今から50年以上も昔、とある書籍を通してモータースポーツに興味を持ち始めた小学生の私は、「日本で一番速いレーシングドライバーは高橋国光である」と知り、高橋国光はさぞや獰猛な人物なのだろうなと勝手に想像…

今から50年以上も昔、とある書籍を通してモータースポーツに興味を持ち始めた小学生の私は、「日本で一番速いレーシングドライバーは高橋国光である」と知り、高橋国光はさぞや獰猛な人物なのだろうなと勝手に想像した。だが、その後雑誌の写真でその容貌を目にして呆然とした。そこには、まるでどこかのオバさんのような、柔和を絵に描いたような顔が写っていたからだ。

その経歴を読むと、ホンダのワークスライダーとして20歳そこそこで日本選手として初めて2輪世界GPの優勝者となり、翌年は速さ余って大事故を起こして生死の境を彷徨ったが、かろうじて命を取り留めると、4輪に転向し日産のワークスドライバーとして日本のトップドライバーになったと言うのだが、そんなに激しい青年時代を送った人物が、こんなに柔和な表情であるはずがない。本当にこの写真は高橋国光さんのものなのか、雑誌の編集部が写真を間違えたまま出版したのではないかと、幼い私の頭はグルグルした。

◆角田裕毅が持つ「目に見えない」特別な才能

■77年にF1グランプリに出走するなど活躍

ところが中学生になって実際のサーキットへモータースポーツ観戦に出かけるようになって再び仰天することになった。初めて現地観戦したレースには高橋国光さんがスカイラインGT-Rに乗って出走していたが、当時はまだ富士スピードウェイに存在した30度バンクという難所を時速250kmオーバーでカウンターステアを当てながら駆け抜けていったのだ。「あんなに穏やかな顔をしているのに、高橋国光さんという人はやっぱり頭がイカれている」と思ったものだ。

実は後にレーシングドライバーの後輩として高橋国光さんの信奉者となる土屋圭市も同じ頃、同じような場所で高橋国光のレースを観客として観戦し、その迫力あふれる走りに痺れた結果、モータースポーツの世界に身を投じることになったのだと言う。この私も、風貌や物腰とは裏腹の、尋常でないドライビングテクニックに引き込まれ、結局モータースポーツの世界で暮らすことになってしまった。

その結果、レース雑誌記者として高橋国光さんに直接取材をするようになるが、印象的だったのは20歳になる前の段階でホンダからワークスライダー契約の誘いを受けたときの話だ。契約前に実力を確かめたいホンダの2輪チームの関係者を前に、高橋国光さんはホンダのオートバイに乗りテスト走行をすることになったのだが、長い直線コースを折り返して往復しタイムを計測するため走り出したまでは良かったが、折り返し点にさしかかったものの勢いが乗りすぎていて折り返すことができず、そのままコースの向こうの土手から飛び出してテストを終えてしまったと言うのだ。

「結局、タイムを計っている人の前を1回も通り過ぎることができないまま終わっちゃったの。それでも契約をすることになるんだけどね」と当時を回想する高橋国光さんは笑ったものだ。若き高橋国光さんの狂気に満ちた速さを物語る顛末ではあるが、昔を思い出すその表情は、やはりまるで他人事の笑い話を語るように柔らかかった。

4輪転向後も高橋国光さんの闘いは激しかった。日産ワークスドライバーとして化け物のような高性能レーシングカーを操り最前線で闘い続けたし、77年にはF1グランプリにも出走している。このときはプライベートチームからのスポット参戦だったこともあり9位に終わっているが、もしもう少し早く、充実した体制でF1グランプリシリーズに取り組んでいたら、おそらく優勝争いを展開しただろうと私は思っている。高橋国光さんはそれだけの天才だったと信じていることもあるが、60年代に日産ワークスで重ねた走り込みは、おそらくF1ワールドチャンピオンをはるかに上回る量と質だったはずだからだ。

80年代にレース雑誌記者となった私は、トップドライバーとして全日本F3000選手権を戦う高橋国光さんにも直接取材を重ねたが、今ご自身が置かれている状況から今後のシリーズに対する闘い方を尋ねても、「そうだなあ。あれ? 私、前のレースで何等賞だったっけ?」と、拍子抜けするような答が返ってきたりした。1レース1レースに集中し自分を追い詰めて闘い頭角を現してきた星野一義さんとは対照的な力の抜け方だった。ちなみに星野さんにとって高橋国光さんは、日産の契約ドライバー時代の偉大な先輩であり、星野さんは日本を代表するドライバーになった後も、高橋国光さんの前では直立不動で敬語を用いて接する関係だった。

高橋国光さんは、1999年、59歳でレーシングドライバーの現役を退いた後も自らの名前を冠したチームを率い、監督として常に国内レース界の大事なポジションにあり続けたが、「怒った顔を見たことがない監督」だとか「レースの現場では朝のミーティングの前に『今日の夕食、何にする?』と相談される」とか、ほほえましいエピソードに事欠かなかった。つい先日まで、すぐそこでニコニコしていた人なのに、今はもう会えなくなってしまったことが残念でならない。激しさと穏やかさを内包していた高橋国光さんには、聞いてみたいことがまだまだ数え切れないほど残っていた……。

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著者プロフィール

大串信(おおぐしまこと)●モータースポーツ・ジャーナリスト

東京都世田谷区生まれ神奈川県逗子市在住。1986年、フリーランス・ライターとして独立、自動車レース関連記事の執筆活動に入り、F1グランプリを含む国内外モータースポーツが主戦場。かつての「セナプロ」を含め、取材対象となったドライバーの枚挙には暇なし。自らも4輪国内Aライセンス所持を所持するレーサー。グランツーリスモを含む、eSportsの造詣も深い。第2種情報処理技術者(現基本情報技術者)。オヤジ居酒屋の1人呑みが趣味。病的猫溺愛者。