プロ野球「世代別」ベストオーダー〜立浪世代編 プロ1年目から中日の遊撃手のレギュラーとして活躍した立浪和義を中心とする精鋭たちが切磋琢磨したこの世代(1969年4月2日〜1970年4月1日)。新人王には、立浪のほか、?村祐、久慈照嘉など、入…

プロ野球「世代別」ベストオーダー〜立浪世代編

 プロ1年目から中日の遊撃手のレギュラーとして活躍した立浪和義を中心とする精鋭たちが切磋琢磨したこの世代(1969年4月2日〜1970年4月1日)。新人王には、立浪のほか、?村祐、久慈照嘉など、入団して早い段階から活躍した選手が多い。また、高校時代にプロから高い評価を受けていた選手も多く、ハイレベルな競争が繰り広げられてきた。「立浪世代」のベストオーダーは?



日米通算106勝をマークした伊良部秀輝

メジャーでも活躍した快速右腕

【先発】伊良部秀輝(ロッテ、ヤンキース、エクスポズ、レンジャーズ、阪神)

 1992年のパ・リーグ新人王の髙村祐、技巧派左腕の野村弘樹など、実力者が揃うが、エースは快速右腕・伊良部秀輝に託したい。尽誠学園からドラフト1位でロッテ入り。ルーキーイヤーから一軍のマウンドに立った伊良部は、チーム状況が苦しいなか投手陣の中心として活躍。西武・清原和博との両者一歩も引かない真剣勝負は「平成の名勝負」として、ファンの心を熱くした。

 メジャー移籍後はアジア人初となるワールドシリーズチャンピオンに。「和製ノーラン・ライアン」は海を渡ってからも豪速球を武器に躍動した。2003年には阪神と契約して日本球界に復帰。この年、13勝を挙げてチーム18年ぶりのリーグ優勝の立役者となった。

NPB通算成績:273登板/72勝69敗11セーブ/防御率3.55
MLB通算成績:126登板/34勝35敗16セーブ/防御率5.15

【中継ぎ】盛田幸妃(大洋、横浜、近鉄)

 函館大有斗高校からドラフト1位で大洋(現・横浜DeNA)入り。入団5年目の1992年にシーズン途中に先発から中継ぎに転向。その年、大半がリリーフでの登板だったが、規定投球回に達し、最優秀防御率のタイトルを獲得した。シュートを武器にした強気の投球で、落合博満をはじめとする並みいる強打者を手玉にとった。

 1998年にトレードで近鉄に移籍。その後、脳腫瘍が見つかり戦線離脱を余儀なくされるも、2001年に34試合の登板を果たし、リーグ優勝に貢献。カムバック賞を受賞したが、翌年現役を引退。2015年に転移性悪性腺腫のため45歳の若さでこの世を去った。

通算成績:345登板/47勝34敗29セーブ/防御率4.05

【抑え】斎藤隆(大洋、横浜、ドジャース、レッドソックス、ブレーブス、ブルワーズ、ダイヤモンドバックス、楽天)

 世代No. 1の112勝、139セーブに加え、登板数も741と圧倒的な数字を残している。ドラフト1位で大洋に入団した斎藤隆は、プロ2年目からローテーション入り。とくに優勝した1998年、99年は勝率が高く「負けない投手」として信頼の厚い先発投手だった。

 そんな斎藤が抑えに転向したのは、高校・大学の先輩である佐々木主浩のメジャー入りがきっかけだった。2001年に27セーブを挙げると、翌年も20セーブ。そして2006年からは自身も活躍の場をメジャーに移し、84セーブを挙げるなど活躍した。

NPB通算成績:403登板/91勝81敗55セーブ/防御率3.75
MLB通算成績:338登板/21勝15敗84セーブ/防御率2.34



プロ通算2480安打を記録した立浪和義

上位は巧打者がズラリ

1番・センター/田口壮(オリックス、カージナルス、フィリーズ、カブス、オリックス)

 関西学院大時代は強肩・巧打の遊撃手としてプロの熱い視線を受け、ドラフト1位で地元のオリックスに入団。遊撃手として開幕スタメンを果たしたが、守備の不安を露呈し、定位置奪取には至らなかった。

 転機が訪れたのは3年目の外野へのコンバートだった。俊足・強肩という天賦の才能を生かした広い守備範囲と打球判断のよさで、イチローらとともに「球界屈指の外野陣」を形成。ゴールデングラブ賞は3年連続を含む5度受賞。

 日本一となった1996年にはベストナインにも輝いた。2002年以降は海を渡りメジャーでも活躍。MLBの名将トニー・ラルーサから絶大な信頼を寄せられるなど、攻守に存在感を示した。

NPB通算成績:1222試合/1219安打/70本塁打/429打点/87盗塁/打率.276
MLB通算成績:672試合/382安打/19本塁打/163打点/39盗塁/打率.279

2番・セカンド/堀幸一(ロッテ)

 つなぎ役の2番には、長きにわたりロッテの主力として活躍した堀幸一を選出。1シーズンで全打順を経験するなど、器用さが最大の武器の選手。ロッテ一筋23年の現役生活を送り、2005年は日本一を経験。この年、自身初のベストナインも受賞するなど、チームの勝利に貢献した。

 アベレージヒッターの印象が強いが、1991年にはシーズン20本塁打を記録するなど、長打力も秘める。また、全打順本塁打という珍しい記録も持っており、与えられたポジションできっちり仕事をこなす職人肌タイプ。こういう選手がチームにいるだけで、作戦の選択肢は広がり、相手にとっては脅威になるに違いない。

通算成績:2064試合/1827安打/183本塁打/810打点/133盗塁/打率.269

3番・ショート/立浪和義(中日)

 3番は世代屈指の好打者・立浪和義で決まり。PL学園時代は主将を務め、強烈なリーダーシップでチームを甲子園春夏連覇。ドラフト1位で中日に指名され入団。

 入団1年目の開幕戦から「2番・ショート」で抜擢されると、110試合に出場し打率.223ながら22盗塁を決めるなど躍動。新人王と高卒新人として史上初となるゴールデングラブ賞を獲得するという最高のスタートをきった。

 その後は右肩の故障などもあってショートを離れたが、サード、セカンドでもゴールデングラブ賞を受賞するなど、持ち前のセンスを遺憾なく発揮。打つほうでも22年間の現役生活で通算2480安打をマーク。二塁打487本はNPB歴代1位の金字塔である。

通算成績:2586試合/2480安打/171本塁打/1037打点/135盗塁/打率.285



浦和学院時代、高校通算83本塁打のスラッガー・鈴木健

4番は高校通算83本塁打の長距離砲

4番・DH/鈴木健(西武、ヤクルト)

 4番には浦和学院時代に高校通算83本塁打のスラッガー鈴木健。3年夏の甲子園では初戦で伊良部秀輝がエースの尽誠学園と対戦。試合には敗れたが、超高校級の対決は甲子園を沸かせた。

 ドラフト1位で地元・西武に入団し、ファームでは2年連続で首位打者を獲得するなど早々に結果を出した。しかし、当時の西武の選手層は12球団の随一と言われており、世代屈指の長距離砲にとっても一軍の壁は厚かった。

 その後は徐々に出場機会を増やし、入団6年目に13本塁打、10年目となる1997年には4番に抜擢されリーグ優勝に貢献。ベストナインを獲得した。2003年からヤクルトに活躍の場を移し、同年20本塁打を放ち、ベストナインに加え、カムバック賞にも輝いた。

通算成績:1686試合/1446安打/189本塁打/797打点/15盗塁/打率.278

5番・ファースト/片岡篤史(日本ハム、阪神)

 PL学園で立浪和義や野村弘樹らとともに甲子園春夏連覇を達成。とくに夏は、名門の4番として快打を連発。準決勝の帝京戦ではこの大会でノーヒット・ノーランを達成した芝草宇宙(元日本ハムほか)を打ち崩し、決勝の常総学院戦でも島田直也(元日本ハムほか)から3安打を放つなど、「好投手キラー」ぶりを発揮した。

 同志社大でも攻守ともに高い評価を受け、日本ハムにドラフト2位で入団。プロ入り後は日本ハムの主力として「ビッグバン打線」の中軸を担い、阪神移籍後も勝負強いバッティングで2003年のリーグ制覇に貢献した。

通算成績:1569試合/1425安打/164本塁打/717打点/35盗塁/打率.270

6番・ライト/桧山進次郎(阪神)

 巧さと勝負強さを兼ね備えた桧山進次郎を6番に起用。東洋大学時代は「東都の巧打者」としてドラフト4位で阪神に入団。当初は一軍に定着できないシーズンが続いたが、4年目に115試合に出場すると、翌年にはレギュラーとしてクリーンアップを打つ強打者に成長した。

 入団10年目の2001年に打率.300をマークすると、2003年にはサイクル安打を達成するなど、18年ぶりのリーグ制覇に貢献。日本シリーズでも優秀選手賞を獲得するなど奮闘した。

 長い間、阪神の人気選手として活躍した桧山だが、晩年は「代打の神様」としての印象も強い。卓越した読み、巧みなバットコントロールで次々と安打を重ね、代打での安打数、打点はどちらも歴代2位を誇る。得点圏にランナーを置いて、桧山に回したい。

通算成績:1959試合/1263安打/159本塁打/707打点/41盗塁/打率.260



現役晩年は代打の切り札として活躍した大道典良

職人気質のいぶし銀たち

7番・レフト/大道典良(南海、ダイエー、巨人)

 7番には、しぶとい打撃を売りに南海、ダイエー(現・ソフトバンク)、巨人で41歳までプレーした大道典良を選出。職人芸と言われた「流し打ち」が代名詞だが、入団当初は長打力が持ち味の選手だった。プロの世界で並みいるスラッガーたちを目の当たりにして自らの生きる道を探り、「流し打ち」にたどり着いたという。

 大きな体を小さくたたみ、バットを極端に短く持って快打を連発。入団8年目には、規定打席に到達こそならなかったが、打率325、10本塁打をマーク。翌年はクリーンアップの一角を任された。現役晩年は、活躍の場を巨人に移して「右の代打」として活躍した。2009年には日本一に貢献し、その翌年、静かにバットを置いた。

通算成績:1356試合/906安打/60本塁打/415打点/9盗塁/打率.284

8番・キャッチャー/吉永幸一郎(南海、ダイエー、巨人)

 正捕手は吉永幸一郎と山田勝彦で迷ったが、2度のベストナインに輝いた吉永を選びたい。東海大工業高校(現・東海大翔洋)時代、甲子園出場こそなかったが強肩と長打力を買われてドラフト5位で南海に入団した。

 3年目に7本塁打を放つなど、持ち前の長打力を武器に一軍に定着。1996年には打率.295、20本塁打で自身2度目のベストナインに輝いた。翌年はヒザの故障もあり内野手、DHでの出場が多くなったが、オールスターではパ・リーグの4番を務め、シーズンでも自己最多の29本塁打をマークした。

 長打力もさることながら、ミートのうまさに定評があり、吉永のバッティングを高く評価するプロの選手は多い。この吉永が8番に座る打線は、相手にとって脅威になることは間違いないだろう。

通算成績:1250試合/1057安打/153本塁打/505打点/4盗塁/打率.278

9番・サード/進藤達哉(大洋、横浜、オリックス)

 9番は守備力の高さを評価して進藤達哉を起用したい。ドラフト外で入団するも、努力ではい上がってきた叩き上げの苦労人。自慢の守備に磨きをかけ、1997年から3年連続して三塁手のゴールデングラブ賞を獲得。98年には堅実な守備としぶといバッティングでベイスターズの日本一に貢献した。

 長打力こそないものの、状況に応じたバッティングで好機を演出。上位打線へのつなぎ役としてこれほど適任な選手もいない。チームにとっては頼りになる存在だ。

通算成績:1348試合/917安打/104本塁打/412打点/42盗塁/打率.239