福島千里にまつわるインタビュー・後編(コーチ編)前編:「福島千里が明かした涙の理由」はこちら>>現役を引退して順天堂大大学院で学ぶとともに、陸上部のアシスタントコーチを務めている福島千里。後編は、引退直前に彼女を指導し、大学院でも研究室で指…

福島千里にまつわるインタビュー・後編(コーチ編)
前編:「福島千里が明かした涙の理由」はこちら>>

現役を引退して順天堂大大学院で学ぶとともに、陸上部のアシスタントコーチを務めている福島千里。後編は、引退直前に彼女を指導し、大学院でも研究室で指導する山崎一彦コーチに、今後の福島への期待を聞いた。

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現在は順天堂大学大学院生の福島千里

 福島さんと話をするようになった最初のきっかけは、2018年8月のアジア大会200mを、アキレス腱痛で棄権した時でした。代表チームのコーチという立場から、『慢性的なものになっているから、競技を続けるなら無理をしないで休んだほうがいい』『それでももう遅いかもしれない』と話しました。そのあとに連絡がきて、NTC(ナショナルトレーニングセンター)で話をして動きづくりなどを少しやって。それで19年の冬くらいから、週に2~3回順大に来るようになって継続的に見るようになり、20年の秋から拠点を順大にしました。

 彼女は当然、完全復帰を目指していたと思いますが、心も体もうまくいっていなくてズタズタになっていたので、最初はその話し相手という感じで。僕もアキレス腱部分断絶になった経験はあるし、自分がやろうと思っていた道がすべて外されてしまっているという気持ちも少しはわかるかもしれないと感じて......。世界を目指してやっていたからこそ絶望感も強かったでしょうが、それを誰にも言えないし、言わないし、という部分はいろいろあったと思います。アスリートというのは総合的なもので、トレーニングだけという問題ではない。うまくいっている時は『ここだけ見てもらう』と言うというのも必要だが、やはり総合的に見ないといけない。練習や技術的なものはあるが、なくなったのは自信。何をしたらいいかとか、どこで止めたらいいのか、もっとやったほうがいいのか、というのがわからなくなったと思います。僕がまずやったのは、そこの向き合い方をいろいろ話しただけだと思います」

 東京五輪出場を目指して試合に出ながらも、12秒台からなかなか抜け出せていなかった20年の夏、試合での走りを見ていた山崎コーチは「まだ怖がっている感じで、思いきって突っ込めないスタートになっている」と話していた。

「彼女の場合、本当はバネがあるタイプでそのバネを潰してピッチを出すことができていたんです。でも僕のところに来た時はもう、アキレス腱が変形していて『これではバネも出ないな』という感じで難しかったですね。彼女の場合は責任感が強いので、痛いのを相当我慢してやっていたのだと思います。やっぱり『止めなさい』というコーチが必要だったんでしょう。変形したアキレス腱は元に戻らないので、『怖い』という気持ちを取って、コントロールしながらトレーニングをするという形でした」

 山崎コーチも同じようにアキレス腱を痛めた経験があった。海外でレースをすると、世界のトップ選手との筋力差を目の当たりにし、『やっぱり身体が足りない。筋力をつけなければ』と誰でも思ってしまうという。「筋肉がドンドン増えることで、筋肉の反射角度が変わってきている気がして動きも変わってくる。それで今度はアキレス腱をカバーする筋肉を増やすと、ぜんぜん走れなくなってしまう。『アーッ、同じことをやってるな』と思い、『ちょっと違うんじゃない』と話をした」と振り返る。



福島千里について語る山崎一彦コーチ

「練習に対しては真剣だから、ちょっとやりすぎたのだと思います。納得するまでやる集中力はこれまで見たことがないほどだったし、女子ではあそこまで集中できる選手はいないと思います。ただ、バネがないので、反発をもらえない柔らかい走路を走っているような感じで。それでも11秒5~6まではいけると思っていたけど、僕の力不足でそこまでは戻せませんでした。本人は最後、涙ながらに『後悔もいっぱいある』と話していたけど、昔のことや今のことも含めて止めたくなかったのだと思うし、それと同時に、一流選手としての引き際というものを考え続けていたのではないかと思います」

 20年10月の日本選手権出場を逃した福島は、21年4月から順大大学院スポーツ健康科学研究科博士前期課程に進学した。その経緯をこう話す。

「ずっと悶々として競技のことばかり考えていたので、『考えるにしても、もう少し理論的に考えたり、整理したりしたほうがいいのではないか』とアドバイスしました。彼女がやってきたことは決して間違っていないが、今はケガをしてしまって歯車がすべて狂っているので、それを整理してみればいいという感じで。それに彼女の場合は人づき合いに積極的というタイプではないから、大学院に行く時間でいろんな人と話をする機会が増えるのはいいだろうと。僕としては強く勧めたわけではないけど、ちょうどコロナ禍で部外者が来ることも難しかったと思うので、それもあって彼女は進学を決めたのだと思います」

 21年4月からのアシスタントコーチ就任も、山崎コーチと将来のことを話しているなかでそうなったという。

「彼女の場合は名前も実績もあるから、いろいろな活動ができると思います。それでどうするかと聞くと、地味に毎日コツコツやるほうがいいと言うので、『それならコーチが一番地味だよ』と話して(笑)。トップ選手は他人にはまったく興味がなくて、人の走りは全然見てないことが多いので『どうなるかな』と思って見ていたけど、コーチをやるとなったら、もう自分のことにまったく興味がなくなって人のことばかり話すのですごいなと思いました。やっぱり一流選手だったからこそ変換できるというか、朝から晩までグランドに出ていて。それが勉強だと思っているし、いろんな気づきもすべてメモをとっています。

 まだ謙虚で自分のやったことがない種目に関しては『いや、ちょっと』と言うけど、選手を見る目はメチャクチャありますね。どこが悪い、どこがいいというのに気がついても『こうしたほうがいいんじゃないですか?』という彼女独特の言い方をするけど、この2年間一緒にやってきた練習についても『この前はこう言っていたけど、今はこうですね。何が違うんですか』と言ってくるくらいに全部おぼえているので、陸上脳はすごいですね。まだそれをアウトプットするのが苦手だし、本人も言葉にすることに慎重になっているけど、きちんとアウトプットして伝えることができるようになれば、かなりすごいと思います」



陸上部のアシスタントコーチとして学生を指導する福島(左)

 山崎コーチは、もう「男子だから」「女子だから」といっている時代ではなく、アスリートという枠組みでジェンダーレスにしたほうがいいと考えている。そのなかでも福島の場合は、五輪出場や世界選手権で準決勝まで行けたという、日本人では数少ない実績も持っているだけにそれを大事にしたいという。

「自分で考えてやるという面では男女差はないと思うが、現実的に『彼女が言ったほうがいいかな』という状況もあるし、指導者としては女性であるという強みや可能性もあると思います。今までのナショナルチームの女性指導者には、世界で戦った経験のある人がいなかったけど、彼女の場合はそれを持っているので、インターナショナルになればすごく力を発揮できるとも思うし。

 今はボランティアでアシスタントコーチをしてコーチ学を学んでいるけど、大学院の研究として本当の社会貢献となるのは、自分のやってきたことをまとめることかなと思います。日本でも今まで短距離で強い選手はいたけど、何年も何年もトップでやってきた女子スプリンターは今までひとりもいない。それこそ100年にひとりというか、日本陸上史が始まって以来の存在。客観的なデータを出しながら、ウソ偽りのないバイアスがかかっていない形で自分のやってきたことをまとめていくことが必要かなと思うし、それができる人だと思います」

Profile
福島千里(ふくしま・ちさと)
1988年6月27日生まれ。北海道出身。女子100m(11秒21)、200m(22秒88)、4×100mリレー(43秒39)の日本記録保持者。オリンピックに3度出場(2008年北京大会、12年ロンドン大会、16年リオ大会)。日本選手権の100mで10年から16年で7連覇を成し遂げ、11年の世界陸上では日本女子史上初となる準決勝進出を果たした。22年1月に現役生活を引退。現在は順天堂大学大学院でコーチングを学んでいる。
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山崎一彦(やまざき・かずひこ)
1971年5月10日生まれ。埼玉県出身。順天堂大学スポーツ健康科学部教授、陸上競技部副部長、短距離ハードルコーチ。日本陸上競技連盟強化委員長。男子400mハードルの第一人者で元日本記録保持者。オリンピックに3度出場(92年バルセロナ大会、96年アトランタ大会、2000年シドニー大会)。95年の世界選手権で日本人初の7位入賞を果たす。
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