アメリカ・オレゴンでスタートした世界陸上選手権。初日の15日(現地時間)は、男子20km競歩が日本勢として幸先よくワンツーフィニッシュを決めた。 東京五輪で金メダルを獲得したマッシモ・スタノ(イタリア)や、今季世界トップタイムを持つワシリ…

 アメリカ・オレゴンでスタートした世界陸上選手権。初日の15日(現地時間)は、男子20km競歩が日本勢として幸先よくワンツーフィニッシュを決めた。

 東京五輪で金メダルを獲得したマッシモ・スタノ(イタリア)や、今季世界トップタイムを持つワシリー・ミジノフ(ロシア・19年世界選手権2位)がいなかったとはいえ、大会連覇を果たした山西利和(愛知製鋼)の勝ち方は、強さを証明するものだった。



ワンツーフィニッシュで世界に日本競歩の強さを示した

 気温28度のなか、山西はスタートから意表を突く、1時間18分台前半が見える1km3分55秒の飛び出しをした。

 レース後に山西はこの展開を「今回は、ある程度集団の人数を絞っていくというのがテーマだったので、それをちゃんとできたかなとは思うけど、いいレース運びだったかと言われれば、なんとも言えない」と苦笑した。だが、自分のなかでは計算した上での歩きだった。

「比較的に湿度が低かった(スタート時38%)のと、2時間前にスタートした女子のレースがけっこう速かった(優勝は今季世界リスト2位の記録)と聞いていたので、『それなりのペースでいっても大丈夫だな』というのと、体感的にも『意外と歩けるから、前半から思いきって行っても大丈夫かな』というのがありました。

 3分55秒で行くという明確な意図はなかったですが、『スローペースで入ってチンタラ10kmまで』というのは嫌だったので、まずは『このペースにみんな乗って』という意思表示で、レース全体の流れを自分で決定させるというのがひとつありました」

 少し動きが噛み合わない感覚もあったため調整しながら歩き、3km過ぎに大集団になると、そのなかで自分のフォームや余裕度を確認する時間を取ったという。

 昨年の東京五輪は大集団の展開のなかで周囲を意識しすぎた結果、無駄な動きをしてしまい、3位という結果になった。「同じような光景に五輪のことが少しフラッシュバックした」と笑うが、今回はその時のように周囲を見るのは止めて、耳や感覚で感じるだけにした。

「10kmから段階的にペースを上げようと考えていたが、そこはある程度決めていたことをきちっとやれたかなと思います」

 こう話すように、10kmを過ぎてからは、それまでの4分03秒を一気に3分51秒まで上げて集団を10人以下に絞ると、6人になった13km過ぎには再び仕掛けた。今年3月の世界競歩チーム選手権では山西と池田向希(旭化成)に次ぐ3位になっていたサムエル・キレリ・ガシンバ(ケニア)や、19年世界選手権4位のペルセウス・カールストレーム(スウェーデン)に揺さぶりをかけて17kmからはペースを3分50秒までさらに上げて、18km手前から東京五輪2位の池田とのマッチレースに持ち込んだ。

 そして、そのハイペースの競り合いのなかでも、山西は状況を冷静に分析していた。

「うしろの状態を見たら、ガシンバとカールストレームがけっこう止まっていたので『これなら追いつかれないな』と安心し、『じゃあこのふたりでどう戦うか』というところでした。池田くんも集団のなかでけっこう力を溜めていたと思ったので、自分の余裕度やフォームの余裕度を確認しながら、最後は思いきっていこうと考えました」

 池田もまた、しっかり勝機を伺っていた。

「レース序盤から山西さんがああいう展開をするとわかっていたので、それに合わせるのではなく自分のスタイルを貫き、ジワリと追いついてトータルで勝てばいいと判断していました。酒井瑞穂コーチと『10秒以上は離されたくない』と話していたので、それを念頭に置きつつ、周りを利用しながら平常心で行こうというプランでした」

 フォームの自信もあり、東京五輪より状態もよく臨めたという池田は、計算どおりに山西に食らいついた。そして18km手前から前に出たのも、勝機があると考えたからだった。

「山西さんがラスト3kmから一気にペースを上げたのにも対応でき、そこでペースが落ち着いたので『ここはチャンスかな』と思って前に出ました。でもそこで、少しでも離すための瞬発的なスピードを出せなかったので、中途半端になってしまいました。今回は途中、途中でペースアップをして、自分のやりたいレースをした山西さんには完敗だったかなと認めざるを得ない結果です」

 前に出て、最終周回に入った山西が、池田の数十m先の折り返しで仕掛けることはわかっていたが、対応できなかった。結果は山西が1時間19分07秒で優勝し、池田は7秒遅れの2位。そして3位には、ガシンバに競り勝ったカールストレームが入った。

 5位までが30秒以内という厳しい戦い。日本陸連の今村文男・競歩シニアディレクターは「今回と同じように、今の世界の20kmは、毎回僅差の戦いになっている厳しさがある」と話すが、そのなかで自分のレースをして勝ちきった山西の強さは格別と言えるだろう。

「今回は連覇というのもあったけど、その一方で東京五輪のリベンジという気持ちもあって、本当にいろんな感情を抱えてのレースでした。でも横綱相撲かといえば、まだ足りないものがあると感じています」

 こう話す山西は、「東京五輪が終わってからは、自分のなかで新しいフェーズに入ったというか、また違う自分のストーリーを歩み始めていると思うし、それを楽しめているのかなと思います」と話す。

 そんな山西を池田はしっかり追いかけ続ける。加えて、今回は初出場の住所大翔(ひろと/順天堂大)が8位入賞を果たしたことで、日本チームに新たな流れも見えた。

 今年2月の日本選手権で1時間20分14秒の自己新を出して2位に入ったものの、住所は当初、今回の代表に入れない立場だった。というのも、日本選手権優勝の高橋英輝(富士通)と3月の全日本能美大会優勝の松永大介(富士通)が代表内定を決め、4月の輪島の選考レースでは、池田が派遣標準記録を突破して内定を決めて出場枠は埋まってしまったのだ。

 だがその後、35kmでも内定条件を突破した松永が20km代表を辞退したため、住所の出場が決まった。そのチャンスを「今回はプレッシャーを感じることなく、先頭集団にできるだけついていくことを考えていた」という積極的なレースをし、自己記録に25秒差という合格点のレースをした。

 今村シニアディレクターも「チームとしても今回、住所選手が8位になった意味は大きい」と話すが、山西も「ここ数年は池田選手から下の世代がなかなか伸びてきていなかったのですが、その世代でも『このくらいで歩ければ、世界で結果を出せる』ということがわかり、新たな指標になったと思う」と、高く評価する。

 山西や池田が目指すのはパリ五輪での連続メダル獲得だが、ふたりはこの世界選手権を、その第一歩として、確かなものにした。さらに住所の健闘は、開催が決定した25年世界陸上東京大会開催も見据える、チームの課題でもあった"パリ五輪以降"へ光が見えてくる結果にもなった。まだ男女の35kmが残っているが、女子20kmの藤井奈々子(エディオン・23歳)の6位とともに、確実な収穫を得た。