世界陸上選手権2日目。男子100mでサニブラウン・ハキーム(タンブルウィードTC)が、決勝進出という歴史的な快挙を果たした。 昨年はヘルニアに苦しみ、東京五輪にも出場はしたものの、納得の走りはまったくできなかった。だが、今年は体型も昨年に…

 世界陸上選手権2日目。男子100mでサニブラウン・ハキーム(タンブルウィードTC)が、決勝進出という歴史的な快挙を果たした。

 昨年はヘルニアに苦しみ、東京五輪にも出場はしたものの、納得の走りはまったくできなかった。だが、今年は体型も昨年に比べてスッキリし、6月の日本選手権では決勝こそ10秒08での優勝だったが、予選で見せた動きは、いつでも9秒台を出せそうな雰囲気を漂わせていた。



決勝を走り終え、充実の表情を見せたサニブラウン・ハキーム

 それを証明したのは、世界選手権初日午後の予選だった。「反応が遅かった」と話していた日本選手権とは違い、リアクションタイム0秒112のすばらしいスタート。そのあともリラックスした状態で加速し、50mあたりで最高速度に達した。最後はストライドが伸びすぎて「ピョンピョンした走りになってしまった」と反省したものの、力むことなくレースをまとめ、向かい風0.3mの条件ながら全体6位の9秒98で準決勝進出を決めた。

「今日はあまりタイムを気にせずに走ったので、とりあえず『9秒台が出たな』というくらいです。『やっと、しっかりスタートをきれたかな』という感じで......。とりあえずコーチからは、『ピストルの音にしっかり反応して、40mからもしっかりといい感じでまとめてこい』と言われていました。本当にいい形で60mくらいまでスーッと抜けて、そこからは気持ちよく走れたと思います」

 ただ、この予選はフレッド・カーリー(アメリカ)の9秒79を筆頭に、7人が9秒台を出す、これまでにないハイレベルな結果。準決勝になればさらに記録を上げてくることも予想された。それでもサニブラウンは前向きだった。

「9秒9台でも準決勝落ちをするかもしれないレベル。そのなかで走れるのはすごくいい経験になる。こんなにレベルが高い大会はないと思うから、『ここにいたんだ』だけではなく、しっかりいい結果を出せればと思います」

ハイレベルな戦い

 翌日午後に行なわれた準決勝は、少し肌寒さを感じる好条件とは言えないなかで、タイムを伸ばせなかった。サニブラウンが走った第1組では、アカニ・シンビネ(南アフリカ)と、トレイボン・ブロメル(アメリカ)が9秒97の同タイムで1位と2位。サニブラウンもスタートはよかったが、40mすぎからの加速区間で少し硬さが出てしまい、10秒05の3位と着順での進出を逃した。それでも、初出場だった2017年世界選手権の200mでいきなり決勝進出を果たした時のように、運の強さに救われた。

 第2組は、予選トップのカーリーを筆頭に9秒97のザーネル・ヒューズ(イギリス)に加え、前大会優勝のクリスチャン・コールマン(アメリカ)や3位のアンドレ・ドグラス(カナダ)などが揃う最強の組だったが、記録は意外にも伸びず、1位のカーリーが10秒02で、2位のコールマンは10秒05。最後の第3組も2位までは9秒9台前半だったが、3位は10秒06と、サニブラウンの記録が上回り、着順以外プラス1番手での決勝進出が決まった。

 初めて経験する100mの決勝の舞台。サニブラウンは準決勝より緊迫感がないと思ったという。

「準決勝はみんなが『ここを抜けよう』と思っているので緊迫していたけど、決勝は何かリラックスしている感じで。『自分の走りをしよう』という雰囲気が感じました。だから僕もけっこうリラックスしていたと思います。でも横一線で何が起こるかわからないから、とりあえずは『やってやろう』という気分でウォームアップもしたし、トラックに入ってからもしっかり集中力をきらさずに、コーチから言われたことをしっかりできるように、というのをインプットしてスターティングブロックに入りました」

 しかし、「スタートしてからは記憶が飛んでしまった」と言い、「最後の20~30mで横のふたりくらいが前に出ているのが見えたのを覚えているだけ」と苦笑する。スタートのリアクションタイムは0.147と予選や準決勝より0秒02以上遅れ。向かい風0.1mでカーリーの優勝タイムは9秒86で2位と3位は9秒88。隣のレーンのアーロン・ブラウン(カナダ)には競り勝ったが10秒06で7位という結果だった。

「ゴール後は悔しかったけど、『やりきった』という感じのほうが強かったですね。だけど、『ここからは決勝で戦わなければいけないんだな』とも思いました。こういう舞台で走りきるというのはやっぱり難しいけど、それをできたというのはものすごい収穫だと思います。ここで戦うには、(同日に)準決勝を1本走ったあとでも2本目をしっかり走れる強さが必要だと思う。こんなところで記憶が飛んでいたらダメだな、というのもありますが、ここでしっかりファイナルを経験できたことで、来年の世界選手権へ向けていいスタートがきれたと思います」

もうひとつ上の舞台へ

 予選からタイムを落とした理由は、予選ほどいいスタートがきれなかったのが一番だと振り返る。そしてこうも分析した。

「いつも練習では、60mからしっかり反発を使って跳ねる感じで走るのをよく120mなどでやっているんです。それをしっかりやっているのが2位になったマービン・ブレイシーや3位のブロメルなので。60mからもスーッと抜けていくので、そういうところを練習どおりか、それ以上できる者が、やっぱり勝つのかなと身に染みて感じました」

 決勝に残ったことで、自分がここまで選んだ道は良かったのだと確認できた。海外の大学に行き、プロになってという道が、本当に正解だったと証明できた。

「100mのメダルは、『近いようで遠いかな』というのが一番のイメージですね。すぐに手が届きそうだけど、その何センチかを縮めるにはすごい練習が必要だし、メンタルやコンディションの調整も必要。その1ミリを縮めるために選手たちはみんな毎日練習に励んでいるので、自分もしっかり1日1日を、本当に1秒1秒を無駄にせずがんばっていきたいです」

 日本陸連の土江寛裕・短距離ディレクターは、「本来ならそこまでの実力は十分備わっている選手なのに、なかなかそこに到達できなかったから、本人もホッとしていると思う」と話す。

2019年世界選手権の100mでは、準決勝でスタート合図の音が聞きづらかったために敗退したが、それがなかったら決勝進出は十分果たせる勢いがあった。そこから3年越しで果たした決勝進出は、昨年の困難を乗り越え、やっと本来の立ち位置に戻ったといえる結果。ここからがサニブラウンにとって、本当の戦いの場になるのだろう。