ロコ・ソラーレ連続インタビュー第4回:石崎琴美第39回 全農 日本カーリング選手権(アドヴィックス常呂カーリングホール)が5月22日から始まる。その注目の大会を前にして、北京五輪で銀メダルを獲得したロコ・ソラーレの面々に話を聞いた――。冬季…

ロコ・ソラーレ連続インタビュー
第4回:石崎琴美

第39回 全農 日本カーリング選手権(アドヴィックス常呂カーリングホール)が5月22日から始まる。その注目の大会を前にして、北京五輪で銀メダルを獲得したロコ・ソラーレの面々に話を聞いた――。



冬季五輪の日本人最年長メダリストとなった石崎琴美

――2010年バンクーバー五輪以来、12年ぶりのオリンピックはいかがでしたか。

「う~ん、"オリンピック感"というのは、いい意味であまり感じなかったですね」

――それは、どうしてですか。

「選手としては12年ぶりですけど、4年前の平昌五輪の時にメディアとして現地に入っているので、選手村や会場での細かい動きとか、試合後の流れとかっていうディティールは、そこでロコ(・ソラーレ)と一緒に共有できていたんです。その経験が意外と役立ってくれました」

――そうなると、「オリンピックに戻ってきたな」という感慨のようなものはなかったのでしょうか。

「そうですね。でも、ちょっと前の話になるんですけれど、カナダ遠征の出発前にJISS(国立スポーツ科学センター)へ行って、身体能力や健康状態などの検査、登録をしてきたんです。その際、最後に選手として行った時のデータが少し残っていたようで、担当者が当時と同じ方で、『石崎さん、戻ってきたんですね』と、ちな(吉田知那美)に声をかけてくれたらしいんですよ。それを聞いた時に『ああ、(選手として)戻ってきたんだぁ~』と実感しました」

――五輪初出場の2002年ソルトレークシティ大会、リードとしてアイスに立った2010年バンクーバー大会と比較して、競技のレベルなど何かしら違いはありましたか。

「カナダという(カーリング界の)トップをずっと走っていた大国が、女子は2大会連続でクオリファイ(プレーオフ進出)さえ果たせず、男子も2大会連続でファイナルに残ることができなかった、というのは大きな変化だと思います。全体的にレベルが上がっていて、戦術も進化していますね」

――石崎選手は今回、フィフスとしてチームをサポートする立場にありましたが、試合前後のアイスやストーンチェックなどの氷上以外では、具体的にはどのような役割を果たしていたのでしょうか。

「実は、私のやることは多くはなかったです。食事もほとんど味の素さんが提供してくれた『JOC G-Road Station』という食堂で済ませていました。そこで、お米をいただけるのが本当にありがたくて、かなりお世話になりました」

――「もぐもぐタイム」として話題となっていた補食の手配はいかがでしたか。

「その準備も大変だった、ということはなかったですね。さっちゃん(藤澤五月)、ゆり(吉田夕梨花)、ゆうみ(鈴木夕湖)は、(味の素の)アミノバイタルのゼリーがいいと言っていました。ちなは『梅干しがいいかも~』と言っていたので、亮二さん(小野寺コーチ)が日本から持ってきてくれたものと、『G-Road』には個包装になった梅干しがありましたから、それを用意するだけでした。

 あとは、スピードスケートの選手たちから差し入れてもらったどら焼きを持っていったりして。コロナ禍にあって、選手村の外に出て買い物に行ったり、それを誰かに頼んだりということはできなかったのですが、選手村内でなんとかなりました」

――石崎選手同様、小野寺コーチもチームを陰で支え、選手たちに精神的な安定をもたらす存在だったように思います。

「そうですね。本人も現地で『オレ、今回は大丈夫だわ』と言っていました」

――「今回は」というと。

「昨年末の世界最終予選(オランダ・レーワルデン)では、(小野寺コーチの)緊張がひどかったんです。試合の勝負どころで亮二さんを見ると、時々『ん? なんかお祈り捧げています?』的な状態になっていて、なかなかの緊張っぷりでしたね(笑)。あれだけ緊張している人がいると、こっちは緊張しなくて済みます」

――でも、北京五輪では堂々としておられたんですね。

「大会序盤は時々お祈りしていた気もしますけど、基本的には大丈夫でした(笑)」

――JDこと、ジェームス・ダグラス・リンドコーチはいかがでしたか。

「JDはいつもどおり、頼もしかったです。それでも、私の個人的な感想ですけど、いつもは冷静なJDが北京五輪では少し熱くなっていた場面もあったというか、勝利への強い意志を見せてくれた気がします」

――JDと小野寺コーチ、石崎選手は、コーチボックスではどんなコミュニケーションを交わしていたのでしょうか。

「選手のコンディションを共有したり、ショットの選択についての意見を交換したり、というのがほとんど。自分たちを『チーム・コーチベンチ』と呼んでいたんですけど、その3人の関係性がよくて楽しかったです」

――その「チーム・コーチベンチ」から、石崎選手が冬季五輪では日本の史上最年長メダリストとなりました。

「すごくうれしかったですし、チームには感謝しています。でも、メダルをかけてもらった3時間後には『どうして決勝ではいつもの試合ができなかったんだろう』『よりよいパフォーマンスを発揮できなかったのはなぜだろう』と、最後の試合で浮き彫りになった課題に頭のなかは切り替わっていた気がします」

――その決勝、やはり不本意な試合だったのでしょうか。

「準決勝のスイス代表戦では(選手たちが)いい意味で開き直っていて、『これはいけるだろうな』という確信みたいなものがあったんです。でも、決勝直前のミーティングの時は、みんなの表情が少し硬いかなと感じました」

――イギリス代表との決勝戦は、9時5分開始でした。当日のチームのタイムスケジュールを簡単に教えてくれますか。

「6時過ぎにはみんな、朝食を済ませていたのかな。7時15分に選手村出発のバスに乗って、7時半には会場に着いていました。それからウォーミングアップなどの準備をして、ミーティングに入ったのは8時半ぐらいですね。

 ミーティングでは、まず選手間で話をして、次にJDからアイスの状態やゲームのポイントについてのアドバイスがいくつか共有されます。そのあとに亮二さんが話をします。決勝では『1試合1試合やってきて、ついに11試合目、決勝まできました』みたいな感じでしたね。そして、私はいつも最後」

――石崎選手は基本的にどんな話をされるのですか。

「私のところにくるまでに、氷の状態や戦術については話が挙がっているので、何も言うことがない時もあるんです。そういう時や、何も言わないほうがいいだろうなと感じる時は『私からは特にないよ。頑張って』くらいなんですけど」

――決勝戦では選手たちの表情が少し硬く見えた、と。そこで、どんな話をされたのでしょうか。

「本人たちも(それを)意識しているのかどうか、という感じでしたけどね。だから、少しだけでも笑わせたいなと思って、『口角を上げていこう』と言いました。『みんな、笑っている顔がいいんだから』と。『でももう30歳。口角を上げていかないと(テレビに)ブサイクに映るから気をつけてね』と言って、送り出したのは覚えています」

――銀メダルを獲得したことについて、メンバーはそれぞれの思いを語ってくれましたが、石崎選手はどう感じていますか。

「私がこれまでに参加したオリンピックは、日本は常に挑戦する立場だったのに、2大会連続でメダルを獲るなんて、あの4人は本当に強いチームなんだなと思います」

――最後に、その強い4人と過ごす今季最後の大会、日本選手権に向けての抱負を聞かせてください。

「日本国内のレベルも高くなって、どこが勝つかは誰にもわからないのですが、みんな最後まで口角上げて頑張ってほしいですね。亮二さんがお祈りを捧げてないか、コーチボックスにも注目してみてください(笑)」

石崎琴美(いしざき・ことみ)
1979年1月4日生まれ。北海道旭川市生まれ、帯広市育ち。2002年ソルトレークシティ大会、2010年バンクーバー大会に続いて、3度目の五輪出場となった2022年北京大会で銀メダルを獲得。冬季では日本人として史上最年長の五輪メダリストとなった。このオフにしたいことは「行けるようになるならソウル旅行」。