ロコ・ソラーレ吉田知那美インタビュー(前編)北京五輪で史上初の決勝進出を果たし、銀メダルを獲得したカーリング女子日本代表のロコ・ソラーレ。そのメンバーである吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月の4選手が以前、自らのカーリング人生、五輪…

ロコ・ソラーレ
吉田知那美インタビュー(前編)

北京五輪で史上初の決勝進出を果たし、銀メダルを獲得したカーリング女子日本代表のロコ・ソラーレ。そのメンバーである吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月の4選手が以前、自らのカーリング人生、五輪という舞台について語ってくれた。

メダル獲得を記念して、そのインタビュー(取材は2020年7月。掲載は2021年1月~2月)を改めて紹介したい。今回はサードの吉田知那美。自らのカーリング人生を振り返りつつ、今後の夢や目標についても語っている――。

――2022年北京五輪に向けたプレシーズンが大詰めを迎えていますが、吉田知那美選手は2014年ソチ五輪、2018年平昌五輪と五輪の舞台に2度立っています。その間、世界との距離や五輪でのメダルの可能性など、ご自身はどういった意識を持っていましたか。

「北海道銀行フォルティウス時代(2011年~2014年)から世界と戦う舞台に身を置かせていただいていましたが、当時はそこまで全体像は見えていなかった、というか、意識できていなかったように思います。私の感覚としてはソチ五輪以降、JD(ジェームス・ダグラス・リンドナショナルコーチ)に出会って強化を重ねていく過程で、自分たちが世界の中でどういう立ち位置のチームなのか、どういうレベルにあるのか、ということを考えるようになった気がします」

――そうやって世界の舞台で戦っているなかで、ルール変更があったり、技術的、戦術的な変化・進化があったりしたと思うのですが、そうしたカーリング自体の変遷について、何か感じることはありますか。

「カーリングそのものは、単純に面白くなっていると思います。ルール変更にも関連しますが、毎年スタンダードが変わってきていて、強いチームが出てくると、それに対応する作戦が必ず生まれる。そしてまた、その作戦を上回るカーリングが出てくるという動きがあります。加えて、各チームでデータが戦略となり、データ面からのコーチングもあるのは、すごく興味深いです」

――今後、データ戦略についてはより加速していくのでしょうか。

「データはデータでしかないので、どう使うかにもよりますよね。だとしても、今後どう細分化されていくのかわかりませんが、データを基にプランを作ったり、戦略を立てていったりするチームが増えていくのは面白いなと感じています。

 すでにカナダはもちろん、中国などでも強化プランの一環として、データマンを主要大会の会場に送り込んで、国としてそこで得たデータを活用しています。日本でも今後は、データマンというのが職業になって、他国に対しての対策データを取りにいく人、アナライズして戦略に落とし込む人が必要になってくると思います」

――それほど遠い先の話ではなさそうです。

「データマンなど、特に戦術に反映されるスタッフは、カーリングを競技として知っている人でないとできない役割です。そういう意味では、今季から小笠原歩さんがJCA(日本カーリング協会)の理事に就任し、強化に携わってくれていることは、とても心強いです」

――知那美選手は北海道銀行時代、その小笠原さんとも一緒にプレーしていました。そこからかなりの時間が経過していますが、カーリングに対する思いや、カーリング界における自らの立ち位置など、変化はありますか。

「若い時は自分のキャリアのことだけを考えて、どうなっていくのがいちばんいいのか、そのことをいちばん重要視していました。ですから、正直に言えば『ソチ(五輪)が終わったら、もう(カーリングはやめても)いいや』と考えていた部分もあります。でも、ロコ・ソラーレに入って、今のメンバーと出会って、いろいろな人と関わっていくなかで、自分の気持ちは変わってきました。

 ありがたいことに、これまでにカーリングでの夢や目標についてはいくつか叶えることができましたが、自分の夢が叶えばそれでいいのかと言えば、そうではありません。オリンピックに出る。メダルを獲る。そして、グランドスラムのタイトルもそうですが、その体験や準備を経験している選手は(日本には)まだ多くないですから、(後進に)そういったことを伝えていくのは、私たちの役割なのかなと思っています」

――例えば、ロコ・ソラーレにはロコ・ステラという育成チームがあります。さらに日本全体を見れば、各地でジュニアチームが活動しています。今後はそういった将来ある選手たちとも積極的に触れ合っていきたい、という考えもお待ちなのでしょうか。

「そうですね。でも今は、伝える言葉や補足する知識が(自分には)足りていないと感じています。この先、引退する時が来たら、自分の身に何が起こったのか、正しく伝える術をもう一度、勉強し直さないといけないと思っています」

――「引退」という言葉が出ましたが、結婚など今後のご自身の人生設計については考えていらっしゃるのですか。ちなみに、鈴木夕湖選手、吉田夕梨花選手には「ない!」と即答され、そういった話題についてははぐらかされてしまいましたが。

「『ない!』ってことは、2人はひょっとして、本当に何も考えていないのかもしれないですね(笑)」

――知那美選手はどうですか。

「中学校とか高校の頃は『25歳くらいで結婚するのかな』とは思っていたけれど、(時が経つのは)あっという間ですよね。何のために結婚したいか、という部分も時代とともに変わっている気がしますし......でもこの話、読んでいる方々は興味あるのかな、大丈夫ですか?」

――夕梨花選手にも同じようなことを指摘されました。ごく軽く教えてください。

「う~ん、『結婚したい』と思える方がいれば、するんじゃないかと思います。お互いが自由でいられて、一緒に旅行できる人なら楽しいかな、と。(結婚は)いつかはしたいなと思いますし、子どもが好きですから欲しいな、とは考えています」

――結婚とは別に競技生活を含めて、今後の人生設計について聞かせてください。

「私を含めてチームメイトのみんな、競技者としてキャリアを終わらせようとは、まだまったく考えてはいないのかもしれません。正直、どこまでできるのか、自分たちでもわかっていないのだと思います。何か大きな大会で勝ったら終わり――その可能性もなくはないですが、その状況になってみないとわかりません。

 これまでも、『こういう結果が出たらこうしよう』とか、『何歳になったらああなるんだろうな』とか、いろいろと自分でも想像したり、予想したりしていましたけれど、そのとおりになったことは一度もありません。だから、将来の設計についてはみんな、『ない!』というのかもしれません。

 同時に、(競技生活が)終わったら何をやりたいかというのも、それぞれ、ひとつではないんですよね」

――具体的にやりたいと思っていることがあれば教えてください。

「(みんなで)カフェをオープンしたら、楽しそうだなと思っています」

――『65cafe(ロコ・カフェ)』に関しては、YouTubeの『BIZチャン』でも触れていましたね。

「料理はみんな得意なので、夕湖はピザを焼くとか、各々が得意なもの、好きなものを作って、お店で出せたらいいですね。あと、海外遠征に行くと、どんな街にもご当地ビールがあるんです。そういったあらゆる土地のビールを集めて、そのビールの味と、その街での私たちの戦績だったり、思い出だったりを一緒に紹介して、お客さんに提供できたら面白いね、という話もみんなでしています」

――お店をオープンする場所は考えているのでしょうか。

「やるなら、たぶん常呂です」

――失礼ながら、連日お客さんが溢れて......というロケーションではないですよね。

「確かにそうかもしれません。でも、お客さんが来なくてもいいから、カーリング選手が集う場所になったらいいな、と。昔は常呂町にも、夜のリーグ戦が終わったら、みんなで食事をしたり、一杯飲んだりする場所がいくつかあったんです。(常呂町唯一のカフェ)『しゃべりたい』も、以前は夜の営業をしていたと聞きました」

――カナダのカーリングホールには、必ずカフェやバーが併設されています。

「そうなんです。近年、日本のカーリングは世界でも結果を出して、競技力は上がってきました。でも、一緒に培われていく文化が置き去りになってしまうのは寂しいです。一昨年、アドヴィックス杯に出場するため、カナダをはじめ、中国や韓国からもいくつものチームが常呂に来てくれたんですが、その時にもコミュニケーションが取れる場所が十分でなかったなと感じました。どの国籍の人でもカーラーが気兼ねなく入れる、カフェなのか、バーなのか、そんな場所があればいいな、と思っています」

――カフェの他に具体的にやりたいことはあるのでしょうか。

「シニア(50歳以上)でも世界一を目指す」

――世界シニア選手権で優勝を狙う、ということですか。

「みんなで冗談みたいに話していることのひとつですが、カーリングは一度(現役を)離れても、また復帰して楽しめるスポーツでもあるので。それと併せて、『バーナードさんみたいな、カーリングとの接し方もいいよね』とチームで話したことがあります」

――バーナードさんというのは、2010年バンクーバー五輪銀メダリストのシェリル・バーナード選手(カナダ)ですか。

「はい。あのチームは今でもほぼ毎年、バーノンというBC(ブリティッシュ・コロンビア州)の小さな町で行なわれるボンスピル(大会)に出てくるんです。すごい郊外にある町なんですけれど、良質なワイナリーとゴルフコースがあって、彼女たちはその町の大会で勝って賞金をもらい、そこに行くんですよ。いつもお会いすると、恒例の挨拶のように『あなたたち、もうワイナリーに行った?』と聞かれます。すごく素敵な旅の仕方で、ひとつの理想です」

(つづく)後編はこちら>>

吉田知那美(よしだ・ちなみ)
1991年7月26日北海道北見市生まれ。小学校2年時にカーリングを始め、中学時代から日本選手権に出場するなどの実績を残す。2011年に北海道銀行フォルティウスに加入し、2014年ソチ五輪出場を果たす。同年6月からはロコ・ソラーレでプレーし、2016年の世界選手権銀メダル、2018年の平昌五輪銅メダル獲得に貢献した。最近ハマっているのは再読した漫画『バガボンド』で、「高校時代に読んだ時は宮本武蔵が何に悩んでいるかわからなかったけど、大人になって読んで少し武蔵の気持ちがわかった」