2024年、パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。※  ※  ※  ※パリ五輪を…

2024年、パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。

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パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
~HAKONE to PARIS~
第1回・星岳(帝京大―コニカミノルタ)後編



2023年秋開催のMGCへの出場権も得た星岳

前編「星岳が箱根駅伝で得たもの。区間賞獲得は『ステージがひとつ上がった感がある』」はこちら>>>

 大阪マラソン・びわ毎日マラソン統合大会で初マラソン、初優勝を実現した星岳(ほし・がく/コニカミノルタ)。帝京大時代は3度、箱根駅伝を走り、走力と自信をつけて卒業し、コニカミノルタに入社。マラソンに向けて練習をスタートし、わずか1年足らずで日本のトップランナーのひとりになった。

「今の現在地は順調ですが、ちょっと出来すぎかなと思います」

 そう笑みを見せる星だが、ここまですべてが順調に進んできたわけではなかった。春先は環境に慣れる時間が必要で、夏には貧血の症状が出てしまい、思うような練習を積むことができなかった。だが、回復してからは、積極的にマラソンに対応する練習に取り組んだ。

「マラソンの練習として40キロ走などを、初めてやりました。他にもクロカンコースを走ったり、変化走とか、ふだんあまりやらないようなメニューを入れて、筋トレもしました。練習はマラソンで結果を出すためのものですが、今後の自分の競技人生のために必要なことだと思っていたので、キツくても、とにかくやりきることを重視していました」

 長い距離への耐性をつけ、レースにおいてペースの変化にも対応できるようにやれる練習はひととおりこなした。さらに星は、走りの根幹の部分にもメスを入れた。

「1年間かけてフォームの矯正をしてきました。自分は体がうしろに反るというか、少し後傾気味になるんです。少し反るぐらいならいいんですけど、疲れてくるとがっつり反ってしまうので、前への出力が出なくなります。そこをできるだけ耐えられるようにしたいということで上半身のフィジカルを含めて矯正してきました。自分でも意識して走っているので、この1年でかなりよくなったと思います。ただ、まだ突き詰められるところがあると思っているので、今後も継続していきます」

走行中のふたりの笑みに「マジか」

 そうして迎えたのが2月27日の大阪マラソン・びわ毎日マラソン統合大会だった。仙台大学附属明成高の先輩である村山謙太(旭化成)をはじめ、設楽悠太(Honda)ら力のある選手がMGCの出場権を狙って参戦していたが、星はレースにおいて意識したのはひとつだけだった。

「タイムは、2時間9分をきって、MGCに引っかかるところで走れればいいなって思っていました。あとは、余計なことをせず、給水を取れなくても焦らず、とにかく冷静に走ることだけを意識していました」

 レースでは、30キロ過ぎまで集団のなかに隠れるようにして走った。それ以降、さすがにキツさが出てきたが、耐えて走っていると徐々に周囲が落ちていった。35キロ地点になると山下一貴(三菱重工)と浦野雄平(富士通)、星の3人が残っていた。

「ここからが勝負だなと思いました。ただ、本当の勝負どころはラスト1、2キロだなとも考え、そこに備えないといけないと思っていました」

 3人での走りが続いたが、36キロ地点で山下と浦野が笑顔を見せて、何やら話をしていた。ふたりの背後にいた星は、余裕の笑みに「マジか」と思ったという。

「ふたりが笑った時、彼らのほうが余裕度は上かなと思いましたし、これだとキツいなと思ったのですが、ペースが上がらなかったんです。あれ、と思ったんですが、もしかしてここで自分が動けば行けるのかなって思いました」

 37キロ地点、星は一度、時計を見て、ギアを一段階上げた。

「時計を見ると、まだ6分台を狙えそうだったので、その欲もあって、そのタイミングで前に出ました。ただ、正直、仕掛けた感は全然なくて(苦笑)。結果的に37キロが勝負ところだったのかなと思いますが、前に抜けても自信がなかったので、うしろの山下さんの姿を確認しながら走っていました。本当に最後まで油断できなかったですね。ラスト勝負になった時、マラソンではどこでスパートが出るのか見えない部分があったので、かなり不安で......。勝てたなと思ったのはゴールが見えてからです」

 タイムは、2時間7分31秒で初マラソンのタイムとしては日本最速記録になった。レース前は熱視線を浴びるほどではなかったが、優勝して一躍注目を集める存在になった。

「レースは予想以上の出来でした。タイムを意識しましたけど、結果的に勝つことでついてきたので、そこは自信になりましたし、これまでの取り組みにも自信を持てました」

 レースでは、非常に冷静な走りが目についた。

「それは箱根で得た経験を活かすことができたのもありますが、もともと性格的に人に惑わされないし、周囲を気にしないタイプということがあるのかもしれません(笑)。マラソンは、もちろん相手がいるんですけど、他の人を意識するよりも自分のベストを尽くすことを優先して、自分の走りに集中しています」

 星の走りの強さは、人に左右されない図太いメンタルにも支えられているようだ。

世界選手権とMGCを見据える

 大阪マラソン・びわ毎日マラソン統合大会の結果で、星は来年の秋に開催されるパリ五輪のマラソン代表選考レース(MGC)の出場権を得た。さらにアメリカ・オレゴン世界選手権のマラソン代表にも決まった。世界選手権は、星にとってどういう位置づけになるのだろうか。

「世界の舞台に立てると思っていなかったので、すごくうれしいですし、ワクワク感もあります。ただ、海外のレースですし、ぺースメーカーがつかないチャンピオンシップの大会はどういう展開になるのだろうかという不安もあります。それに7月のオレゴンの朝は、それほど暑くならないようなので、ペースが上がり、揺さぶりもかなりあると思うのでタフなレースになる。そのイメージをしつつ、今ある不安をできるだけ潰して自信を持ってスタートラインに立ちたいと思っています」

 オレゴンでの世界選手権は、来年のMGCの仮想レースとしてとらえて積極的にチャレンジできるはずだ。ペーサーがいないなか、相手と駆け引きをしつつ、レース展開を読み、仕掛けどころを考えてのレース運びが求められる。頭を使う展開になるが、それができる選手が世界に通用するアスリートになることができる。星の目標も「世界で戦える選手になる」ということなので、そのための第一歩となる貴重な機会になる。

 それが終わると今度はMGCに向けての準備が加速していくことになる。前回のMGCを星は見ていたというが、何か感じるものはあったのだろうか。

「前回の時は設楽(悠太)選手が飛び出して、驚きました。本当に何が起こるかわからないですよね。最終的にはラストの勝負になりましたが、今はラストで勝ちきるための力がまだ足りないと感じています。あのレベルにいくには、もっと自分の強みを見出していかないといけないです」

 MGCで勝ちきるために、自分の強みと課題について星は、どう考えているのだろうか。

「自分の強みについては、大阪マラソン・びわ毎日マラソン統合大会のように最後までもつスタミナが自信になりましたし、レース中に落ち着いて対応できたことは今後、どんなレースにも活かせる強みだと思っています。課題は、まだ1回しかマラソンを走っていないので、暑さや風が強いとか、ペースが激しく上下動するタフなレースになった時にどうなるのか。まだ自信を持てていないので、練習のなかで経験していくしかないかなと思っています。あと、前回のMGCもそうですが、勝負所がラストスパートになる可能性が高いので、そこで勝つためにもトラックシーズンを活かしてスピードを強化したいですね」

 プランどおりにMGCのチャンスをつかんだわけだが、現在26名のファイナリストがいる。最終的には、もう少し人数が増えて、前回以上の激戦になることが予想される。ただ、このチャンスを手にすればパリ五輪への道が開ける。

「パリ五輪は、目指すべき大会になりますが、僕の最終目標は(2028年の)ロサンゼルス五輪のマラソンでメダルを獲得するなど結果を出すことです。そう考えるとパリ五輪に出場して、結果を求めていくのはロサンゼルス五輪にもつながると思うので、なんとかMGCで勝ちたいですね」

 箱根駅伝は前を行く相手を抜く、勝負レースだった。大阪マラソン・びわ毎日マラソン統合大会は、タイムを出したが、それはあくまでも勝負に勝ったことの副産物だった。世界選手権もMGCも勝負レースだが、星はそういうレースで勝つことにやりがいを感じている。

「勝つことは、学生時代から意識しています。これから日本記録を出せればと思いますけど、単純にそこを目指すのではなく、タイムは勝利を争うなかでついてくるものだと思っています。ひとつひとつのレースを勝つことで本当の力がついてくるし、タイムが高速化していくなかで勝つ選手の価値がより高まっていると思うので、僕はそういう勝てる選手になりたいです」

 今年1月の箱根駅伝は1区で仙台育英出身の吉居大和(中大)が快走し、区間新を出した。大阪マラソン・びわ毎日マラソン統合大会では同じ仙台出身の星が快走して優勝した。今年は仙台からいい風が吹いている。

「その風にこれからも乗っていきたいですね(笑)」

 最初の世界の舞台となるオレゴンで強豪という風と交われば、また一歩、星が目標とする「世界」に近づいていけるだろう──。