北京五輪では団体戦で日本の初のメダル獲得(銅メダル)に貢献し、個人も日本ペア初入賞となる7位。さらに、ロシア勢や中国の2ペアが欠場した世界選手権では、そのチャンスを着実に生かして銀メダル獲得という結果を残した三浦璃来と木原龍一。2019年…

 北京五輪では団体戦で日本の初のメダル獲得(銅メダル)に貢献し、個人も日本ペア初入賞となる7位。さらに、ロシア勢や中国の2ペアが欠場した世界選手権では、そのチャンスを着実に生かして銀メダル獲得という結果を残した三浦璃来と木原龍一。2019年8月にペアを結成して拠点をカナダのトロントに移してから、わずか3シーズンで世界と戦えるまで成長したきっかけと、その課程を聞いた。



北京五輪に出場した三浦璃来・木原龍一ペア

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――ペア結成後の初シーズン(2019-20)は、NHK杯が179.94点で5位。四大陸選手権は167.50点で8位と、ともに前のペアとの得点を大幅に上回る結果でした。その頃から五輪出場を目標に、世界を戦うことを意識できていたのですか。

木原 最初は、「五輪を目標に戦っていこう」と話をしていましたけど、四大陸は自分たちの中ではあまりよくなくて、「このままでは戦っていけないかもしれない」という不安がありましたね。

三浦 まだトップのチームと比べて、自分たちの技術不足、表現力の不足をすごく感じていました。

――その後は新型コロナウイルス感染拡大で、厳しい状況となりました。

木原 四大陸直後の世界選手権が中止になってしまい、そこからは1年間試合がない状態で......。ただ、その期間はブルーノ・マルコットコーチの下で週5回のレッスンをみっちり受けることができたので、自分たちの技術を伸ばすという点では重要な期間でした。本当につらかったし、あの時に戻りたいわけではないけど、あの時期があったからその後の成長があったと思います。

――通常通り試合があったら移動時間も長くなり、練習も切れ切れになってしまいますね。

木原 そうですね。自分たちが成長し始めているタイミングで、コーチにじっくり学べたことは大きかったと思います。

――当時のカナダは規制が厳しくて練習環境も大変だったと聞きましたが、そういう中でずっと一緒にいたからこそ、ふたりの関係性も深められたのでは?

三浦 意見が食い違うこともありましたが、一緒にいなければいけないからこそ、その"ケンカ"の原因を解決しないと練習に影響が出てしまうので、その日のうちに仲直りしようと決めていました。

木原 お互いがどう思ったか、というのを話し合って、「ここはこうだったね」「じゃあここはこうするべきだね」といったように常に原因と解決策も明確にして、その日のうちに解決するようにしていました。

2人の間にあった壁がなくなった

――それでお互いの性格も理解でき、どう対応すればいいかもわかったのですか?

木原 そうですね。特に結成した最初のシーズンはお互いに遠慮があったけど、2シーズン目はいろいろわかってきて、今シーズンで本当にわかり合えた感じですね。

――その過程で、いろいろな発見もあったのでは?

三浦 最初、龍一くんには堅いイメージがあって、「怖いな」とも思っていたんです。でも話してみたら本当に気さくで楽しい。ギャップがありましたね。

木原 僕はなぜか、初めて会った人には「怖い」と言われることが多くて。しゃべったら印象が変わるみたいですけど(笑)。

――逆に、木原選手から見た三浦選手の性格はどうでしたか?

木原 トロントに渡った当時は精神的にまだ"幼さ"があって、ちょっと気を遣っていました。ただ、コロナ禍の期間を経てものすごく精神的に成長した。以前はうまくコミュニケーションがとれなかったこともあったのが、今はしっかり意思疎通ができるようになっています。

三浦 コロナ禍で自由に動けない時期は本当につらくて、私も落ち込むことが多かったんです。でも、私たちには先に試合があるから、「ここでくじけてはいけない」と。それで耐えることができるようになりましたし、少なくとも2年前よりは精神的に成長できたかなと思います。

木原 精神的にものすごく成長したことは、毎日の練習の中でも感じられるようになりました。以前だったら簡単に諦めていたところを諦めなくなったり、一度失敗しても必ず立ち直れるようになったり。そういうことを一緒に滑っていてすごく感じます。

――世界と戦う目標にする、という意識も同じレベルになってきたのですね。

木原 そうですね。コロナ禍で毎日一緒に練習した期間で、お互いに目指すところが一致しました。

――木原選手は五輪に2回出ていますから、三浦選手にとっては"先輩"という感じもあったのですか?

三浦 龍一くんは経験豊富で、精神面も安定しているので本当に信頼できます。ずっとサポートしてくれているので、私も成長ができたんだと思います。

木原 最初の頃は、2人の間に壁が1枚あるような感じだったけど、今は対等になった気がします。

――世界と戦える実感を得られたのは、2021年3月の世界選手権で10位になってからですか?

木原 そこから「本当にやっていけるんじゃないか」という自信がつきました。その前からコーチからは常に、「お前たちは絶対に、世界トップ10に入る実力を持っている」と言われて練習をしていたけど、正直、世界選手権まで1年間も試合がなかったこともあって、自分たちの実力がよくわからない状態でした。でも、世界選手権を終えて「コーチが言ったことは本当だったんだね」となって。もっともっと上に行けるんじゃないか、と思うようになりました。

――五輪の団体戦のメダルという、日本チームの夢を背負うプレッシャーも感じませんでしたか?

木原 プレッシャーというより、「力になれるんだ」という楽しみのほうが大きかったです。

三浦 団体のメダルも、世界選手権が終わった時点ではそこまで力になれるとは思っていませんでした。「戦える」とは思ったけど、壁はあると感じていたので。それが、今シーズンのオータムクラシック(2021年9月)で目標にしていた200点を出すことができて、「やっとスタートラインに立ったんだな」と思いました。

――それから、自己ベストを更新し続けて北京五輪を迎えましたね。

木原 正直、GPシリーズを戦っている最中はプレッシャーを感じることはなかったです。自分たちが常にスコアを更新できていることの楽しみのほうが大きかったし、世界と戦える自信もついてきていた。自分たちがやってきたことに対して、点数がついてくるのが嬉しかったです。

――出場を決めていた2021年12月に予定されていたGPファイナルは中止になりましたが、もしそこに出ていたら、結果のいい悪いにかかわらず五輪へのプレッシャーが生まれていたかもしれませんね。

木原 それはあったかもしれません。初めてファイナル進出の権利が獲得できたので、中止になってしまったことは残念に思いました。ただ、それがなくなったことによって、勢いを保ったまま五輪に臨むことができた。五輪に向けてもう一度練習プランを立て、じっくりやり直すことができたのは、僕たちにとって非常によかったと感じています。
 
 そんな経緯を経て、"りくりゅう"ペアは北京五輪でしっかり実力を発揮し、続く世界選手権ではメダル獲得という快挙を果たした。

4年後、8年後も楽しみ

――納得いくシーズンを終えて、ペアの面白さをあらためて実感しているのではないですか?

木原 すごく楽しいです。これまでは、なかなか楽しさを感じることがなかったですが、今は自分たちがやってきたことが結果に表れているので。試合が終わったあとも、海外のスケーターたちから「よかったよ」と声をかけてもらえることも増えました。世界中の方々から褒めてもらえるのは本当に嬉しいです。

――ここから、どのように自分たちを高めていきたいですか。

三浦 私はたくさんのジャンルを試してみたいと思っています。私が得意なものと、龍一くんが得意なものはちょっと違うので、いろいろ試せることが本当に楽しみです。

木原 今はまだ引き出しが少ない状態なので、4年間で新しい引き出しをドンドン作り、最終的に一番自分たちに合う引き出しを見つけていきたいと思います。

――4年後も8年後も、常に"新生りくりゅう"であり続けたい?

木原 新しいことに挑戦できることを、ふたりともすごく楽しめています。ペアのエレメンツでもまだまだ自分たちが知らないことがあるので、4年後、8年後がどうなっているか、すごく楽しみです。

――熟成した女性と男性のペアになっていくのでしょうね。

木原 そうですね。ふたりともまだまだ子供みたいなものですし。僕も喜び方が「小学生みたい」と言われるので、もうちょっと大人にならないと(笑)。

三浦 子供っぽいというか、ほとんど子供なんです。もしかしたら4年後や8年後は、私のほうが"お姉さん"っぽくなっているかもしれませんね(笑)。