4月17日に開催されたボストンマラソンで、初マラソンにもかかわらず3位入賞(2時間10分28秒)し、世間の耳目を集めた大迫 傑(すぐる)選手。5月2日に報道陣のインタビューに応じている。大迫選手は所属していた日清食品グループ陸上部を2015…

4月17日に開催されたボストンマラソンで、初マラソンにもかかわらず3位入賞(2時間10分28秒)し、世間の耳目を集めた大迫 傑(すぐる)選手。5月2日に報道陣のインタビューに応じている。

大迫選手は所属していた日清食品グループ陸上部を2015年3月に退部。その後は、日清所属時から練習に参加していた米国の『ナイキ・オレゴン・プロジェクト』で本格的にトレーニングを始めた。

ナイキ・オレゴン・プロジェクトでは、モー・ファラー(英国)やゲーレン・ラップ(米国)といった超一流選手と練習を重ね、「彼らがいることがモチベーションになる。これだけ(練習を)やったからこれだけ走れる、という指標ができるので、練習もより目標を持ってできる」とチームに参加して得たことを明かしてくれた。


どういった思いで海外に練習拠点を移そうと思ったのだろうか。移住を後押しした背景には、あるスポーツの存在があった。

ナイキ・オレゴン・プロジェクトに所属する大迫選手と、ナイキがチームスポンサーを務めるJリーグの鹿島アントラーズ。この縁により、大迫選手は5月1日にも鹿島アントラーズの選手とトークイベントなどを行なっている。

普段はナイキ・オレゴン・プロジェクトの陸上選手に刺激を受けているが、今回のようにサッカーの選手など、陸上競技以外の選手に刺激を受けていることはあるのだろうか。尋ねてみると、大迫選手が拠点を海外に移すことにもつながったという意外な答えが返ってきた。

「他の競技、特にサッカーは日本の選手でも海外に行くことが普通になってきている。そうすると、陸上だけが国内にとどまっているように思えていた。『(ナイキ・オレゴン・プロジェクトに)いざ行こう』と思った時の気持ちを後押ししてくれたのは、自分の(海外に拠点を移すという)選択はスポーツ全体で見ると特別なことじゃないという思いだった」

サッカー選手を含め、多くの選手が「日本人スポーツ選手は日本で活動する」という概念を打ち壊してきたことが、陸上界においてパイオニアとなった大迫選手の決断を後押ししていたのだ。

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑選手 参考画像(c) Getty Images

大迫傑選手 参考画像(c) Getty Images