朝からそぼ降る雨がコートを濡らし、ふだんは鮮やかなオレンジ色の赤土が鈍い茶色味を帯びていた。 見た目にも重いクレーコートは、物理的にもテニスボールを重くする。ただ、その重いコンディションは、大坂なおみにとっては有利な状況だったかもしれない…

 朝からそぼ降る雨がコートを濡らし、ふだんは鮮やかなオレンジ色の赤土が鈍い茶色味を帯びていた。

 見た目にも重いクレーコートは、物理的にもテニスボールを重くする。ただ、その重いコンディションは、大坂なおみにとっては有利な状況だったかもしれない。

「重いボールが打てる分、クレーでの対戦のほうが私はやりやすいと思う」

 アマンダ・アニシモバ(アメリカ)との試合を控え、大坂は希望的観測を込めてそう語っていた。


大坂なおみは全仏初戦敗退も

「楽しめた」と振り返る

 望んだ準備ができぬまま全仏オープンを迎えた大坂にとって、曇天と小雨のなかスタンドに詰めかけた多くのファンは、確実に明るい材料だっただろう。

 約2週間前にアキレス腱を痛めたため、全仏前にクレーコートで積んだ実戦はわずかに2試合。しかも初戦の相手は、直近の対戦である全豪オープン3回戦で死闘の末に敗れた相手だ。

 加えて全仏オープンは昨年、大坂が"会見拒否"と"うつ告白"により、2回戦を戦わずして去った大会。

「正直に言うと、ファンがどんな反応をするのか恐れている」

 大会前には、抱える不安を打ち明けていた。

 大坂対アニシモバ戦の舞台には、会場2番目の規模を誇る「コート・スザンヌ・ランラン」が用意される。種々の不安と自身への期待が交錯するなか、大坂のサービスで試合の幕が切られた。

 その第1ゲームをいきなりダブルフォルトで落としたのは、緊張と試合勘の欠如ゆえ。特にサーブは「アキレス腱の影響がもっとも大きく、最後まで練習できなかったショット」。全豪オープン時にアニシモバのリターンに苦しめられた生々しい記憶も、サーブで重圧を覚えた要因だった。

 ただ、この苦しい立ち上がりが、判官贔屓を好むフランス人の気風を刺激したかもしれない。

 試合が進むにつれて、大坂に向けられる声援はボリュームと数を増していく。あとに大坂も「観客には本当に感謝している。エネルギーをもらったし、負けたけれど楽しめた」と振り返った。

シードがいかに重要か実感

 サーブの安定感に欠きながらもストロークで対抗し、第1セットの終盤に追いつけたのは、小雨による重いコンディションの恩恵かもしれない。実際にアニシモバも、「私にとっては不利な天候だった」と認めている。

 ただ、3年前の同大会ベスト4進出者は「ナオミが重いボールで攻めてくるのは予想できていた。それでも私はフラットショットで攻め続けた。それこそが自分の持ち味だから」と明言する。「実戦不足で大切な場面で大きな判断ミスをした」と嘆く大坂とは、対照的な姿だった。

 最終スコアは、5−7、4−6。結果だけ見れば、2019年のウインブルドン以来のグランドスラム初戦敗退となった。

 それでも大坂は、2カ月前のマイアミで口にした「来年には世界1位に返り咲く」という目標を、「野心的」としながらも否定はしなかった。

「しっかり練習して、今年が終わる頃には、目標に近づいていたい」

 そうとも彼女は続けている。

 その目標達成のために、最初に到達すべきマイルストーンが"シード"のつく順位だ。シードがつくのは、グランドスラムなら上位32名。そこに入っていれば、初戦からトッププレーヤーと当たることは避けられる。

 現在の大坂のランキングは38位。その地位をまずは30位以内に上げることが、当面の目標になるだろう。そのために必要なポイント数は160ほどが目安。グランドスラムなら、4回戦進出でクリアできる数字だ。

 今年1月の全豪オープンで敗れた時、大坂はランキングが80位台まで落ちることを知ったうえで、「ランキングは気にしていない。気にするのはむしろ、私と大会の早い段階で対戦することになる、ほかの選手たち」だと言った。

 その彼女が、今大会が始まる数日前には「初戦でイガと対戦することになる夢を見た」と苦笑いする。「イガ」とは現世界ランキング1位のイガ・シフィオンテク(ポーランド)。大坂本人も「シードがないと最悪の初戦もあり得る。シードがいかに重要か実感した」と認めるように、ノーシードとして4大会戦うなかでランキングへの考え方も変わってきたようだ。

大坂はウインブルドン欠場?

 ランキング上昇への見通しという意味では、幸いにも、と言うべきか、昨年後半にほとんど試合に出ていないことが今の大坂には味方する。ランキングは基本的に、過去1年間に獲得したポイントの累計で決まるからだ。

 出場大会ごとに獲得したポイントは、1年経つと消失する。つまりは、前年でいい結果を残した大会で早期敗退すればランキングは下がり、前年を上回れば上がる可能性が高いことになる。

 昨年の7月以降、2大会しか出場していない大坂には、失うポイントがさほどない。今年はウインブルドンがロシアのウクライナ侵攻の余波でポイントがつかないことになった。それを受けて大坂は、ウインブルドン欠場の意向を示唆している。そのあたりの決断にも、現時点での優先順位がうかがえた。

 もちろん、ランキングを上げていくには、本人も今季のひとつの目標に掲げる「多くの大会で安定した成績を残すこと」が不可欠だ。今季の大坂は6大会に出場し、準優勝一度、ベスト4が一度あるが、3回戦以前に敗れたのも3度。出場大会数そのものも、ほかの選手に比べれば少ないほうだ。

 それでも昨年、精神的な綻びの始まりとなったこの大会で最後まで戦い抜いたことは、本人も大きな前進と感じているだろう。

 敗戦となった試合を終え、彼女は笑顔でこう語った。

「今はとても幸せな気分。昨年、どんな気持ちでフランスをあとにしたか、よく覚えている。それに比べたら、今年は多くのファンの前でプレーし、去年と全然違う感情でいられるのだから」

 その幸福感を推進力に、再び目指す世界1位の座。そこは一度至った高みだが、たどる順路や目にする景色は、以前と大きく異なってくるはずだ。