7月18日の早朝にスタートした世界陸上選手権女子マラソン。日本チームは新型コロナウイルスのPCR検査で一山麻緒(資生堂)が陽性になったのに続き、翌日には新谷仁美(積水化学)も陽性反応が出てレースを急遽欠場。出場は松田瑞生(ダイハツ)のみに…

 7月18日の早朝にスタートした世界陸上選手権女子マラソン。日本チームは新型コロナウイルスのPCR検査で一山麻緒(資生堂)が陽性になったのに続き、翌日には新谷仁美(積水化学)も陽性反応が出てレースを急遽欠場。出場は松田瑞生(ダイハツ)のみになるという、想定外の状況になった。



自分の走りをできなかった悔しさでゴール後、涙があふれた松田瑞生

「出られなかった選手の悔しさというのは私が一番わかっているので、そのすべての選手の気持ちを背負って走りました。新谷さんとは連絡はしてないが、(陽性になってしまった)横田真人コーチから山中美和子コーチには『ごめんな』という連絡があったと聞いています」

 レース後どんな思いを持って走っていたかを明かした松田だが、スタートラインに立った時は不安があったという。

 山中コーチは松田の抱えていた不安についてこう話す。

「(世界陸上前の)合宿の後半に疲労が出てしまったので、本人としては納得できないトレーニングだったと思う。私のなかでは休んだ時間で疲労を抜き、マラソンに向けてはいい調整になったのではないかと思ったけれど、彼女の場合は今まで、走り込んでレースに挑んでいたので不安が大きかったかなと思います」

 優勝タイムが大会新記録(2時間05分36秒)だった前日の男子は、スタート時の気温は13度だったが、この日はさらに低い10度という好コンディション。そのなかでスタートしたレースは、最初からケニア3選手とエチオピア3選手が前に出て、集団走のように積極的に引っ張り出す想定外の展開。最初の5kmは16分10秒と2時間16分台も狙えるペースで、中間点通過は1時間09分01秒と序盤からスピードレースになった。

 そのなかで松田は、2kmを過ぎた時点で先頭集団から遅れ始めた。山中コーチの「最初からハイペースになってしまったので、それに対応しようとして身体を必死に動かしている感じがあって、ちょっと心配していた」という危惧が出てしまった。さらに3km手前からは第2集団を形成した6人のグループからも遅れ、5kmは16分43秒通過で17位。集団ではなく単独で走る、苦しい形になってしまった。

「不安がないといえば嘘になりますが、もうそれが自分の実力と認めていたし、どんなレースになっても後悔はないと思い、覚悟を持ってスタートラインに立ちました」と話す松田。それでもスタート前には「どんな展開になってもそれに対応していきたい」と決意していただけに、2km過ぎからの集団離脱は大ショックだった。「本当に自分の力がないなと感じた」と話す。

つらい状況でも強い走り

 しかし、そこからは彼女らしい、心の強さと存在感を見せる粘り強い走りをした。4kmを過ぎてからは、2時間21分台を狙える1km3分20~22秒ペースの安定した走りで前を追いかけた。

「今回はもう、前半も中盤も後半も『これが自分の精一杯の力』という感じだったので、最初からすべて全力でした。5kmを過ぎてからひとり抜いたあとにうしろからついてこられたけど、自分がその人のうしろにつけばドンドンペースが落ちていくだけだと思ったので、とにかくいけるところまで攻めていこうと、全力を尽くしました」

 中盤になって第1集団と第2集団もバラけ始めたところで、松田はペースを維持し続け、中間点過ぎには順位を12位に上げた。そして、序盤は先頭集団を走っていた選手の内、ふたりが31km、35km過ぎでレースを止めると10位に。ペースが落ちるのを必死にこらえ、8位集団とは8秒差まで詰めて入賞の可能性も感じさせる走りをした。

 そして37kmを過ぎたところで、ひとり抜いて9位になると、徐々にタイム差を縮めていった。ここまで8秒差だった8位とのタイム差を、39kmで4秒差、40kmで3秒差、41kmでは2秒差と執念の走りだった。

「あの時はもう前だけを見据えていたので、ひとつでも前に、1秒でも前にと思ってずっと走っていました。途中で9位だと言われていたので、それが8位争いだとわかっていたけど、もうずっと全力だったので、ラストの足が残っていませんでした」

 息が詰まるような長い、長いケイラ・ダマート(アメリカ)との熱走。最後は突き放され、入賞には15秒届かない2時間23分49秒の9位でゴール。

 その熱い走りに山中コーチも感激の言葉を口にする。

「正直、私は『もう完走してくれれば十分だな』と思った時もあったので、8位入賞まで手が届きそうなところまで来てくれたことに関してはもう上出来だと思っています。彼女はその結果にも納得していなかったけど、十分に楽しませてもらったし、松田自身の競技に対する熱意が伝わってきたのでありがたいと思いました」

再び世界選手権の舞台を目指して

 万全な準備ができなかったなかではあったが、今回の記録は日本歴代12位に相当するまずまずの記録。

「合宿の後半に少し崩れた部分があったので、練習も含めてすべてが世界選手権だなと思ったし、やっぱりマラソンは練習ができてこそのレースだなと思いました」と話す松田だが、今回のレースでは「万全なら戦えた」という思いも強く残った。

「いつもどおりのコンディションに整えられていたら戦えたなというのは、すごく感じました。だからこそこれまでで一番悔しかったし、調整力や体力、精神力が劣っていたと感じました」

 トラックでは2017年世界選手権に出場しているが、2018年から挑戦を始めたマラソンでは、東京五輪出場を惜しくも逃していてこれが初めての世界大会。そこで号泣するような悔しさを感じたからこそ、これからの世界との戦いへ向ける気持ちはさらに強くなってきた。

「世界の舞台に立てない悔しさと、世界の舞台に立つプレッシャーと責任感というのはどちらも経験させていただいたし、私が一番、悔しさというのをわかっていると思うので。その悔しさを糧に、また次にこの世界の舞台に戻ってきて、結果を残せるようにまた一から頑張っていきたいと思います」

 直前にチームとしての誤算が続き、期待を一身に背負わされてしまった孤独な戦いと悔しさ。だからこそ松田の強い心のバネは、さらに勢いを持って跳ね返ってくるはずだ。彼女にとっては、貴重な世界選手権になった。