大塚達宣選手インタビュー 前編 バレーボール「V.LEAGUE DIVISION1MEN」の2021-22シーズン後半、V1男子初の現役大学生Vリーガーとしてパナソニックパンサーズに参戦した大塚達宣。今年1月のFC東京戦からプレーし、8勝6…

大塚達宣選手インタビュー 前編

 バレーボール「V.LEAGUE DIVISION1MEN」の2021-22シーズン後半、V1男子初の現役大学生Vリーガーとしてパナソニックパンサーズに参戦した大塚達宣。今年1月のFC東京戦からプレーし、8勝6敗と苦しんでいたチームをファイナル3進出まで牽引した。

 2021-22シーズンの最優秀新人賞を受賞した大塚に、Vリーグでプレーすることになった経緯と、自身のプレーやリーグを3位で終えての手応えなどを聞いた。



サントリーの山村宏太監督(左)に挨拶する、ともに大学生のラリーと大塚

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――なぜ、現役大学生としてVリーグに参加することになったのでしょうか。

「大学では冬の期間に試合がなくて基礎練習しかできなくなってしまうので、日本代表に合流する時にも"コンディションの遅れ"を感じていました。昨年は代表メンバーとしてネーションズリーグやオリンピックを経験できましたし、『もっと上のレベルでバレーがしたい』という気持ちもすごく強くなった。それで、自分から何かアクション起こそうと思ったんです。

 最初は『海外かな』となんとなく考えたんですけど、(大塚が通う)早稲田大学は授業もしっかり出ないと単位の取得などが難しいのと、何かあった時にチームにすぐ戻れなくなることには不安がありました。Vリーグのレベルの高さもわかっていましたし、そこでプレーできるなら自分に一番合っているんじゃないかと思って、(松井泰二)監督に相談して話を進めていきました」

――数あるチームの中からパナソニックを選んだ理由は?

「もともと、パナソニックさんのチームの雰囲気や環境がすごくいいと思っていました。特に(東京五輪でフランス代表を金メダルに導いた)ティリ・ロラン監督や(元ポーランド代表で主将を務めた)ミハウ・クビアク選手など、世界のトップレベルで戦ってきた方たちがいたことは大きかったです。

 日本人でも清水(邦広)選手だったり永野(健)選手だったり、経験豊富な選手がたくさんいますから、バレーはもちろん、競技に向き合う姿勢といったところも学べるんじゃないかと。チームの本拠地が僕の地元と一緒(大阪府枚方市)で、パンサーズジュニア出身という縁もありましたが、それが理由ではなくて、あくまで『このすごいチームでたくさん学びたい』という気持ちが第一でした」

「やれる」と思ったターニングポイント

――最初に練習参加した時のことを覚えていますか?

「チームに帯同してすぐに試合があったので、"お客さん"のように様子を伺いながら、という感じではありませんでした。僕自身、そういう遠慮はあんまり好きではないですしね。自分から積極的にアクション起こしていって、わりと早い段階でチームに溶け込むことができたんじゃないかと思います」

――デビュー戦となったFC東京の試合は、大きくリードしたところでの途中出場でした。同じような起用が増えるのかとも思いましたが、そこからチームの主力選手のひとりになることは想像できましたか?

「正直なところ、『主力として試合に出たい』といったことは考えていませんでした。出場機会をいただけるのはありがたいですし、『出場したら自分らしくプレーしよう』と思っていましたが、普段の6対6の練習など、試合に近い状況でプレーしながら学びたいと考えていましたから」

――しかし、デビューした次の週以降、スタートから起用されるようになります。Vリーグでやっていけると思えたターニングポイントなどはありますか?

「最初にスタートで使ってもらった、1月15日の大分三好戦です。この試合はフルセットで負けてしまったんですが、大学とは違う"タフさ"を実感しました。1試合1試合、本当に苦しい思いを積み重ねてやっと勝つことができるんだと。

 そのほかの試合では......どれやろ(笑)。『チームとしてガチッとハマったな』と思ったのは、3月に入って東レさんやサントリーさんに勝ったあたりですかね。僕も『自分にとってこれがベストな形』というプレーというか、3カ月やってきたことの集大成の形ができてきた時期でしたが、そのあたりからチームが崩れにくくなった印象があります」

「技術は日本代表でも通用するくらいになった」

――そうしてチームは3位で「ファイナル3」に進出するわけですが、レギュラーラウンドの試合と違いを感じましたか?

「ファイナル3はホーム&アウェー形式ではないので、応援の部分でも違いを感じました。特にホームゲームでは声援が大きな力になりますからね。ただ、ファイナル3は限られたチームしか立てない特別な舞台なので、そこでプレーできることは本当にうれしかったです。それに、『せっかく立てるんだから楽しんでやろう』とも思っていました。一発勝負ですから、思い切ってやろうと」

――パナソニックとしては「負けたら終わり」だったサントリーとの1試合目(2位のサントリーには1勝のアドバンテージが付与されていた)は、4セット目くらいまで大塚選手の表情が硬いようにも見えました。

「序盤はレシーブなども含めてあまりボールに触れなくて、スパイクの本数もたぶん少なかったと思います。僕はスパイクやレシーブからリズムを作るタイプなので、その点は難しかったです。終盤はレシーブしてから攻撃に入るという自分のリズムができて、そこからよくなったような気がします」

――フルセットで勝ちきりましたが、勝負を決める1セットのみのゴールデンセットは、終始リードされる苦しい展開になり、21-25で敗れる結果となりました。

「でも、誰も諦めませんでした。ティリ監督も『結果がどうであれ、最後まで熱いスピリットを持って戦おう』と言い続けていましたし。あのセットのサントリーさんは(ドミトリー・)ムセルスキー選手を中心にうまく回りだして、なかなかブレイクを取ることができなくなったのが敗因かな、と思います」

――レギュラーラウンドではサントリーに全勝していて、ファイナル3も1戦目は勝利したものの、最後の最後でやられた形になりました。悔しさも大きかったんじゃないでしょうか。

「フルセットとゴールデンセット、合計6セットでこんなに内容の濃い試合をしたことはそれまでなかったので、心身ともに終わったあとの疲労感はけっこうありました。確かに悔しさもありましたが、自分たちの力を出せなかったわけではなかったので、最後はサントリーさんが上回ったなと。来年、同じようにプレーできるかはわかりませんが、そうなったらVリーグで優勝したいと強く思いました」

――試合後の記者会見では、サントリーの山村宏太監督が「試合後に大塚くんと(筑波大4年のエバデダン・)ラリーくんが目にいっぱい涙を溜めながら『ありがとうございました。楽しかったです』と挨拶にきてくれてすごく感動した」と話す場面がありました。

「表彰式が終わって帰る時にサントリーさんのベンチの前を通る時、そのまま素通りするのも嫌だったので。山村監督に『ありがとうございました』と言いました。ずっと監督が『若い選手が頑張っている』と言ってくれていることも聞いていまし、本当にうれしかったので」

――技術的なところで、リーグを通して向上したと感じるところは?

「大学では通用していたプレーでも、Vリーグでは力強さとスピードで負けてしまうことがありました。スパイクやサーブのスピード感、それに対応するためのサーブレシーブやディグなども学ぶことができましたね。点の取り方も含め、攻守の技術はVリーグや日本代表でも通用するくらいまで形になってきたように思います。チームに加わった1月頃と比べると、自信を持ってプレーできてる部分は増えました」

――それは例えば、ブロックがついた時のスパイクの打ち方、といったところもそうでしょうか。

「そうですね。大学だったらコースを抜くだけで決められていたはずのスパイクが、Vリーグではそこにレシーバー入って拾われることもあった。だからブロックを利用するなど、点の取り方の工夫に関しては考え方が変わりました。自分の中でアップデートされた部分があるので、今後につながると思います」

――それはティリ監督やコーチから学んだんでしょうか。

「ほかの選手を見て学ぶこともたくさんありましたが、ティリ監督を中心に、毎日細かいところまでずっと見てくれました。その上でアドバイスをもらい、実際にやってみて『こういうことか』と気づく、ということの繰り返しでした。本当に充実した日々でしたね」

(後編:「控えメンバー」として見た東京五輪>>)

※取材日:4月12日