アイルトン・セナ、人間味あふれる伝説(後編) F1界の大物やライバルたちとの確執......時に傲慢ともとれるアイルトン・セナの態度は、契約においても多くのトラブルを起こした。 デレック・ワーウィックはフレンドリーな性格で人気のドライバーだ…

アイルトン・セナ、人間味あふれる伝説(後編)

 F1界の大物やライバルたちとの確執......時に傲慢ともとれるアイルトン・セナの態度は、契約においても多くのトラブルを起こした。

 デレック・ワーウィックはフレンドリーな性格で人気のドライバーだったが、セナのせいで失業をしたことがある。1986年、彼はロータス入りがほぼ確定していたが、彼がセカンドドライバーになることをセナが拒否した。セナはイギリスのチームであるロータスが、イギリス人のワーウィックを自分より優遇し、人気が出ることを危惧していた。こんなことがあったのに、セナはその後、ワーウィックに素知らぬ顔でハッピーニューイヤーのカードを送ったりしている。

 セナはマクラーレン在籍当時、ウィリアムズと契約をしたがっていた。しかし1993年、天敵アラン・プロストがウィリアムズと契約。その条件が「私がウィリアムズにいる限りセナとは契約しないでくれ」だったと聞き、セナは記者会見で「プロストは臆病者だ。スポーツマンシップに欠ける」と非難した。


日本では

「音速の貴公子」呼ばれ、絶大な人気を誇ったアイルトン・セナ photo by Sutton Motorsport Images/AFLO

 セナはチームとの間でもたびたび問題を起こしている。

 1985年、トールマンとの契約中にロータスに移籍し、結局違約金を払ったうえ、1レースの出場停止処分を受けた。

 また1992年には、マクラーレンと契約中にもかかわらず、自らウィリアムズにオファーをしたとして、マクラーレンは契約を打ちきる。だが、ウィリアムズに行くことはできなかった。そのため1993年の1年間、セナはギャランティー以上の金額を使用料として支払って、マクラーレンに乗っていた。

 セナはまた、自分の周囲のすべてを把握しておきたいというどこか脅迫的な一面を持ち合わせていた。ある時、飛行機でセナの隣に座ったテストドライバー時代のマーク・ブランデルは、セナが大量の紙切れを持ち歩いているのを見て驚いた。よく見ると、それは新聞の切り抜きだった。彼にセナはこう説明したという。

「俺について悪く書いた記事をすべてこうやって持っているんだ。どんな奴がどんなことを考えてるのかを知るためにね」

 ブランデルはまたこうも言っている。

「セナは、自分が勝利するためには、誰もが協力すべきだとも考えていた」

「抜かれるよりクラッシュするほうがまし」

 マクラーレン・ホンダ時代、テストドライブが終わり、ブランデルは移動するため、チームのフィジオセラピストに空港に送ってもらうことになっていた。まだレースまでには時間があったので問題もなかったはずだ。しかし、セナはフィジオセラピストがサーキットを離れるのを認めなかった。

「俺のために、スタッフ全員がここにいなくてはダメだ」

 過剰なまでのライバルへの反応、時に危険をかえりみない走行、契約をめぐるトラブル......これらはすべて勝利のためだった。セナは常々こう言っていた。「勝つことは麻薬みたいなもの。私はそれなしにはいられない。勝つためになら何でもする」と。

 彼にとって、2位はすでに失敗と同じ意味だった。だからどこにいても、彼に心の平穏はなかった。

 1985年にセナがロータスに乗っていた頃の話だ。セナはモナコGPの予選でポールラップを出した。しかしその後、彼はタイヤを古いものに変えてもう一度ピットに出ることで、他のドライバーのタイムアタックを妨害した。ニキ・ラウダ(マクラーレン)とミケーレ・アルボレート(フェラーリ)はセナのこの行為に対して「スポーツマンシップに欠ける」と怒った。当時のロータスのマネージャー、ピーター・ウォーもこれを認めており、のちにセナに謝罪されたことも明かしている。

「もうあんなことは二度としない」と言いながらも、セナはその理由を「誰かに自分より早いタイムを出されたくなかったんだ」と述べたという。

 1989年ポルトガルGP。後ろからナイジェル・マンセル(フェラーリ)に抜かれそうになった時、セナは自分のマシンをマンセルに寄せて双方がクラッシュした。マンセルはすでにその時、失格になっていた(黒旗を無視して走行していた)のだが、セナのこの時の台詞は、彼自身をよく物語っている。

「誰かに抜かれるくらいなら、クラッシュするほうがましだ」

 マンセルはセナのことを「自分が知る誰よりもエゴイストだ」と言う。しかし、1992年に自身が初めて世界チャンピオンとなった時、セナの気持ちが少しわかったという。

勝つことだけに集中していた

「勝利は何よりもすばらしい。この気分を味わうならばどんなあくどい手を使ってもいいと思うし、トップにあれば何が何でもそれを守りたいと思うだろう」

「アイルトンは勝つことだけに集中していた。彼にとっては自分と自分のマシン以外は存在していなかった」

 上記は、セナと良好な関係にあった数少ないドライバー、ゲルハルト・ベルガーの言葉だ。

 ここまでセナのネガティブな面もとりあげてきたが、もちろん、彼はそれだけの存在ではない。公に発表することなく、恵まれない人々に多額の寄付を続けていたのも、また彼の一面だ。彼の死後、その意志を受け継いだのがアイルトン・セナ財団だ。

 若手ドライバーに親切にアドバイスすることもあった。私自身、こんなシーンを見たことがある。

 ある時、ピットの隅で苦しそうにしている日本人がいた。おそらくタイヤメーカーの人で、彼はセナと直接話す必要があった。だが気まぐれで、気に入らなければ話もしないというセナの噂を知っていたであろう彼は、緊張のあまり過呼吸になっていたように見えた。しかし、やってきたセナは彼の肩に優しく手を置き、呼吸が戻るまでずっとそばに寄り添ってくれていた。その日本人はきっとセナの虜になったことだろう。

 人間は誰しも欠点を持っている。スーパーチャンピオンのセナもまた、ひとりの人間だった。悪人ではないが、聖人でもない。ただ、レーサーとしては唯一無二の存在だった。