オフィシャル誌編集長のミラン便り2016~2017(23)ボローニャ戦後、カメラに笑顔を向ける本田圭佑(BUZZI/FOOTBALL PRESS) カンピオーネ(チャンピオン)の一撃は、期待していなくても、必要なときに生まれる。 今シー…

オフィシャル誌編集長のミラン便り2016~2017(23)



ボローニャ戦後、カメラに笑顔を向ける本田圭佑(BUZZI/FOOTBALL PRESS) カンピオーネ(チャンピオン)の一撃は、期待していなくても、必要なときに生まれる。

 今シーズンのチームの明暗を決める重要な試合であるというのに、ボローニャ戦は監督の思うようにはいっていなかった。そのため、ヴィンチェンツォ・モンテッラは何度もベンチの顔ぶれを見やった。この中で、いったい誰がこの膠着状態を打開してくれるか。この選択に成功すれば英雄になるが、そのためには勇気が必要だ。そしてモンテッラはその勇気を持っていることを、この日曜日に証明してみせた。

 シーズン終了まであと2試合。ミランにとってはシーズンの最低限の目標、ヨーロッパリーグの予選出場権を手に入れられるかどうかのマッチポイントともいえる試合だった。

 現在15位のボローニャ相手だから簡単だと思えるのは、理屈の上の話にすぎない。こういう勝たなければいけない試合では、開始してすぐにリードしないと、選手たちの不安は時間を追うごとに増大し、プレーに影響を及ぼすようになる。時とともに簡単なこともどんどん難しくなり、ゴールを決めるのも困難になる。

 おまけに相手チームを率いるのはミランの黄金時代の名選手、ロベルト・ドナドーニだ。試合前、ミランサポーターは拍手で彼を迎えていた。ヘタをするとボローニャに先制される恐れさえあった。

 実際、前半のミランはトーンが低く、どうにか2度ほどチャンスを作っただけだった。しかし、後半はすべてが変わった。特にモンテッラがベンチを見やってからは……。

 それまでのシーズンの流れとは異なり、モンテッラは交代選手に背番号10を選んだ。本田圭佑は57分にカルロス・バッカと交代してピッチに入った(4月23日のエンポリ戦以来のプレー)。

 その効果はすぐに表れた。本田は中盤の右サイドにポジションをとると、すぐに試合のメカニズムに入り込み、前線への重要なボールの供給源となった。本田の交代から10分ちょっと経ったところで、まずジェラール・デウロフェウが待望の先制ゴールを決めた。

 そして73分、運命の時が訪れた。ペナルティーエリア付近からの、本田はまるでお手本のようなFKを放ち、それをボローニャGKの背後に決めた。2-0。これでミランの勝利は確固たるものとなった。

 本田のセリエAでの最後のゴールは2016年の2月14日、ホームでのジェノア戦だった。つまり本田は実に461日ぶりにゴールネットを揺らしたのである。そして、このゴールはミランを3年ぶりにヨーロッパの舞台へと導いた。

 ミランはその後、ジャンルカ・ラパドゥーラが1点を追加し、3-0で試合を終えたが、ミラニスタにとって一番印象に残ったのは、他でもない本田のゴールであった。

 この活躍は本田にとってうれしくもあり、同時に苦いものでもあったろう。今季ここまでの本田の出場は計7試合でたったの162分。もし監督がもっとチャンスを与えてくれていたなら、この愛するチームにもっと貢献することができたのに……試合後、チームメイトとピッチを巡りながら、本田はそう思わずにいられなかったはずである。

 シーズン終了まで、そして本田圭佑のミランでの冒険が終わるまで、あと1試合。これまでも噂はあったが、本田はボローニャ戦の後、ミランを出ていくことを正式に発表した。SNSの彼のメッセージはサポーターに捧げられたものだった。

「親愛なるサポーターの皆さん、この3年半は挑戦の連続でしたが、僕を人間として大きく成長させてくれました。僕は今シーズン限りでミランを去りますが、皆さんにまたお目にかかれる日を心待ちにしています。もう選手としてではないかもしれませんが、どんな形で会えるのか楽しみです」

 この言葉にもう何も付け加えるものはないだろう。

 次の日曜日のカリアリ戦で、2014年1月、多くの期待と希望を胸に始まったミランと本田の物語は最終章を迎える。次々と変わる監督のもと、その物語は、本田の思い描いていたものとは残念ながら違っていただろう。しかし、とにかく本田はここでひとつの物語を作り上げた。

 ミランで最初の日本人選手。チームのためにすべてを捧げた男。そしてチームメイトと監督たちは口をそろえて彼を称える。「本田圭佑こそプロ選手の鑑(かがみ)である」と。