昨年7月から長期欠場していた大石真翔が1年ぶりに7.24後楽園ホールで復帰戦を行う。プエルトリコから帰国した大石はシングルやタッグのベルトを獲得。当時タッグパートナーは旭志織。今回は旭とのタッグ、DDT入団の経緯について。 <(1)は…

昨年7月から長期欠場していた大石真翔が1年ぶりに7.24後楽園ホールで復帰戦を行う。プエルトリコから帰国した大石はシングルやタッグのベルトを獲得。当時タッグパートナーは旭志織。今回は旭とのタッグ、DDT入団の経緯について。

<(1)はこちら>

――2002年4月にプエルトリコから帰国。これはどういった事情があったのですか?

大石:プエルトリコのKAIENTAI DOJOを閉めることになりました。千葉で旗揚げすることになり僕たちは日本に帰国したのです。

――日本でのデビュー戦はどうでしたか?

大石:折原昌夫さんだったので怖かったです。入場して睨み合った時、脚が震えていました(苦笑)。

K-DOJO以外、僕はサンボ経験者だったのでバトラーツやキャプチャー・インターナショナルなど格闘技をベースとした団体に出場させて頂くことが多かったですね。この時期DDTから一度だけ声が掛かり高梨将弘とシングルマッチをしました。

――K-DOJOでは旭志織選手とタッグを組んで多くのタッグベルトを巻きましたね。

大石:旭志織とはSTRONGEST-K TAG王座、WEWハードコアタッグ王座、それにみちのくプロレスの東北タッグ王座を獲得しました。シングルだとUWA世界ミドル級王座やインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座です。

――UWA世界ミドル級王座はグラン浜田さん、ウルティモ・ドラゴン選手も巻いていた権威のあるベルト。インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座は1度封印され飯伏幸太選手がTAKAみちのく選手に直訴して2007年に復活したベルトですね。ところで旭さんとのタッグはいかがでしたか?

大石:旭とは合いますね、考え方が全然違いますけど(苦笑)。本当に180度反対です。旭は詰将棋のように頭の中で積み上げていくタイプで、相手を自分のペースに引き込むレスラー。僕は相手のペースに乗って試合を組み立てていくレスラーです。

――大石選手は相手の力を8、9引き出した後、10の力で勝つ。アントニオ猪木の「風車の理論」ですね。

大石:そこまでカッコイイものではないです(苦笑)。僕は相手のペースで試合をしたい。旭は自分のペースに相手を引き込む。タイプが全く違う2人がタッグを組むと相手チームが戸惑う。旭とのタッグは相性が良かった。

――レスラーとして順風満帆のように見えましたが2010年末にK-DOJOを退団しました。

大石:膝も悪かったし、レスラーとして「もっといろいろな景色が見たい」という欲が出てきた。そこからはDDTに参戦していました。

――2011年9月にDDTに入団しています。どういった経緯があったのでしょうか?

大石:その頃DDTは大鷲透さんが長期欠場、マッスル坂井さんが家業を継ぐために引退、高木三四郎さんがユニオン移籍でレスラーがいなかった。人を通じて「DDTに上がってくれない?」と打診がありました。僕も上がるリングを探していた。それでDDTに参戦したら男色ディーノが良くしてくれたんですよ。K-DOJOに所属している頃からディーノとは同年代で面識もありました。

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――それまでの大石選手は若手イケメンレスラーとして活躍していました。DDTで活動するようになりディーノ選手や飯伏幸太選手と「ほもいろクローバーZ」を立ち上げました。真逆すぎて戸惑うファンも多かったのではないでしょうか?

大石:そうですか?僕の中では真逆だと思ってなかったです(笑)

当時、早見あかりさんが在籍時していた「ももいろクローバー」が好きで、そのことをディーノに伝えました。ディーノは「俺の知り合いにも、ももクロにハマっている奴がいる」。

それで「語呂的に『ほもいろクローバー』って面白くない?」と話しました。ちょっとした巡業バスの中での雑談です。

ある時、ディーノから呼び出され「メンバーに飯伏を捕まえたから『ほもクロ』やろう!」と。二つ返事で「最高だな、やろう!」と言いましたね。

ただ2011年8月の後楽園ホールで「ほもクロ結成」を発表したら観客席で笑った人は10名前後。まだ「ももクロ」が世間に浸透する前で「やべぇ、スベった」って思いました(苦笑)。

――今では考えられないですね(苦笑)。その後、勝俣瞬馬選手やMAO選手とアイドルユニット「NωA」も結成しました。

大石:NωA前に勝俣と「KAT-TOO(カトゥー)」を組んでいました。それにディーノが合流して「男方神起(もーほーしんき)」というアイドルユニットができた。すぐに消滅したけど面白かったんですよ(笑)。その頃、プロレス界に「歌って踊るユニット」がなかった。それで会社と相談したら「アイドルユニット」を作ろう。まずは曲を作ろう!と(笑)。

アップアップガールズ(仮)のYU-M エンターテインメント株式会社と付き合いがあり曲を作ってもらいました。そのツテで振付師も紹介してもらいましたね。

それで勝俣と「誰をメンバーにしようか?」と相談し仲間にMAOが加わった。当時35歳でしたがライブとかやらせてもらい本当に楽しかったですね。

――やはりK-DOJO時代とDDTに加入してからの大石選手は真逆の活動をしていますね。

大石:自分では分けているつもりはないけど、勝俣以下の後輩から「K-DOJO時代の大石さんが好きでした」と過去形で言われます。たしかにK-DOJOの時はダブルピースしてないですけど(苦笑)。

――ところで2011年DDTに所属したキッカケはなんですか?

大石:(少し考えて)高木三四郎を好きになったからですかね。「この人の下なら本当に好きなプロレスができる」と感じた。

ディーノのことも親友だし尊敬もしている。僕はDDTにポンと入ってきた。その僕をディーノが拾ってくれた。あの時、ディーノのそばに居たいと感じたんです。

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ディーノと旭志織は似ている。緻密な部分や凄いアイディアを持ってきて荒唐無稽なことを言うんです。僕はそれを形にするのが好きなんですよ。

旭と2人で開発した「サボテンの花(合体前方回転エビ固め)」という技があります。

ある日、旭が「俺、組体操をプロレスに取り入れたい」と言ってきた。それで僕がいろいろアイディアを出し「旭、これはどう?」『違う』「だったらこれは?」『ちょっと違うな』とあーだこーだ言いながらできたのが「サボテンの花」。

ディーノにしてもそうです。僕は親友や気のおけない人が「これを形にしたい」と言ったら出来る限り形にしてあげたい。

――それはご実家が土建屋さんだったことが関係しているでしょうか。「こういう家作りたいんだ」と相談され「分かった」と言って形にするお父さんの姿を見て育った影響とか。

大石:DNAに知らず知らずに刻まれているのかもしれないですね(笑)。

僕はディーノや旭、高木さんみたいに突然アイディアが浮かぶことがない。0から1を作ることができないタイプの人間です。でも1を10にすることは大好きです。

旭の「大石さん、こんな技やりたいんだけど…」「こんな興行やりたいんだけど…」を『えっ〜そんな無理だけど…でもちょっと考える』というのが好きだった。

1を形にすることが好きで、形にしてあげたい人がそばにいた。高木さんや旭、ディーノがそばに居たんですね。
<(3)につづく>

<インフォメーション>
7.24後楽園ホール「Summer Vacation 2022」で1年ぶりに大石真翔がリングに帰ってくる。また遠藤哲哉選手の復帰戦やDDT UNIVERSAL選手権試合 王者・高梨将弘vs挑戦者・岡田祐介戦も行われます。

詳細はDDTプロレスリング公式サイトをご覧ください!
なお試合は動画配信サービスWRESTLE UNIVERSEで配信されます。

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取材・文・編集/大楽聡詞
写真提供/DDTプロレスリング