「ナオミ・オオサカ」の名がスタジアムでコールされるたび、客席では赤と青を基調にしたハイチの国旗が揺れ、日本語に英語、時にはフランス語でも声援が飛ぶ。 大会開催時の世界ランキングは「77位」。それでも、今大会で大坂なおみの試合はすべて、センタ…

「ナオミ・オオサカ」の名がスタジアムでコールされるたび、客席では赤と青を基調にしたハイチの国旗が揺れ、日本語に英語、時にはフランス語でも声援が飛ぶ。

 大会開催時の世界ランキングは「77位」。それでも、今大会で大坂なおみの試合はすべて、センターコートに組まれていた。

 会場のハードロックスタジアムは、彼女が「家からダウンタウンに移動する時、クルマのなかからよく見ていた」という懐かしい景色。フロリダ半島南部の町、フォートローダーデールで10年以上暮らした大坂にとって、マイアミ・オープンは「ホームの大会」だ。



日本、アメリカ、ハイチと複数の文化的背景を持つ大坂なおみ

「マイアミはニューヨークと並び、最もハイチ系の人口が多い町。多くの人は彼女のことを、アメリカ人と日本人のハーフとして語りますが、彼女自身が『私はハイチ人でもあるのよ』と言っているんです」

 連日マイアミ・オープンを取材するジャーナリスト/アナウンサーのウェスト・ラミー氏は、大坂と南フロリダのつながりを、重厚に響く声で説明した。そう語る彼自身も、両親ともにハイチ移民。大坂と同じようにハイチ料理を食べて育ち、ニューヨークに住んだ時期もあり、そして今はマイアミで根を張る"ハイチ系アメリカ人一世"だ。

「ハイチの人たちは、同じルーツを持つ人が音楽やアート、スポーツなどで活躍すると、全力で応援します。だからみんな、ナオミのことを誇りに思っている。それは日本人も同じですよね? 人種の坩堝(るつぼ)であるマイアミでは、ナオミの人気はほかの地域よりも高いのではと思いますよ」

 大坂に寄り添うように語る彼は、「彼女に対して『政治のことを話すな』と言う人もいますけれどね」と少し寂しそうに加えた。

「現在のアメリカでは、彼女に関する意見は割れていると思います」と俯瞰するのは、『NYタイムズ』紙の記者であり、CNNのコメンテーターも務めるベン・ローゼンバーグ氏である。

若い世代はナオミに好意的

「2020年の全米オープンで、ブラック・ライブズ・マターを訴えるマスクを着用して優勝した時は、彼女を支援する声が大半だったと思います。ただ、昨年の全仏オープンで記者会見を拒否した頃から、批判も受けるようになりました。

 特に保守系のメディアは、彼女をやり玉に挙げることが多いですね。政治的アクションを批判したり、『会見はしないのに、雑誌などのメディアに露出するのは矛盾している』というのも、よくある指摘です」

 それら賛否両論の声があがるのは、彼女の一挙手一投足が大手メディアで取り上げられることが多いためだという。

 カリフォルニア州インディアンウェルズで開催されたBNPパリバ・オープンで、野次に傷つき試合中に泣き出したことも、そのひとつだ。

「インディアンウェルズの時も、ほとんどの大手メディアが彼女の話を取り上げました。『NYタイムズ』『ワシントンポスト』『LAタイムズ』......どの新聞もコラムでこの件を論じています。彼女の話題はテニス以上に、社会問題としてとらえられることが多いですね。

 ナオミに対し、『最近の若者はヤワだ』『プロならこれくらいの批判も受け入れろ』と言う人たちもいます。ただ、子どもや若い世代には、彼女は好意的に受け入れられていると感じます。アニメやゲームが好きというのも共感しやすいですしね」

 自身もそれら"アニメやゲームが好きな世代"に属するローゼンバーグ氏は、現在、大坂なおみの足跡を描く書籍の執筆に取り組んでいる。

「彼女はとても興味深い人物です。テニス選手としても、4度グランドスラムで優勝する力がありながら、メンタリティのもろさもある。会見やインディアンウェルズの一件など、多くの選手にとってそこまで難しい問題ではないことが、なぜ彼女をあんなに苦しめるのか?」

 それらを「解き明かすのが楽しみ」なのだと、ローゼンバーグ氏は言った。

「彼女を解き明かすのは、難しい。それは彼女自身ですら、自分が何者かを理解できていないことが、私は理解できるからです」

 そんな禅問答めいた物言いで、ヘレン・スコット-スミス氏は、大坂に自分の過去を重ねた。

人種の坩堝マイアミで人気

 スイス人として『ユーロ・スポーツ』等で働くスコット-スミス氏は、テニスとアルペンスキーを中心に取材し、自身もジュニア時代は優秀なアルペンスキーヤーだった。現在の拠点はスイスで、生まれもスイスのジュネーブ。ただ、父親が英国人のため、長く国籍はイギリスだった。

「最初にナオミの存在や生い立ちを知った時、自分の子どもの頃を思いだしました。自分は英国人なのか、スイス人なのか? 母はスイス人でしたが、父と結婚したため英国籍になり、私も英国人としてスイスで育ちました。私がナオミに共感できるのは、いろんな文化が自分のなかにあり、その時々でアイデンティティを選ばなくてはいけないこと。それは難しいことです」

 そのように感じるのは、彼女自身が16歳の時に、スキー選手としてイギリスの選手団に加わった経験があるからだという。

「英国選手団に誘われた時、自分の苗字は英国名だし、自分をイギリス人だとも思っていたので、誇りに思いました。でも、やっぱり私はスイス人的な気質のほうが強かったみたいで、英国チームとうまくいかないことが多かった。社会に出る前に、自分自身を知る必要があった。その部分で、私はナオミに共感するし、だからこそ、世界中が注目するなかで戦う彼女を心から尊敬しています」

 それら敬意を示したうえで、彼女は「ナオミはエニグマ(=ミステリアスな人)」だと言った。

 大坂を「エニグマ」と表現したのは、『マイアミ・ヘラルド』紙の記者、ミシェル・カーフマン氏も同様だ。ポーランド系キューバ人の父と、大戦中にキューバに逃れたウクライナ人の母を持つカーフマン氏は、そんな自身を「典型的なマイアミ人」だとも形容する。

「ナオミは、日本、アメリカ、そしてハイチという複数の文化的背景を持っている。そしてそれは、マイアミという町も同じ。この町は人種の坩堝で、多くの人たちが人種的ミックス。ハイチ系やアジア系の人たちはナオミを誇りに思い、だからこそ彼女はマイアミで人気があるのだと思います」

弱さも見せる素直な姿に共感

 25年間、この町でスポーツを取材するカーフマン氏が、特にハイチコミュニティにおける大坂の人気を実感したのは、3年前に書いた記事がきっかけだったという。

「ナオミが、自分たちが設立したハイチの学校を訪れた時のことを、彼女に直接インタビューして記事にしたんです。その記事は、私がここ何年かで書いた記事のなかで一番読まれ、反響も大きかった。

 特にハイチ系の方からのメッセージやコメントが多く寄せられました。それもフロリダだけでなく、ニューヨークの方からも『すばらしい記事だった』と言われたんです。彼女についての記事は、常にハイチ系の方たちに読まれています」

 もちろん大坂を支援する人たちは、ハイチ系だけではない。

「彼女はとても正直で、弱さも不安もさらけ出す。彼女はスーパーヒーローの振りをせず、自分はもろく、欠点も多いと素直に認める。そのような彼女の姿に、多くの人は共感していると思います」

 その共感の背景には、「マイノリティこそがマジョリティ」という、マイアミの土壌があるのかもしれない。

 今大会、ナオミ・オオサカの名は勝者としてセンターコートで5度呼ばれ、最後は準優勝者としてアナウンスされた。

「みなさんのおかげで、とても楽しい時を過ごせました。また来年会いましょう」

 表彰式でファンに呼びかける準優勝者の声に、色とりどりの温かな歓声が呼応した。