机の上で震えているスマートフォンの画面を見て、驚きを隠せなかった。反射的に通話ボタンを押したが、あまりに久しぶりだったから、適切な第一声が思い当たらなかった。 おそらく「どうしたの?」と、当たり障りのない言葉を発したように記憶している…

 机の上で震えているスマートフォンの画面を見て、驚きを隠せなかった。反射的に通話ボタンを押したが、あまりに久しぶりだったから、適切な第一声が思い当たらなかった。

 おそらく「どうしたの?」と、当たり障りのない言葉を発したように記憶している。相手は「一応、報告しておこうと思って」と切り出すと、「明日、練習場に行って監督と会ってきます」と話してくれた。

 電話の主は、サンフレッチェ広島のMF森﨑和幸だった。

 冬の寒さがようやく緩み、春の陽気が感じられるようになってきた3月20日のことだ。その時点でリーグ戦4試合を消化していたサンフレッチェは、1分3敗で17位に低迷していた。



昨季も身体に不調を感じながらプレーしていたという森﨑和幸 昨年の5月に身体の不調を感じはじめた森﨑は、その後も騙しだましプレーしてきたが、シーズン前のタイ遠征中に限界に達すると緊急帰国。その後は、練習場はもちろん、外出すらままならない状況が続いていた。それだけに、タイに出発する日を最後に途絶えていた森﨑からの連絡は、苦しむチームにとっても明るい材料になるのではないか、と感じた。電話を切ってから、まるで冬眠から目覚めた熊みたいだなと、思わず微笑んでしまった。

 森﨑はその後、練習場で軽いジョグができる状態にまで回復すると、4月上旬になってチームメイトと同じ時間帯に練習するようになる。同月24日には、今季初となる紅白戦に参加。その姿は、急ピッチで復帰を目指しているようにすら映った。

 というのも、サンフレッチェは4月7日のJ1第6節、対ガンバ大阪戦でようやく今季初勝利を挙げたものの、明らかに攻守の歯車が噛み合わず、その後も黒星が増え続けていたからだ。3度のJ1優勝のベースとなった守備は崩れ、FW工藤壮人ら比較的新しい選手たちが顔をそろえる攻撃は連係を構築している段階で、チームとして機能不全に陥っていた。

 顕著だったのが、2−0から追いつかれ、結果的に3−3で引き分けた第8節のベガルタ仙台戦である。堅守を軸に失点を避け、スキを突いて先制することで試合を優位に進めていくのが、サンフレッチェの必勝パターンだが、自信を失っていたチームは、その常套手段すらできなくなっていた。

 2−0とリードしているのにもかかわらず、さらに前がかりになると、逆襲を受けて立て続けに3失点を喫する。前線は連動性がなく、無闇に仕掛けてボールを失うため、持ち味であるDFラインからの縦パスが入らなくなった。必然的に攻撃は、突破力のあるウイングバックの柏好文を頼ってサイドに偏っていく。だが、クロスを挙げてもヘディングに強い選手がそろっていないため、相手DFに弾き返されていた。

 そうしたチームの窮地を救おうとするかのように、森﨑は全体練習に合流してわずか10日余りという5月3日のルヴァンカップ、対セレッソ大阪戦(0-1)で先発に復帰。さらに、中2日で行なわれたJ1第10節のヴィッセル神戸戦でも58分に途中出場した。

「(ヴィッセル戦では1−1の状況になり)森保(一)さんとコーチからは、ちょっと前がかりになりすぎているから、チームを落ち着かせてほしいと言われたので、そこを意識してプレーしました」

 ピッチに入った状況を、森﨑はそう振り返る。

 先制されながらも、52分にMFアンデルソン・ロペスのゴールで追いついたチームは、追加点を奪おうと攻撃姿勢を強めていた。対戦相手のヴィッセルもそれにつられ、ボールは行ったり来たりの流れになる。だが、ボランチに森﨑が入ると、空気が一変したかのように、その展開がピタッと止まった。

 記者席の隣で見ていた双子の弟・浩司が、「(森﨑)カズが適切なポジションを取ることで、周りも自然と適切なポジションが取れるようになっている」とつぶやく。

 ショートパスを用いながら森﨑がボールを動かしていくと、チームメイトもその動きに合わせてポジションを変えていく。相手がプレスに行こうとしても、テンポよくパスがつながっていくため、無闇に飛び込むことができない。また、後方でのボール回しに合わせるように、2列目も下がってボールを受けようとする動きが活発になり、中央から縦パスが入るようになった。

 試合後、森﨑に聞けば、「チーム全体に声をかけられるわけではないので、出し手と受け手の呼吸を合わせただけで、特別なことはしていないですよ。サッカーにおいて、当たり前のことを当たり前にやっただけです」と謙遜したが、森保監督もその効果を実感していた。

「『勝ちたい』という思いから、チームはギアが上がっている状態でしたけど、(森﨑が入って)攻守含めて落ち着きを取り戻して(チームに)自信をもたらしてくれました。加えて、中だけでもなく、外だけでもなく、中に入ったら外へ、外に行ったら中へと、ボールを出し入れしながら相手を動かし、スキをついていくというか。本来の自分たちがやってきたことを、カズが実践して見せてくれましたよね」

 まさに森﨑がサンフレッチェにおいて、「ピッチの指揮官」と呼ばれるゆえんがわかるような試合だった。

 結果的にヴィッセル戦は1−1の引き分けに終わり、浮上のきっかけにすることはできなかった。順位はいまだ降格圏となる16位に低迷しており、今季初のリーグ戦に出場した森﨑は、危機感を強めている。

「これは、ベンチから見ていても、ピッチに立ってからも感じたんですけど、チームとして基本ができていない。攻撃で言えば、どこでボールをもらえば、味方にとって助かるか、相手にとって嫌かというポジショニングができていない。守備では球際だったり、セカンドボールの意識だったりが足りないんですよね。失点シーンもそうですけど、人数がいるのに足を振り抜かれている。

 まだ練習に合流して間もないから、すべては見極められていないですけど、その原因が自信を失っているからなのか、単純に練習からできていないのかを突き止めて(やるべきことを)突き詰めていきたい。簡単に言えば、今までできていたことができなくなっている」

 結果が伴わない中で、チームは原点に立ち返ろうとしている。だが、森﨑はその原点を今一度、築き直す必要があると話す。

「例えがヘタなのであれですけど、家も土台がしっかりしていないと崩れちゃうじゃないですか。原点に返ることはいいことですけど、原点に返ったからって(それだけで)いいことでもない。まず、その原点となる土台を作らないと、その先には進めないと思うんですよね」

 森﨑の言う土台とは、言ってしまえば守備では球際の強さであり厳しさ、攻撃ではボールを受ける動きの質、サッカーの原点そのものだ。

「それをやらないと、J1で生き残っていくことはできない。自分も含めて今までできていた選手も、もう一度、見つめ直さないと。

 セレッソ戦で復帰したときには、サポーターに横断幕でメッセージを出してもらってうれしかったですし、本当に感謝しかない。こうしてまたピッチに戻れたことに対して、感傷に浸りたいところもあったんですけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。戦術に関しては詳しく言えないけど、ピッチに立ったことで見えてきたアイデアもある。今のこのメンバーでできること、このメンバーを生かせる方法は何となくイメージとしてある」

 度重なる慢性疲労症候群の発症に、「今回は、年齢的にも本当に戻って来られないと思った」と森﨑は語る。それなのに「なぜ、復帰できたのか?」と聞けば、こう答えた。

「正直、その理由は今もわからない。でも、強いて挙げるとすれば、周りでしょうね。例えば、子どもが通っている幼稚園の知り合いの方から『待ってますからね』と言ってもらったり、家の修理で来た人に『戻ってくるって信じてますから』って言われたりしたということを、妻から間接的に聞いたんです。しんどいながらも、自然とそういう声が耳に入ってきたんですよね。そうしたひとつひとつが力になった。だから、自分から戻ろうというよりも、正直、周りの力で戻らせてもらったという感じですかね」

 広島に生まれ、広島で育った。5月9日に36歳になったばかりの森﨑は、サンフレッチェ一筋でプロ18年目を迎え、ユースから数えれば在籍は21年目となる。

 森﨑が全体練習に合流した頃、森保監督にそのことを尋ねると、険しい表情が一瞬緩み、こう話してくれた。

「カズのような選手は、作ろうとして作れるものではないんですよね。彼がいるだけで、他の選手たちが安心しているのがわかる」

 苦境に立たされているサンフレッチェ広島が復調するための最後のピースはそろった。”ピッチの指揮官”は、まさに生まれ育った広島のために戻ってきた。