ロコ・ソラーレ連続インタビュー第2回:鈴木夕湖第39回 全農 日本カーリング選手権(アドヴィックス常呂カーリングホール)が5月22日から始まる。その注目の大会を前にして、北京五輪で銀メダルを獲得したロコ・ソラーレの面々に話を聞いた――。北京…

ロコ・ソラーレ連続インタビュー
第2回:鈴木夕湖

第39回 全農 日本カーリング選手権(アドヴィックス常呂カーリングホール)が5月22日から始まる。その注目の大会を前にして、北京五輪で銀メダルを獲得したロコ・ソラーレの面々に話を聞いた――。



北京五輪でも堅実なプレーでチームのメダル獲得に貢献したセカンドの鈴木夕湖

――2度目の五輪はいかがでしたか。

「すごく楽しかったです。今まではオリンピックって『とんでもなくスペシャルな試合』というイメージだったんですけど、2回目の出場で『大きな大会のひとつ』という感覚に少し近づいたかもしれません」

――4年前の平昌五輪を終えた時、鈴木夕湖選手は大会中に選手村でハードにトレーニングをこなし、疲れが残ってしまったことを反省点に挙げていました。

「そうなんです。平昌五輪では大会の後半で疲れを感じたので、北京五輪ではその点を意識して、選手村ではめっちゃ休んでいました。むしろ、何もしていないくらい。オフの日にちょっとお散歩する程度でした」

――オリンピックにおける選手村での生活にも慣れたのでしょうか。

「う~ん、そもそも平昌五輪の時の記憶があまりないんですよね。緊張もあったんですかね。疲れもあったし、平昌五輪の時は選手村で何をしたとか、まったく覚えてないんです」

――選手村で写真を撮ったりしなかったのでしょうか。

「携帯を変えたりしたので、それも残ってないですね。もともと写真はあまり撮らないんですよ。別に主義とかがあるわけではなく、単純に撮ることを忘れちゃう」

――北京五輪でも写真を撮ることはなかったですか。

「平昌五輪の時よりは撮っています。ビンドゥンドゥン、(石崎)琴美ちゃんの美脚、(吉田)夕梨花のネイル、味の素さんが用意してくれた食堂(G-Road Station)のパンダのぬいぐるみとか(笑)。でも、それくらいです」

――大会を通して、リラックスして過ごすことはできたのでしょうか。

「それはできたと思います。やっぱりオリンピックって、注目度が高くて、メディアの数とかがすごく多いので、独特の疲れ方をしちゃうんですよね。それは前回感じたので、今回は本当に楽しもうと決めていました。

 毎日、さっちゃん(藤澤五月)がホワイトボードに本日の予定と、日本の選手が出場する競技と時間を書いてくれたので、意識的に他の競技も見て応援していましたね。空いた時間は、亮二さん(小野寺コーチ)とグッズショップに行ってビンドゥンドゥンの在庫チェックをしていました(笑)」

――鈴木選手は吉田夕選手とともに、ボーイズグループ『JO1』のファンと聞いていますが、一緒にその情報をチェックしたりもしていたのですか。

「オリンピック期間中はあまりしていなかったかもしれません。むしろ、帰国してから(ホテルでの)隔離期間があったので、その間に溜まっていた見たいライブ映像をまとめて鑑賞
していました」

――吉田夕選手にもうかがったのですが、"推しメン"はいますか。

「たくみくん(川西拓実)と木全(翔也)です。たくみくんの笑顔に癒されますし、木全はやることなすこと面白いです。ちなみに、『木全』って呼び捨てにしてしまうと失礼なんですけど、それが彼のキャラクターなので許してください。木全のメール(メール配信サービス『JO1 Mail』)にはいつも元気をもらっています」

――ところで、今回の北京五輪では鈴木選手にとって、厳しい期間もあったのではないでしょうか。特に序盤はアイスに苦しんでいる印象を受けました。

「自分としても、イメージどおりに体は動いているのに(ショットが)決まらなくて。さっちゃんもJD(ジェームス・ダグラス・リンドコーチ)も、『投げは悪くないよ』とずっと言ってくれたんですけど、ランバック(ガードストーンを撃って、ハウスの中を狙っていく高難度のショット)とか、本当に1㎝の誤差だったりして、すべて(のショット)があとちょっと(で決まらない)という感じはつらかったですね」

――予選リーグ4戦目のROC(ロシアオリンピック委員会)戦では勝ちゲームながらも、鈴木選手は涙をこぼすシーンもありました。

「勝ち負けよりも、できないことが悔しすぎて、泣いちゃうんですよね。自分が情けなさすぎて」

――その後はどうやって立て直しを図ったのでしょうか、

「佳歩(小野寺/フォルティウス)がSNSで応援してくれているコメントを人から聞いて、元気づけられました。あとは、お兄ちゃんが『思ったより貢献しているから大丈夫だよ』って、LINEをくれて。あんまりLINEとかしてくる人じゃないんですけど、滅多に泣かない私が泣いている姿を見て、マジで心配したんでしょうね。あれは、結構うれしかったです」

――小野寺選手とは帰国してからお会いになりましたか。

「すぐに会いに行きました。なぜか『桃鉄(桃太郎電鉄)』をやろうと約束していたので、それを実現しました。ボンビラス星に連れていかれて、大変なことになりましたけど(笑)」

――さて、日本カーリング史上初の五輪ファイナルについても聞かせてください。イギリス代表を相手に前半からビハインドを負うゲームになってしまいました。

「去年のカナダ遠征の頃から、多くの試合で前半から結構ダウン(スコアで負けている)になっちゃうことが多くて。後半に巻き返してクロス(ゲーム)まで持っていくんですけど、結局1ダウン(1点ビハインド)で逃げきられちゃったりして。4ダウンあったところを1ダウンまで迫りながら、最終的に足りない。そういうゲームがかなりあったんです。

 北京五輪の決勝もハーフまでに2ダウンなら大丈夫、と話していたんですけど。第5エンドにスチールされて、3ダウンになってしまったのが痛かったですね。もう一度やり直すことができるなら、試合の入り、からですね。あとはやっぱり、チームとして決勝の経験が少ない、というのはみんなでも話しました」

――ファイナル特有の試合の入り、みたいなものが存在するのでしょうか。

「決勝の試合前練習で、イギリス代表はず~っとボトム(ハウスの中心)だけに(ドローを)投げ続けていたんです。私は決勝の前半でトップウエイトのテイクを投げたんですけど、使っていないラインに投げるとトップでも曲がってしまったりして、アイスの読みがうまくいっていなかったですね」

――つまり、イギリス代表が試合前練習でテイクを投げなかった分、アイスの情報が足りなかった、ということでしょうか。

「そうですね。試合前練習では、どのチームもだいたいテイクで慣らしてドローを投げるんです。それで、うちらは基本的にはドローしか投げないんですけど、相手チームのおかげもあって、アイスに馴染んでから試合に臨めるケースが多かった。でも、決勝戦はそうはならなかった。

 テイクを誰も投げていない分、霜が残っているパスもあって、そこに入ると曲がってしまったりして。私たちも準備はしていたのですが、あれはどうすればよかったんだろう......。そこは、今後の課題です」

――やはりファイナル慣れ、メダルゲームの経験というのも、大切になってくるのでしょうね。

「イギリス代表はスウェーデン相手の準決勝で、第1エンドにセンター戦で4点を取られているんですよね。私も試合中にチラッと見ただけなので確かではありませんが、その時に(イギリス代表は)ボトムの感覚、幅とウエイトがつかめていなくて、決勝ではそれだけに集中してきたのかな、と思いました。そういったことも含めて、自分たちは経験が足りていなかったと思います」

――改めて振り返ると、やはり悔しい思いが募りますか。

「う~ん......、負けた日は本当に悔しかったです。でも、しばらくして冷静になると、2位になれたっていうことや、負けてしまったけれど、周囲から祝福を受けて銀メダルを持って帰ってこられたのは、よかったなという気持ちもあります」

――凱旋試合でもある日本選手権がまもなく開幕します。どこが勝ってもおかしくないというか、特に女子の戦いは毎年「過去最高レベル」を更新し続けているように思いますが、いかがでしょうか。

「本当にそうです。今年は3チーム(ロコ・ソラーレ、フォルティウス、富士急)が(世界カーリングツアーの)グランドスラムに出場して、中部電力さんは世界選手権で戦ってきました。みんな、本当に強いです。私たちがオリンピックで頑張れたのも、強い女子のみんなで高め合ってきたおかげと思っているので、そういう試合がたくさんできればいいなと思っています」

鈴木夕湖(すずき・ゆうみ)
1991年12月2日生まれ。北海道北見市常呂町出身。身長145cm。冷静かつ、力強いスイープや巧なウエイトジャッジでチームを支えるセカンド。このオフに挑戦したいことは「スケートボード」。