「冗談でしょ?」 コーチのウィム・フィセッテから初戦の相手を聞かされた時、大坂なおみはとっさにそう返していたという。 アマンダ・アニシモバ(アメリカ)。それが、大坂が全仏オープン初戦で当たる相手。4カ月前の全豪オープン3回戦で、大熱戦の末に…

「冗談でしょ?」

 コーチのウィム・フィセッテから初戦の相手を聞かされた時、大坂なおみはとっさにそう返していたという。

 アマンダ・アニシモバ(アメリカ)。それが、大坂が全仏オープン初戦で当たる相手。4カ月前の全豪オープン3回戦で、大熱戦の末に大坂を破った20歳の選手だ。



全仏のコートで笑顔を見せる大坂なおみ

 今季2大会目のグランドスラムである全仏オープンの開幕を2日後に控えた5月20日。会見場に現れた大坂は、少々緊張しているように見えた。

 1年前----。精神的な負担を理由に、大坂は全仏オープンでの一切の会見拒否を表明。その帰結として「グランドスラムからの締め出しの可能性」まで示唆されたため、「うつ状態」を告白して自ら身を引いた苦い思い出が染み込む地。

「自分が何かしらの形で不快な思いをさせた人が、ここにはいる。それらの人たちと遭遇することを恐れた。会見でも、そのことを聞かれてしまうだろうと不安だった」

 胸に去来した"嫌な予感"を、彼女は隠しはしなかった。

 もうひとつ、彼女の表情が硬い理由は、足首のケガにあるだろう。4月末に出場したマドリード・オープンで、大坂は左足のアキレス腱を負傷。同大会の2回戦で敗れ、翌週のイタリア国際(ローマ)は欠場した。

 今季の大坂は全仏への思いが強く、早めに欧州入りしてクレー(赤土)コートで練習も積んできた。それだけに本人も、結果的にクレーで2試合しかできなかったことを「皮肉なものだ」とこぼす。それでも彼女は、「全仏を欠場することは一切、考えていなかった」とも断言した。

「ひどいケガを抱えながらも、この大会に出たいと熱望している選手はきっとたくさんいる。子どもの頃、テレビでグランドスラムを見ることを本当に楽しみにしていた。その大会に出られるのは、光栄なこと」

 口にする言葉には、意地の色がにじんでいた。

 ケガの影響もあるのだろう、開幕日が近づいても、会場で練習する大坂の姿を目にする機会は少ない。本人も痛みがあることは認めていた。

大坂なおみが有利と語る理由

 ただ、「グランドスラムでは、ケガを抱えながらいいプレーができたことも多い」と述懐する。「失うものがないと思えることが、いいのかな」というのが、大坂の自己分析だ。

 それらの状況も踏まえたうえで、大坂は、初戦で当たるアニシモバを「嫌な相手ではない」と言った。

 現在20歳のアニシモバがテニス界にその名を広く知らしめたのは、3年前の全仏オープン。17歳にしてベスト4に躍進した時だった。

 キャリアのハイライトは赤土の上に輝くが、プレースタイルそのものはハードコート向きの選手だろう。ベースラインから下がらず、低い軌道の強打を広角に打ち分けるのが持ち味。先の全豪での大坂との一戦は、直線的なショットがネットすれすれを行き交い、驚異のハイペースな打ち合いとなった。

 その全豪での試合後に、大坂はアニシモバの打つボールの感想を次のように語っている。

「すごく強かったり、重いというのも違うけれど......ものすごく早く返ってくるので、備える時間がなかった」

 力でねじ伏せようと強打すればするほど、鋭いカウンターでウイナーを奪われる。その技量に、大坂が拍手を送る場面も見られたほどだ。

 この全豪での敗戦後の会見で印象に残っているのは、大坂の清々しいまでの表情だった。

「今日の試合から多くを学んだ。今はとてもポジティブな気分」

「彼女みたいに、自分を成長させてくれる選手と対戦できたのはうれしいこと。彼女のようなリターンを打てるようになりたいと思ったもの」

 口にするコメントにも、明るく前向きな言葉が並んだ。持てる力を出し切ったうえで、何が敗因かはわかっている----そんな自信があるからこその、相手への賛辞にも響いた。

 そのアニシモバとの全仏での再戦を踏まえ、大坂は「クレーでの対戦のほうが、私には有利かも」と言った。

「私のほうが重いボールで攻められると思うから」

 そこまで言って大坂は、「なんでこれをしゃべっちゃったのかしら、私の作戦なのに」と笑った。

逆境でこそ力を発揮するタイプ

 大坂の言う「作戦」とは、スピンをかけた高く弾むボールを打つ、ということだろう。先の対戦で痛感したように、アニシモバの持ち味は相手の球威を生かしたカウンターだ。

 そのアニシモバの武器を高い軌道の重いボールで封じるのが、大坂の基本戦術。クレーで有効なスピンショットの体得は、大坂がこの数年間、重点的に取り組んできた課題でもある。その成果を試す好機の訪れを、彼女は歓迎しているかのようだった。

 初戦の相手を聞き、「冗談でしょ?」と大坂が返したのは、久々にノーシードとして挑むグランドスラムで、いつも以上にドローを気にかけていたことに起因するようだ。

「実は数日前、私は初戦でイガ(・シフィオンテク/ポーランド)と当たる夢を見たの」

 シフィオンテクは5大会連続優勝という驚異の連勝街道を歩き、パリへと凱旋した現在の女王。今の大坂がノーシードである以上、それは在りえたカード。様々な"よくないシナリオ"が考えられたなかで、アニシモバは「対戦は嫌ではない」相手だった。

「私は敗戦から多くを学び、勝利へのモチベーションをかき立てられるタイプだから」というのが、その理由だ。

 1年前の会見拒否発言と、それに伴う棄権。直前に負った足首のケガと、前哨戦の欠場。そして、直近の顔合わせで敗れた選手と、初戦での対戦......。

 今の大坂が置かれた状況を書き並べれば、ややネガティブな言葉が並ぶ。ただ、本人も言うとおり、過去にも彼女は、逆境でこそ力を発揮してきた。

 フタを開けてみなければ、何が飛び出すかわからない----。そんな「大坂劇場」が観衆の注視のなかで幕を開ける。