのない特別な8時間になった。来年の鈴鹿8耐は、かつてのように感染対策の必要がない状態で迎えることができるだろうか。