プロアドベンチャーレーサー・田中陽希インタビュー後編2014年に人力のみで日本百名山を完登する旅「日本百名山ひと筆書き Great Traverse(グレートトラバース)」に挑んだプロアドベンチャーレーサー田中陽希。その後、2015年に2百…

プロアドベンチャーレーサー・田中陽希インタビュー後編

2014年に人力のみで日本百名山を完登する旅「日本百名山ひと筆書き Great Traverse(グレートトラバース)」に挑んだプロアドベンチャーレーサー田中陽希。その後、2015年に2百名山、2018年から昨年8月にかけて3百名山の旅を終え、日本全国計501座の山を完全踏破した。長い旅を終えた田中が今、自身の半生を振り返り、そして未来を見据える。後編では、過酷な山の旅で得た教訓について語る。(記事中敬称略)
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グレートトラバースの挑戦を振り返る田中陽希

田中陽希 自然をフィールドに行なうアドベンチャーレース(以下AR)のスタート直前。体型や顔つきから、百戦錬磨のツワモノたちが勢ぞろいしています。いざレースが始まり、見た目どおり強い人もいますが、小柄で太っていてお腹も出た、一見大丈夫かと思わせるのに、自分たちよりも上位にいたり、レースを楽しんでいる選手がいます。

 それは、最終的にモノをいうのは精神面だということだろうと思います。肉体を支配しているのは精神だ、と僕は思っています。精神が崩壊すると、いかに屈強な身体でも機能しません。ただの肉塊になってしまいます。チームとしては、精神面のコントロールや充実を重要視しています。精神的な成長が促されないと、体力的に優れていても、強くなれませんから。

人間の精神における「年輪」

 性格はなかなか変わりませんが、価値観や考え方の変化が人間の成長なのだと思っていました。少なくとも、2014年の「百名山ひと筆書き」の頃は、自分でいろんなことを経験して、いろんな価値観にふれることで、自分をよりよいものに変えていくことが大切だと考えていました。

 しかし、それはちょっと違うかなと、2018〜2021年の「3百名山」の時に感じたのです。変えるのではなく、結局、「上書き」なのだ、と。木にたとえれば、幹は成長します。その中心には、苗木の頃の木の肉が残っていて、その周りに年輪となって新しい木の肉が重なり、どんどん太く、高くなっていきます。

 されど、同じ木です。それにならって言いますと、人間にも、苗木の頃の気持ちや考え方、未熟な性格や精神性が幹の中心に残っています。残っていて当然です。それがあればこそ、その上に新しい考え方や精神性が覆い重なっていくのです。しかも年輪のように何度も何度もです。当然、同一人物です。それが人間の精神面の成長だ、と今は考えるようになりました。

 少しつけ加えますと、みんなに平等に流れる時間ですが、その時間をより濃密に過ごすと、成熟度は早いし、得られるものも多いです。たとえば、年に一度山に登る人と、一年の間に日本アルプスも、海外も、冬山もやり、100日は山にいるという人とでは、自ずと大きな開きができます。身を投じれば投じるほど、多くの経験をし、いろんな「返り」がありますので、そこで考え、対処しなければなりません。その思考やノウハウが年輪の一つひとつになり、幹も太くなり、成長するのだと思います。



日本三百名山ひと筆書きの旅。2021年4月の日高山脈縦走にて



2021年7月、利尻水道をカヤックで進む



2021年8月2日、約3年7カ月の旅の最後となる利尻山に登頂



田中が拠点にする群馬県みなかみ町の森のなかで





「百名山」「2百名山」の時は、毎日がチャレンジで、自分できちんとコントロールしました。しかし「3百名山」の時には、前2回のそれは「自分」ではないと感じていました。「あの人」のようには、今はできないと。前2回は必死でしたし、その必死さが、心身ともにいい作用をおよぼしていたのでしょう。

 ただ、あの必死さは、「3百名山」では続きません。前2回が7カ月と8カ月に対して、「3百名山」は結果的にではありますが3年7カ月。自分の変革を主眼に置いていた前2回と異なり、自分らしくやろう、「上書き」は続けながら「この人」の今までの知見を生かして、しなやかにやろうと思うようになっていました。

「いつまでも続くものではない」

 長い旅の道中、今いる場所と、心が一致していない場合があります。たとえば、秋の新潟の山を登りながら、もうすぐ冬だ、飯豊山(いいでさん)や朝日連峰に雪が降ったらどうなるだろうと思ったりします。そんな時は、いやいや、今いるここに全身全霊を傾けよう、と戒めます。

 一歩、一座、その積み重ねによって、初めて次の一歩が生まれ、初めて翌日が生まれ、初めて次の挑戦が生まれるのです。それを怠らずに続けてきたからこそ、最後までやり通せたのだと思います。前2回の時は気がはやって、今いるところと違う場所や山を考えて、走っていたので、時には体調を崩し、時には足をくじいたこともありました。

 心ここにあらず、の時は大体、痛い目に遭っています。違うことを考えていると、足下が視界に入っていません。次出す一歩に全て集中していかないとその次の一歩はない、と常に足下に注意を払うように自戒しています。

「いつまでも続くものではない」。山も歩みを続ければいつかは山頂に立つことができます。苦しさ、険しさ、つらさは、まさに山登りに似ているところがあって、いつまでも続くわけではありません。



 しかし、その状況を打破するには、前に進むしかない。時には立ち止まってもいい。それは後退ではなく、次に一歩を踏み出すための準備なのです。雨とか雪とかコロナで旅が停滞することもあり、いろんなものを抱え込んで暗い迷路に迷い込み、不安にさいなまれたこともありましたが、時間と、周りの人の笑顔や励ましに助けられながら、抜け出すことができました。

 足踏みしていても、次の一歩への準備期間だと思っていれば、いつか必ず前に進めるものなのです。特に山形県の酒田では緊急事態宣言が発出され、しかも停滞は3カ月に延び、それに伴ってゴールは4年目に入ることになってしまいます。「3百名山」は3年7カ月かかり、確かに長かったのですが、自分が納得した上での一歩一歩だったので、後悔はありません。後悔をしないために、一歩を確実に、一座を大切にしてきた、と言ったほうが正確かもしれません。

 きたる5月のアドベンチャーレースに出場します。もちろん優勝を目指します。11月には南米のパタゴニアエクスペディションレースがあって、それが本命です。ソロの旅で学んできたことと、高めてきたチーム力で、そして何より揺るがない精神で、大会に挑もうと思います。



(終わり)

【profile】
田中陽希 たなか・ようき 
1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。明治大学在学中はスキー部に所属しクロスカントリースキーの選手として活躍。群馬県みなかみ町の「カッパクラブ」でリバーガイドとして働く傍ら、アドベンチャーレースのプロチーム「チームイーストウインド」で活動。2012、2013年のパタゴニア・エクスペディションレースに出場し、2年連続2位。2014年、人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」を達成。翌年に「2百名山」を、2018〜2021年には「3百名山」を踏破。

「日本三名山ひと筆書き Great Traverse」写真:一般社団法人人力チャレンジ応援部(田中陽希本人撮影)