三菱重工相模原ダイナボアーズでクラブキャプテンを務める土佐誠「波乱万丈の人生だねと周囲の人からは、よく言われますね」 笑顔を見せながら、そう語るのは、ラグビーリーグンワン、ディビジョン2の三菱重工相模原ダイナボアーズでプレーする土佐誠だ。現…
三菱重工相模原ダイナボアーズでクラブキャプテンを務める土佐誠
「波乱万丈の人生だねと周囲の人からは、よく言われますね」
笑顔を見せながら、そう語るのは、ラグビーリーグンワン、ディビジョン2の三菱重工相模原ダイナボアーズでプレーする土佐誠だ。現在35歳、グラウンド外でクラブ全体を統括するクラブキャプテンとなり、チームは開幕から連勝中だ。今はディビジョン1昇格という大きな山に挑戦中だが、「波乱万丈の人生」と語るように、土佐はこれまで多くの試練を乗り越えてきた。
大学時代に起きたチームメイトの不祥事
最初の試練は、関東学院大学3年の時に起きた。
土佐が関東学院大学ラグビー部に入部した2005年頃は、関東学院最強とも言われる時で01年から06年まで6年連続、大学選手権決勝で早稲田大学と対戦し、3勝3敗と互角の勝負を演じていた。だが、07年シーズン、法政大戦を残してほぼ優勝というところにいたが、部員の不祥事により、対外試合を含めて部活が活動停止になった。
「まさか、あんな不祥事が自分の周囲に起こるなんて、思いもよらなかったですね。その時、自分は大学3年生だったんですけど、そのことで試合ができない、練習ができないというのはすごいストレスで、その不満を口にも出していました。でも、いつまでも文句を言っていても何も変わらないし、部の雰囲気も悪くなる一方で......。活動停止が終わる時まで、頑張っていこうよという話をしたんですが、自分でもなかなか整理できなくて、チーム内は大変でした」
土佐は、活動停止期間が明けた08年4月に主将になった。150人以上いる部員を束ね、ラグビー部を引っ張るポジションについたのだ。だが、不祥事で前年はリーグ戦優勝と10年連続の選手権出場のチャンスを逸した。その余波が部に残り、土佐は非常に難しいかじ取りを任されることになった。
「その事件は、全員が逮捕されたわけではなく、新聞には数名と出ていましたが、名前は公表されていませんでした。間違いを犯した選手がまだチームにいるということの衝撃が大きくて、『誰だ?』とみんな、疑心暗鬼になっていたんです。150名もの選手がいるなかで、ただでさえまとめていくのが大変ですが、あの事件の影響でチーム内はグラグラしていました」
土佐が主将として、一体感を強調しても仲間からは「土佐、お前は俺たちの気持ちわかるよな。主将になって自分に嘘をつかなくてもいいよ」と言われた。
「正直、僕もかなり不満がありました。でも、みんな、ラグビーをやるために入ってきたんです。みんなラグビーだけやっていればいい、ラグビーが強ければいいって考えで、すごく視野が狭かったので、仲間の不祥事が許せなかった。あの経験は今もすごく活きています。大人数なので、うまく行かない時もありますが、それを誰かのせいにしたり、不満を口にするのではなく、受け入れてみんなでラグビーをしていくことの大切さをあの事件から学びました」
ちなみに土佐が主将として臨んだ関東大学ラグビーリーグ戦は3位、大学選手権は1回戦で宿敵・早稲田と対戦し、敗れている。不祥事に揺れた影響がそのまま出た結果となった。
開頭手術を決断
土佐が次に大きな試練を経験したのは、大学を卒業し、NECグリーンロケッツに加入して4年目のことだった。外食をして社員寮に戻り、大浴場でシャワーを浴びていた時だ。突然、意識を失って倒れたのである。チームメイトの田村優がすぐに救急車を呼び、病院に搬送されて検査を受けた結果、「癲癇(てんかん)」と診断された。
「病院のドクターから病名を聞かされた時は、『えっ何?』って感じでした。僕は癲癇をいう疾患を知らなかったんです。しかも、癲癇を公表してプレーしているラグビー選手は誰もいなかった。当時はエディージャパンにも呼ばれたばかりだったので、いろんな意味で落ち込みましたが、ドクターと話をしていくなかで『癲癇を持ちながらプレーするのは日本初のケースになるかもしれない。手探りですが、プレーをする方向で治療をしていきましょう』ということになってちょっと安堵しました」
発作がいつ起こり、いつ意識を失うのかはわからない。ドクターからの説明では疲れたり、激しい運動したあとに発作が出やすいと言われた。ラグビーは激しい運動とボディコンタクトがあるスポーツなのでリスクはあったが、薬を飲みながらプレーを続けた。だが、いろんな薬を服用しても発作は止まらなかった。ドクターからは脳をスキャンして腫瘍の場所を特定し、手術で切除できれば普通の生活に戻れる可能性があると言われた。
「手術は、悩みましたね。ラグビーは、そこまでしてやる価値のあるスポーツなのか、引退したほうがいいんじゃないかって、すごく考えました。でも、もし手術して復帰してプレーする姿を見せることができれば他の患者さんの不安も解消されるでしょうし、そうなれば自分がプレーする意味があるのかなって思ったんです。先生も『できるよ』と言ってくれたので、その言葉を信じて手術をすることに決めました」
開頭手術を受け、リハビリを行ない、復帰するまで1年半もの時間を要した。
「最初は、コンタクトする怖さがありました。ぶつかったら脳みそが出てしまうんじゃないかってありえないことも考えてしまいました。そういう怖さを克服してラグビーに戻れたのは、自分の気持ちをひとつずつ整理していったのもありますが、NECグリーンロケッツが復帰まで頑張ろうと背中を押してくれたのが大きいですね。普通、頭を手術した選手がプレーする場合、企業はリスクを負えないので引退してくれという話になると思うんです。でも、僕を信じて待っていてくれた。支えてくれたチームメイトや企業のためにも復帰していいプレーを見せたいと思いました」
ラグビーに復帰後、土佐は、「癲癇」を理解してもらうためのイベントに参加し、登壇して自らの体験を語るなどの活動を行なっている。
「まだ病気に対する理解が低いので多くの人にわかってほしいなというのがありますし、同じ病気の人に僕みたいな人間がいるよ。同じ境遇だよねと、感じてもらえればいいかなって思っています」
ある時には、昨年までコンサドーレ札幌でプレーしていたジェイ・ボスロイドも参加した。自らも癲癇で薬を服用しながらプレーしていることを公表しているが、メッセージ動画で土佐自身も勇気づけられることがあったという。
今季にかける思い
また、オックスフォード大学留学で学んだ英語を活かすために通信制の大学で教職に必須な科目を履修し、英語の教員免許を取得した。そうした活動や術後、ラグビーを続けていくなかで、土佐のラグビー観にも変化が見られた。
「前は、単純に相手よりもどのくらい強いか、どのくらいのスコアで勝てるのか、強いか弱いかだけを考えてプレーしていたんですけど、引退を覚悟しながら自分のラグビー人生を見つめ直していくなかで、自分がどれだけ成長できるのか、自分がプレーする意義を考えてラグビーを楽しむようになりました」
勝ち負けのみの思考から今は自分の成長やチームに何かしらの財産を残すことを考えながらプレーしているが、そのベースが三菱重工相模原ダイナボアーズになる。土佐は2017年に加入したが、その頃はトップリーグ2部にあるチームで、現在とはかなり状況が違った。
「僕は、今年で5年目なんですけど、加入した当時はトップリーグで12年間1部に上がれていないチームでした。毎年、今年は入れ替え戦に勝てるかなぁみたいな感じで、自分たちを信じきれていなかった。でも、今は力のある選手や経験のある選手が加入してくれてチームの選手層が分厚くなり、本当に成長が著しいチームになりました」
チームは相模原の地域の人にしっかりと支えられている。コロナ禍前のクラブイベントには多くのファンが集まり、大盛況だった。クラブのエンブレムの猪は、大人気マンガの『鬼滅の刃』に登場するキャラクターである嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)に通じるところがあり、人気が膨らみそうだ。実際、昨年のハロウィンでは伊之助のかぶりものをした選手もいたという。
「エンブレムは、虎とか龍がカッコいいですし、うちは猪なのでどうかなって思っていたんですが、鬼滅の影響で子どもたちに興味を持ってもらえるのはうれしいですね」
すでにリーグワンのリーグ戦が開幕しているが、ダイナボアーズは現在、開幕5連勝と好調だ。このまま勝ち進んでディビジョン2で優勝し、その先の入れ替え戦に勝てばディビジョン1への昇格が決定する。
「5年前の勝てるかなっていう自信なさげな空気はもうないですね。今年中に絶対に1部に上がってやるという強い気持ちでみんなプレーしています。実際、強くなっていますし、危険なチームになってきている。自分は、そこで最高のパフォーマンスをするだけです」
波乱万丈のラグビー人生に華を添える瞬間が、もうすぐやってきそうだ。